第百九十五話 営業課長、ラウルが見た制度運用管理区画
端末に表示された三つの警告を、アルトはもう一度読み直した。
『① 対象記録の一部が現行台帳に存在しません』
『② 対象記録の原本所有部署が一致しません』
『③ 権限継承元を確認できません』
フェルナンが首を傾げる。
「これだけなら、記録の不備じゃないんですか?」
「そう見える」
「では、なぜラウルは確認を中止したんでしょう?」
アルトは答えなかった。
画面を戻す。
確認開始。
十四時二十一分。
そして。
十五時六分。
ラウルが最後に行った照合。
『対象――R―2』
『照合先――権限継承記録』
アルトは、その先を開いた。
『継承元――HB―13』
『継承先――』
空白。
その横にだけ、赤い印がある。
『席番号 R―2』
「……席番号」
アルトが呟く。
「さっきも言ってましたね。R―2は人間じゃない、と」
「ああ」
だが。
アルトはそこで画面を戻した。
もう一つ。
継承元の詳細。
『HB―13』
その下。
『継承方式――自動継承』
『個人確認――不要』
アルトの目が止まる。
「……ここだ」
「何がです?」
「ラウルが止めた理由」
フェルナンが画面を見る。
「でも、個人確認が不要だから?」
「それだけじゃない」
アルトは首を振った。
「この二つを一緒に見る」
HB―13。
自動継承。
個人確認不要。
そして。
継承先は、個人ではなくR―2という席。
「つまり……」
「権限が誰に渡ったのか、記録上は追えない」
フェルナンが黙る。
「でも、権限自体は動いている」
「ああ」
「それなら、誰かが使っているんですよね?」
「そうだ」
「だったら、その人間を探せば――」
「探せない」
アルトは即答した。
「正確には、探しても記録上は辿り着けない」
フェルナンの顔が強張る。
アルトは続けた。
「十年前なら、HB―13を使った人物が記録に残った」
「はい」
「七年前も、後任指定があった」
「はい」
「でも三年前、継承方式が変わった」
アルトは帳簿を指差す。
「人間から、席へ移った」
そこで初めて。
ラウルが見たものの意味が浮かび上がった。
R―2という席にHB―13が継承される。
その席に誰が座っているかは、権限記録には残らない。
つまり。
権限は存在する。
使用もできる。
しかし。
使用者だけが消える。
「……これ、逆なんじゃないですか?」
フェルナンが呟いた。
「何が?」
「権限を使った人間が消されたんじゃない」
フェルナンが画面を見る。
「最初から、人間を記録しないようにした」
アルトは黙った。
その通りだった。
三年前に消えたのは、記録ではない。
記録の中に、人間を残す必要そのものが消されていた。
「だからラウルは止めた」
「そういうことですか?」
「ああ」
アルトは、十五時六分の記録を指した。
「ここでラウルは、R―2を追えば誰に繋がるかを調べた」
「結果は?」
「誰にも繋がらない」
「……」
「いや」
アルトは画面を見つめた。
「正確には、誰にも繋がらないように作られている」
フェルナンが息を呑む。
それなら。
この先を通常の監査手順で追えばどうなるか。
調査対象はR―2。
照合権限はHB―13。
使用者は空欄。
継承元も空欄。
そして。
その照合を行った人物だけは、ラウル・セディアとして残る。
「……ラウルだけが、記録に残る」
フェルナンが言った。
アルトは頷いた。
「そこだ」
相手は誰がHB―13を使ったか分からない。
だが。
ラウルがHB―13を使ったことは分かる。
しかも。
ラウルが何を調べたのかまで残る。
これは普通の監査ではない。
一方的に、こちらだけが身元を晒す仕組みだ。
アルトは十五時十三分の記録を見る。
『確認中止』
たった一行。
だが。
その七分前まで、ラウルは調査を続けていた。
「ラウルは怖くなって止めたんじゃない」
アルトが静かに言った。
「手順を変えたんだ」
「手順を?」
「ああ」
十五時十三分。
R―2の直接照合を中止。
十五時十七分。
個人的な記録。
十五時三十四分。
S―03再確認。
十六時二分。
承認経路変更履歴。
アルトは一つずつ指で追った。
「R―2を直接追うのをやめて、周辺から囲い始めた」
「……」
「S―03」
十年前の原本。
「RK―37」
三年前に再び現れた案件。
「承認経路変更履歴」
そして。
「権限継承記録」
ラウルは、R―2そのものを追うのではなく。
R―2を成立させた仕組みを追い始めた。
「だから十六時四十分から旧受付へ行った」
フェルナンが呟く。
「十年前の受付記録を調べるために」
「ああ」
アルトは頷いた。
「そして、A―17を見つけた」
すべてが一本につながった。
ラウルは調査を止めた。
だが。
追跡を止めたわけではなかった。
むしろ。
その瞬間から、追い方を変えた。
「……じゃあ」
フェルナンが顔を上げる。
「ラウルは、この仕組みを理解していた?」
「全部じゃない」
アルトは即答した。
「でも、一つだけは理解していたはずだ」
「何を?」
「R―2を直接追うと、自分だけが記録に残る」
アルトは端末を閉じた。
「だから、証拠を先に残そうとした」
そして。
その判断は正しかった。
S―03。
A―17。
RK―37。
HB―13。
どれも、三年前のラウルの行動から今につながっている。
だが。
その一方で。
ラウルが最後に文書管理課へ呼び出された理由も、ここから見えてくる。
「……十五時十三分」
アルトが呟く。
「確認中止」
「はい」
「そして十七時十五分」
文書管理課から呼び出し。
その間、約二時間。
ラウルは調査方法を変えている。
相手から見れば。
それは十分な理由になっただろう。
「ラウルは、R―2を追うのをやめた」
アルトは立ち上がった。
「だが、別の経路から同じ場所へ近づき始めた」
そして。
「向こうは、それに気づいた」
フェルナンが黙った。
アルトは、ラウルの最後の記録を見つめた。
確認中止。
それは敗北ではない。
逃走でもない。
ラウルが自分自身を守りながら、調査を続けるために選んだ最初の防御だった。
だが。
その防御が、相手にとっては十分な警告になった。
だから。
その二時間後。
ラウルは文書管理課へ呼び出された。
そして。
帰ってこなかった。
アルトは静かに端末から手を離した。
「……ラウルは、あの日からもう気づいていたんだ」
「何にです?」
「黒帳を追うには、人間を追ってはいけない」
アルトは奥の棚を見る。
「仕組みを追わなきゃいけない」
その先には。
R―2と記された箱がある。
そして、その箱の向こうには。
まだ誰かが使っている制度運用管理区画が広がっていた。
営業メモ ①⑨④
人を追うと、途中で記録が途切れることがある。
そのときは、本人ではなく「本人が属していた仕組み」を追ってみる。
役職、権限、承認経路、管理番号。
人間が入れ替わっても、仕組みは残る。
そして、仕組みを変えた記録には、必ず変更理由が残る。
理由が残っているなら、次に見るべきは――
「誰が変えたか」だ。
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次回予告
第百九十六話 営業課長、R―2という席の正体を追う
R―2は人間ではなかった。
それは三年前、ラウルが最後まで追い切れなかった「空席」。
アルトはR―2の設置場所と、現在の使用状況を調べ始める。
だが、R―2に紐づく古い配置記録には、十年前には存在しなかった別の席番号が記されていた。
そして、その席に最後に座っていた人物の名前が――
ようやく浮かび上がる。




