第百九十六話 営業課長、R―2という席の正体を追う
アルトは、目の前の記録箱から手を離した。
表面には、確かにこう書かれている。
『R―2』
その下には、新しい文字。
『現在使用中』
三年前の記録。
そして、現在。
同じ番号が、まだ生きている。
「フェルナン」
「はい」
「さっきの帳簿をもう一度」
フェルナンは棚から『制度運用権限 継承管理記録』を取り出した。
アルトは机の上に広げる。
十年前。
『例外管理制度運用責任者』
七年前。
『制度運用監査補佐』
三年前。
『制度運用監査担当』
そして。
現在。
『例外管理制度運用責任者』
空欄。
アルトは指を止めた。
「……戻ってる」
「何がです?」
「役職だ」
フェルナンが帳簿を覗き込む。
確かに、三年前の役職と現在の役職が違う。
だが。
権限の継承先だけを見ると、別の共通点があった。
『HB―13』
すべて同じ。
人間は変わる。
役職も変わる。
しかし。
HB―13だけは残っている。
「この権限は、役職そのものに付いてるんじゃない」
アルトが言った。
「では?」
「役職の中にある、特定の席に付いてる」
フェルナンが黙る。
「R―2?」
「ああ」
アルトは記録箱を見た。
「問題は、この席が何なのかだ」
箱を開ける。
中には、古い配置図が入っていた。
紙は黄ばんでいる。
端には十年前の日付。
『制度運用管理区画 配置図』
アルトは紙を机に広げた。
棚。
机。
記録端末。
保管区画。
そして。
中央にいくつかの席番号が記されている。
『R―1』
『R―3』
『R―4』
アルトが眉をひそめた。
「……R―2がない」
「本当ですね」
フェルナンが指で確認する。
R―1。
その隣はR―3。
R―2だけが存在しない。
「十年前には、R―2はなかった」
「じゃあ、いつ作られたんでしょう?」
アルトは別の紙をめくった。
七年前。
配置変更記録。
『制度運用管理区画 席配置変更』
変更前。
『R―1』
『R―3』
『R―4』
変更後。
『R―1』
『R―2』
『R―3』
『R―4』
「七年前……」
フェルナンが呟く。
「A―17が文書管理課へ移された年と同じです」
「ああ」
アルトは変更理由を見る。
『業務分掌変更に伴う席配置整理』
それだけだった。
「理由が薄すぎる」
「普通の配置変更では?」
「なら、なぜR―2だけ新設した」
アルトは紙を裏返した。
何もない。
だが。
右下に小さな管理番号がある。
『A―17』
フェルナンが息を呑んだ。
「……席配置変更にA―17が紐づいている」
「ああ」
アルトはすぐにA―17の記録を取り出した。
十年前。
S―03の処理に登場したA―17。
七年前。
旧受付保管庫から文書管理課へ移された。
三年前。
ラウルが照合した直後に現行台帳から消えた。
そして。
R―2の新設にも関係している。
「偶然じゃない」
アルトは呟いた。
「A―17を移したとき、R―2を作った」
「何のために?」
「それを知るには、席の用途を見る」
アルトは配置図の別紙を探した。
しばらくして。
一枚の薄い紙が出てきた。
『席別業務権限一覧』
R―1。
『通常例外案件照合』
R―3。
『承認経路確認』
R―4。
『原本保管経路確認』
そして。
R―2。
アルトは目を細めた。
『例外案件 継承権限照合』
フェルナンが読み上げる。
「継承権限照合……」
「つまり」
アルトは紙を指で叩いた。
「R―2は、権限そのものを調べるための席だ」
「それなら、ラウルがここを調べたのも……」
「ああ」
自然だ。
R―2は、例外案件の権限がどこから来て、どこへ継承されたのかを確認するための席。
だから。
HB―13と結びついている。
そして。
三年前。
ラウルはここでR―2を調べた。
「待ってください」
フェルナンが紙を指した。
「この記録……」
R―2の欄。
その下に小さく追記がある。
『担当者は固定しない』
さらに。
『当該席への着席者には、個人権限を付与しない』
アルトの表情が変わる。
「……なるほど」
「何が分かったんです?」
「これが、三年前の変更とつながる」
アルトは継承管理記録を横に置いた。
「もともとR―2は、誰か一人が担当する席じゃなかった」
「はい」
「必要な人間が座って、必要な照合をする」
「それなら、誰が使ったかは記録されるんじゃ?」
「本来ならな」
アルトは三年前の変更記録を開く。
『権限使用者の個人確認を省略』
その文字を見つめる。
「この変更で、R―2はただの作業席じゃなくなった」
「……」
「誰が座っているかを確認しなくても、HB―13を使える」
フェルナンが息を呑む。
「つまり」
「ああ」
アルトは静かに答えた。
「誰かがR―2に座れば、名前を残さずに例外案件の権限継承を調べられる」
フェルナンはしばらく黙っていた。
やがて。
「それって……黒帳の人間が使うために作った席なんじゃ?」
アルトは首を横に振った。
「まだ断定するな」
「でも」
「R―2が作られたのは七年前だ」
アルトはA―17を見る。
「黒帳がこの仕組みを利用している可能性はある」
だが。
「最初から黒帳のために作られたとは限らない」
制度としては、合理的だった。
例外案件の権限を管理する。
承認経路を確認する。
人事異動があっても業務を止めない。
問題は。
その仕組みが三年前に変更されたこと。
「誰かが、正規の制度に穴を開けた」
アルトはそう言った。
「そして、その穴を使えば、誰が権限を使ったのか追えなくなる」
フェルナンが頷く。
「じゃあ、次は変更した人間を探すんですね」
「ああ」
だが。
アルトはすぐに手を止めた。
「いや」
「え?」
「その前に、R―2を最後に使った人間を確認する」
「現在の使用者ですか?」
「違う」
アルトは配置図を見る。
「三年前、ラウルが使う前に誰がここを使っていたかだ」
フェルナンが記録を探し始める。
席使用記録。
七年前。
R―2新設。
最初の使用。
記録あり。
担当者――
アルトが画面を覗き込む。
そこには名前があった。
「……エドガー・ミルズ」
フェルナンが顔を上げる。
「ラウルを文書管理課へ案内した、あのエドガーですか?」
「ああ」
だが。
アルトは記録を読み進める。
『R―2 初回使用』
『目的――A―17移管確認』
『確認者――エドガー・ミルズ』
『確認日時――七年前四月三日』
アルトの目が細くなる。
「A―17を移した日に、エドガーがR―2を使ってる」
「……」
「偶然とは言い切れない」
しかし。
その次の記録には、別の名前があった。
『確認者――セレナ・オルフェ』
『確認日時――七年前四月三日』
さらに。
『原本移管確認』
フェルナンが息を呑む。
「セレナも?」
「ああ」
二人とも。
同じ日に。
R―2を使っている。
そして。
その日の最後。
『承認者――セドリック・ヴァーン』
アルトは記録を閉じなかった。
「ここまで来ると、三人が関係しているように見える」
「でも、エドガーもセレナも、当時は通常業務として処理しただけかもしれません」
「その通りだ」
アルトは頷いた。
「だから、まだ誰も疑わない」
「……」
「確認するのは、誰がR―2を使ったかじゃない」
アルトは次の記録を開く。
「R―2を使ったあと、何を変更したかだ」
七年前四月三日。
エドガー。
セレナ。
セドリック。
そして。
その日の最後に行われた処理。
『A―17 保管区画変更』
『旧――第一受付保管庫』
『新――制度運用管理区画』
アルトの手が止まる。
「……移動した」
「何がです?」
「A―17の保管場所だ」
第一受付保管庫から。
制度運用管理区画へ。
つまり。
R―2が新設された日に。
A―17も、この地下へ移された。
そして三年前。
ラウルがA―17を追った。
その結果。
R―2を発見した。
アルトは静かに息を吐いた。
「ラウルは、三年前に偶然ここへ辿り着いたんじゃない」
「七年前から、ここへ続く道が作られていた……」
「ああ」
そして。
その道を最初に通った人間の一人が。
エドガーだった。
アルトは七年前の記録を見つめた。
「エドガーが何を知っていたのか」
「……」
「そこを確認する」
フェルナンが頷いた。
その瞬間。
背後から。
カチッ。
小さな音がした。
二人が振り返る。
さっきまで消えていた端末の画面に、新しい文字が表示されている。
『R―2 使用者照合』
アルトが近づく。
画面には。
『過去三年間の使用履歴』
と表示されていた。
アルトは操作しようとした。
だが。
次の瞬間。
『閲覧権限が変更されています』
表示が切り替わる。
『現在の閲覧者――』
そこだけが空白。
そして。
『R―2』
と表示された。
アルトは動きを止めた。
「……俺たちじゃない」
フェルナンが低い声で言う。
「ああ」
アルトは画面を見つめる。
「誰かが、今この席を使っている」
その瞬間。
地下の奥から。
椅子を引く音がした。
ギィ……。
二人が同時に振り返る。
暗い通路。
誰もいない。
だが。
その奥に置かれた一脚の椅子だけが。
先ほどまでとは違う位置に動いていた。
椅子の背には。
小さな金属板。
『R―2』
アルトは目を細めた。
そして。
「フェルナン」
「はい」
「まだ誰も帰ってない」
アルトはゆっくり歩き出した。
「この地下にいる」
R―2を使っている人間が。
まだ。
この場所にいる。
営業メモ ①⑨⑤
仕組みを調べるとき、「誰が使ったか」だけを追うと見落とす。
重要なのは、
「その人が使ったあと、何が変わったか」
だ。
担当者。
権限。
保管場所。
承認経路。
一つの処理だけなら偶然に見える。
しかし、同じ日に複数の変更が重なっているなら、そこには一連の業務がある。
営業でも同じ。
誰が決裁したかだけを見るのではなく、
「決裁のあと、何が動いたのか」
まで追う。
そこに、本当の流れが残っている。
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次回予告
第百九十七話 営業課長、R―2に最後に座った男
七年前、R―2を最初に使った人物が判明する。
その名はエドガー・ミルズ。
だが、記録を追うと、エドガーがR―2を使った直後に、A―17の保管場所が変更されていた。
さらに、同じ日にセレナ・オルフェもR―2を使用していた。
アルトは二人の行動記録を照合する。
すると、七年前の同じ時刻。
二人が同じ場所で、同じ一つの原本を確認していたことが判明する。
そして地下の奥では――
現在もR―2を使う誰かが、アルトたちを待っていた。




