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42歳のおっさん、赤ちゃんからやり直す ~営業スキルで異世界改革~  作者: コンペイ党
第3部 営業課長、消えかけた村を再生する編

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第百九十一話 営業課長、十年前から消えていた男を追う


 地下二層を出たアルトは、すぐには執務室へ戻らなかった。


 手にしているのは、十年前のS・03の第二原本。


 そして、その原本に残されていた名前。


 ハロルド・ベイン。


 さらに。


『十三』


 たった二文字の数字。


 それが何を意味するのか。


 アルトには、まだ分からなかった。


「まずは人事記録だ」


 アルトは歩きながら言った。


「ハロルド・ベインが、いつ消えたのかを確認する」


 フェルナンが頷く。


「十年前に記録統括補佐だったんだろ?」


「ああ」


「なら、その後の異動記録を調べれば分かる」


「普通ならな」


 アルトは苦笑した。


「問題は、普通じゃないことだ」


 ハロルドの名前は。


 退職記録にも。


 死亡記録にも。


 異動記録にも。


 残っていない。


 それなのに、十年前の原本には確かに存在している。


 まるで。


 ある日を境に、最初から存在しなかったことにされたように。


     *


 文書管理課の記録室。


 アルトは十年前の人事記録を机の上に広げた。


「十年前……」


 当時の監査局。


 職員名簿。


 役職一覧。


 異動記録。


 退職記録。


 順番に確認していく。


「いた」


 フェルナンが指を止めた。


 そこには、


『ハロルド・ベイン』


 と記されていた。


 役職。


『記録統括補佐』


 所属。


『監査局記録管理部』


 アルトは名前の横にある日付を確認した。


「十年前の四月一日」


「異動日か?」


「いや」


 アルトは首を振った。


「この記録では、役職就任日になってる」


 つまり。


 それ以前からハロルドは監査局にいた。


 さらに前の記録を探す。


 八年前。


 七年前。


 六年前。


「……ない」


 ハロルドの名前が消える。


 だが、退職ではない。


 異動でもない。


「じゃあ、どこへ行った?」


 フェルナンが首を傾げる。


 アルトは名簿を一枚戻した。


 そして、ある欄を指差した。


「ここ」


 役職欄。


 ハロルドの名前の下。


 小さく、


『例外管理制度運用責任者』


 と書かれている。


「例外管理制度?」


「これだ」


 アルトは別の資料を探した。


 制度規程。


 十年前の監査局内部規程。


 かなり古い。


 紙も黄ばんでいる。


 表紙には、


『案件記録における例外処理及び原本管理規程』


 とある。


 アルトはページをめくった。


 第一条。


 対象。


 第二条。


 定義。


 第三条。


 受付処理。


 第四条。


 照合。


 順番に読んでいく。


「……これだ」


 アルトの指が止まった。


『第十三条 例外案件の原本及び承認経路については、通常案件と異なる管理番号を付し、専用保管区画にて管理すること』


 フェルナンが目を見開いた。


「十三……」


「ああ」


 アルトは静かに頷いた。


「これがラウルの十三だ」


 十年前のS・03。


 A―17。


 地下二層。


 旧受付B。


 すべてが一本に繋がった。


「でも、これだけなら、ただの管理規程だ」


 フェルナンが言う。


「そうだ」


 アルトは頷いた。


「だから、ここからが重要だ」


 規程の下に、小さな注記があった。


『第十三条の適用判断は、記録統括補佐の確認を必要とする』


 その確認者欄。


 そこに。


『ハロルド・ベイン』


 とある。


 アルトは黙った。


 十年前。


 ハロルドは、例外案件を別管理にする制度の運用責任者だった。


 そしてS・03。


 承認経路に異常が見つかった。


 そこでハロルドが関与した。


 A―17へ移された。


 原本が通常保管庫から分離された。


 すべて規程上は合法だった。


「……ハロルドは黒帳を作ったわけじゃない」


 アルトが呟く。


「この制度を作っただけだ」


「でも、その制度が黒帳に使われた」


「そういうことだ」


 アルトは規程を閉じた。


 そのとき。


 フェルナンが別の紙を見つけた。


「アルト」


「何だ?」


「この規程、十年前にできたんじゃない」


 アルトが振り返る。


 フェルナンの手元にある改訂履歴。


『制定 十二年前』


 アルトの目が細くなる。


「十二年前……」


「じゃあ、ハロルドが作った制度じゃない?」


「いや」


 アルトは改訂履歴を確認する。


 十二年前。


 制度制定。


 十年前。


 大幅改訂。


 改訂責任者。


『ハロルド・ベイン』


 アルトは息を吐いた。


「正確には、ハロルドが作ったんじゃない」


「改訂した?」


「この制度を、今の形に変えた」


 ここが重要だった。


 十二年前。


 例外案件を管理する制度が作られた。


 しかし、当時は単純な機密案件の管理だった。


 十年前。


 ハロルドが大幅に改訂した。


 案件番号の分離。


 原本の別保管。


 承認経路の変更。


 そして、第十三条。


 アルトは一枚の改訂理由書を見つけた。


『複数部署をまたぐ案件について、原本所在及び承認経路の混乱を防止するため』


「表向きの理由は、正しい」


 アルトは言った。


「だから誰も疑わなかった」


 フェルナンが黙り込む。


 制度としては合理的。


 現場の負担も減る。


 機密資料も守れる。


 だから承認された。


 そして。


 その仕組みを利用すれば。


 誰にも気づかれずに案件を通常記録から外すことができる。


「ハロルドは、悪意のある制度を作ったわけじゃない」


 アルトは改訂理由書を見つめた。


「でも、悪用できる制度を作った」


 その違いは大きい。


 そして。


 黒帳が十年間生き残った理由にもなる。


     *


「じゃあ、ハロルドはどこへ行った?」


 フェルナンが聞いた。


 アルトは再び人事記録を広げた。


 今度は十年前から七年前まで。


 一日ずつ。


 一枚ずつ。


 異動履歴を確認していく。


「……十年前の六月」


 アルトが呟いた。


「何かある?」


「役職変更」


 ハロルドの欄。


『記録統括補佐』


 その下に、


『制度運用監査補佐』


 とある。


「降格?」


「違う」


 アルトは首を横に振った。


「所属が変わってない」


 つまり、役職名だけが変わっている。


 さらに三か月後。


 また変わっている。


『制度運用監査担当』


 さらに半年後。


『記録管理顧問』


 フェルナンが眉をひそめた。


「どんどん現場から離れてる」


「そうだ」


 一年後。


 ハロルドは記録管理部の名簿から消える。


 だが。


 退職ではない。


 異動でもない。


 その代わり。


 人事記録の備考欄に、たった一行が残っていた。


『特別業務へ移行』


 アルトの目が止まる。


「特別業務?」


 フェルナンが覗き込む。


「所属先は?」


「空欄」


「期間は?」


「空欄」


「担当者は?」


「……空欄」


 二人は顔を見合わせた。


 普通の人事記録ではあり得ない。


「これ、誰が承認した?」


 アルトは承認欄を見る。


 そこにあったのは。


 セドリック・ヴァーンの印。


「また……」


 フェルナンが呟く。


「セドリックだ」


 アルトはすぐには答えなかった。


 確かに。


 ハロルドの表向きの職務が消えたとき。


 承認したのはセドリックだった。


 だが。


「これだけじゃ、二人が共犯だったとは言えない」


「分かってる」


「セドリックは当時、承認責任者だった」


「つまり、承認する立場だった」


「ああ」


 アルトは記録を閉じる。


「問題は、その『特別業務』が何だったのかだ」


     *


 さらに記録を掘る。


 通常の人事資料には出てこない。


 そこでアルトは、別の資料を要求した。


『制度運用関連記録』


 数時間後。


 古い箱が運ばれてきた。


 中身は、十年前の制度改訂資料。


 アルトは一枚ずつ確認する。


 そして。


「あった」


 ハロルドの名前。


『制度改訂後の運用確認について、現場記録との照合を実施』


 日付。


 十年前の十一月。


 その対象案件。


『S・03』


 アルトの目が鋭くなる。


「ハロルドは、制度を作った後もS・03を見ていた」


 つまり。


 彼はS・03を一度処理しただけではない。


 その後の運用まで確認していた。


 そして、その報告書の最後。


『第十三条適用後の原本管理について問題なし』


 その一文。


 アルトはしばらく黙っていた。


「……問題なし、か」


 フェルナンが言う。


「何か引っかかる?」


「営業の感覚だけどな」


 アルトは報告書を指で叩いた。


「問題がないと報告する人間は、普通なら問題がないことを確認した証拠を残す」


「でも?」


「この報告書には、確認した原本番号がない」


 つまり。


 ハロルドは「問題なし」と書いた。


 しかし。


 何を確認したのか。


 どの原本を見たのか。


 どの経路を確認したのか。


 それが残っていない。


「……消された?」


「可能性はある」


 アルトは答えた。


「でも、もう一つ考えられる」


「何だ?」


「最初から、残さなかった」


 フェルナンが黙った。


 もしそうなら。


 ハロルドは自分が作った制度の弱点を理解していたことになる。


 通常記録を残さず。


 例外案件だけを別管理する。


 その仕組みそのものを知っていた。


 そして。


 三年前。


 ラウルは、その仕組みに気づいた。


「だから、ラウルは消された」


 フェルナンが言う。


 アルトは少しだけ考えてから答えた。


「まだ断定はしない」


「でも……」


「ラウルが危険なところまで近づいたのは間違いない」


 アルトは、ラウルが最後に残した紙を思い出した。


『次に消されるのは、記録ではない』


 そして。


『原本は一つではない』


 最後に。


『13』


 アルトは紙を机に置いた。


「ラウルは第十三条まで辿り着いていた」


「ということは?」


「黒帳の正体を、帳簿じゃなく制度として理解していた可能性がある」


 フェルナンが息を呑む。


「じゃあ、ラウルはハロルドを知っていた?」


「名前までは分からない」


 アルトは首を横に振る。


「でも、制度の出所は追っていたはずだ」


 だから。


 最後の日。


 ラウルはS・03を調べ。


 A―17を検索し。


 承認経路を確認し。


 地下の原本まで辿ろうとしていた。


 そして。


 その途中で呼び出された。


「……ラウルが十三を残した理由も見えてきたな」


 アルトは呟いた。


「誰かに伝えるためだ」


 だが。


 問題が一つ残っている。


「ハロルドは、どこへ消えた?」


 アルトは十年前の人事記録をもう一度見る。


 特別業務。


 空欄。


 そして、その後。


 ハロルドの名前は完全に消える。


 ところが。


 七年前の文書管理課異動記録。


 エドガー。


 セレナ。


 A―17。


 その三つが動いた日。


 別紙に、わずかな記載があった。


『旧制度運用資料について、引継ぎ完了』


 引継ぎ担当者。


 空欄。


 確認印。


 セドリック。


 そして。


 備考欄。


『前任者指示に基づく』


 アルトは、その一文を何度も読み返した。


「前任者……」


 フェルナンが言う。


「ハロルドか?」


「分からない」


 だが。


 アルトは確信に近い感覚を持っていた。


 ハロルドは消えたのではない。


 表側の記録から、役割だけを消した。


 そして、その役割を。


 誰かに引き継いだ。


「……ハロルド・ベイン」


 アルトは名前を口にした。


「この男は、黒帳の首領じゃない」


「じゃあ、何者なんだ?」


 アルトは答えた。


「黒帳が成立する仕組みを知っている最初の人間だ」


 その瞬間。


 執務室の扉が開いた。


「アルト!」


 入ってきた職員が息を切らしている。


「どうした?」


「地下二層の保管庫を確認していた者から連絡です」


 アルトの表情が変わる。


「何か見つかった?」


「いえ」


 職員は首を横に振った。


「逆です」


「逆?」


「地下二層の入退室記録を調べたところ――」


 一枚の記録を差し出す。


 そこには三日前の日付。


 入室者欄。


 名前はない。


 だが、使用された権限コードが記されていた。


『HB―13』


 アルトは目を見開いた。


「……HB」


 ハロルド・ベイン。


 そして。


『13』


 第十三条。


 偶然とは思えなかった。


 アルトは記録を握りしめた。


「フェルナン」


「分かってる」


「ハロルドは、十年前に消えたんじゃない」


「……今も動いている?」


 アルトは答えなかった。


 その瞬間だった。


 廊下の向こうから、走る音が聞こえた。


 職員が振り返る。


 だが、誰も入ってこない。


 次の瞬間。


 記録室の奥で――


 ガタンッ!


 大きな音が響いた。


「何だ!」


 三人が同時に振り返る。


 棚の上に積まれていた書類箱が、一つだけ床へ落ちていた。


 アルトは駆け寄る。


 箱の蓋が開いている。


 中にあったはずの人事記録。


 ハロルド・ベインの資料。


 その束だけが――消えていた。


「……いつからだ」


 フェルナンが青ざめる。


「さっきまで、ここにあった」


 アルトの声が低くなる。


 職員が慌てて扉を見る。


「誰か、入ってきたんでしょうか?」


「扉は?」


「私たちが入ってから、開いていません」


「窓は?」


「ありません」


 アルトは床を見る。


 足跡はない。


 争った跡もない。


 それなのに。


 資料だけが消えている。


 そして。


 机の上に置いていた『HB―13』の記録。


 それまであった紙が。


 アルトの目の前で、ゆっくりと黒く変色していく。


「……何だ?」


 フェルナンが手を伸ばす。


「触るな!」


 アルトが叫んだ。


 だが遅かった。


 紙の端から黒い粉が崩れ落ちる。


 文字が消えていく。


 H。


 B。


 そして。


 13。


「記録そのものを……?」


 フェルナンが息を呑む。


 アルトは紙を掴んだ。


 だが、指の間から粉が落ちる。


「違う」


 アルトは歯を食いしばった。


「これは最初から、記録じゃない」


「え?」


「消される前提で作られた記録だ」


 つまり。


 誰かが今。


 アルトたちの調査を見ている。


 そして。


 調べられた情報を、一つずつ消している。


 アルトは地下二層で見つけた第二原本を胸元へ抱えた。


 もし、これまでと同じなら。


 次に狙われるのは。


 この原本だ。


「フェルナン」


「何だ?」


「今すぐ保管庫を封鎖する」


「分かった」


「それから、誰にもこのことを話すな」


「……内部にも敵がいると思ってるのか?」


 アルトは答えなかった。


 代わりに、机の上を見た。


 さっきまで存在していた紙の跡。


 そこに。


 いつの間にか、一枚の小さな紙片が置かれている。


 アルトは拾わない。


 フェルナンも動かない。


 二人で見る。


 紙には。


『十三を追うな』


 とだけ書かれていた。


 そして、その下。


 今度は数字ではなかった。


『次は、お前だ』


 アルトの背筋を、冷たいものが走った。


 三年前。


 ラウルは呼び出された。


 記録を追ったから。


 そして今。


 アルトは、同じ場所まで来ている。


 違うのは。


 今回は、相手がこちらを見ている。


 アルトは紙片を静かに伏せた。


「……フェルナン」


「何だ?」


「俺たちの調査は、もう秘密じゃない」


 アルトは立ち上がる。


「向こうが、こっちを調べ始めた」


 地下二層から持ち出された原本。


 消えた人事記録。


 そして、目の前に残された警告。


 点だった情報が。


 初めて、こちら側へ向かって伸びてきた。


 アルトは第二原本を抱え直した。


「だったら、先に行く」


 怖くないわけではない。


 だが。


 ラウルが途中で止められた場所まで来たのなら。


 今度は。


 止まるわけにはいかなかった。


営業メモ ①⑨⓪


━━━━━━━━━━━━━━


次回予告


第百九十二話 営業課長、HB―13の持ち主を追う


三日前、地下二層へ入った人物が使用した権限コード。


HB―13。


それはハロルド・ベインと第十三条を示すものだった。


しかし、その記録はアルトたちの目の前で消された。


さらに残された一枚の警告。


『次は、お前だ』


アルトは権限管理記録を追い、HB―13の持ち主を探す。


だが、その権限は「個人」に発行されたものではなかった。


そして記録の奥から、十年前には存在しなかった新たな承認経路が浮かび上がる。

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