第百八十七話 営業課長、ラウルが最後に向かった場所
「原本は一つではない……」
アルトは、机の上に置かれた資料請求票を見つめていた。
ラウルが最後に残した言葉。
『十年前のS・03と、現在のRK・37は同じ経路を通っている』
『次に消されるのは、記録ではない』
そして。
『原本は一つではない』
「フェルナン」
「はい」
「最後の一時間を、もう一度確認する」
「文書管理課へ呼び出される前ですね」
「そうだ」
アルトは時刻を並べた。
十六時三十七分。
承認経路変更履歴の閲覧終了。
十六時四十三分。
旧行政棟への入館。
十七時十二分。
退勤処理。
十七時十五分。
文書管理課から呼び出し。
「この間に何をしたのか」
アルトは指を止めた。
「ここを繋げる」
「でも、十六時四十三分以降の閲覧記録はありません」
「資料閲覧記録はな」
「他の記録を?」
「そうだ」
二人は古い入退館台帳を確認した。
そして。
十六時四十三分。
ラウル・セディア。
旧行政棟二階。
旧監査資料保管室。
「やっぱりここに来ている」
フェルナンが言う。
「目的は?」
「記録にはありません」
「なら、残っているものを見る」
旧監査資料保管室。
古い棚。
その一角に。
ラベルの剥がされた箱があった。
中から出てきたのは、十年前のS・03関連資料。
その中に。
一枚の受付票があった。
「受付番号、S・03」
フェルナンが読む。
「受付日時は十年前の四月十二日」
「ラウルが最初にS・03を調べた日と同じだ」
「はい」
アルトは受付票を裏返した。
そこには小さな手書きが残っていた。
『本原本、別保管』
「……これだ」
「原本はここじゃない」
「そういうことだ」
さらに。
その下に別の記載。
『移管先――第一受付保管記録』
フェルナンが顔を上げる。
「本館一階の受付です」
「ラウルはこれを見つけた」
「だから、ここから移動した?」
「おそらくな」
アルトは時刻を見る。
十六時五十二分。
「問題はここからだ」
「十六時五十二分?」
「ラウルがこの資料を確認した時刻だ」
「でも、入退室記録しかありません」
「違う」
アルトは受付票を指した。
「この資料には、もう一つ番号がある」
フェルナンが覗き込む。
「……照合番号?」
「そうだ」
「S・03とは別ですね」
「『A―17』」
アルトはその番号を書き写した。
「この番号を本館の受付記録で調べたはずだ」
「なぜ?」
「原本の現在位置を確認するためだ」
「でも、三年前の受付記録は?」
「ここにはない」
アルトが立ち上がる。
「本館へ戻る」
二人は急いで本館一階へ向かった。
古い受付記録。
十年前。
S・03。
さらに。
A―17。
フェルナンが検索する。
「ありました」
「何だ?」
「A―17」
「内容は?」
「文書管理課への照合依頼です」
アルトが眉を寄せる。
「十年前の?」
「はい」
「原本保管場所の確認?」
「……違います」
フェルナンの声が低くなる。
「承認経路変更履歴の照合です」
アルトが黙った。
「十年前のS・03」
「はい」
「その時点ですでに、承認経路の変更履歴を追うための照合番号が発行されていた」
「そして、その番号が三年前にも残っていた」
「そうだ」
アルトはRK・37の資料を取り出す。
そこにも。
小さく。
A―17。
「同じ番号です」
「十年前と三年前」
「同じ受付経路」
「同じ照合番号」
「そして、同じ承認印」
アルトは息を吐いた。
「ラウルは、ここまで辿り着いた」
「だから、十六時五十二分にA―17を確認した」
「そうだ」
フェルナンが別の記録を開く。
「待ってください」
「何だ?」
「A―17の検索記録」
「あるのか?」
「三年前の四月十二日」
アルトの表情が変わった。
「時刻は?」
「十六時五十七分」
「誰が検索した?」
フェルナンが画面を見る。
「ラウル・セディア」
二人は顔を見合わせた。
「ここだ」
アルトが言った。
「最後の一時間の空白が埋まった」
ラウルは。
旧行政棟で見つけたA―17を。
本館一階の受付端末で検索した。
その時刻。
十六時五十七分。
「検索結果は?」
フェルナンが画面を開く。
「一件だけです」
「何だ?」
「現在の保管担当――文書管理課」
アルトが固まる。
「十年前の原本が?」
「文書管理課の管理番号に紐づいています」
「つまり」
「原本は十年前から文書管理課へ移されていた?」
「いや」
アルトは首を振る。
「それだけじゃない」
「?」
「三年前のラウルが見つけたRK・37も、文書管理課を経由している」
フェルナンが記録を重ねる。
「……同じ管理番号です」
「やっぱりな」
「S・03」
「A―17」
「RK・37」
「全部が文書管理課の同じ管理経路につながっている」
アルトは検索記録を見る。
そして。
その下に表示された一文に気づいた。
『照合操作を記録しました』
「……照合操作?」
「はい」
「誰に通知される?」
フェルナンが詳細を開く。
「管理責任者」
「誰だ?」
「セドリック・ヴァーン」
アルトは黙った。
「これで」
フェルナンが呟く。
「ラウルが呼び出された理由が……」
「まだ断定するな」
アルトは制した。
「だが、時間は合う」
十六時五十七分。
ラウルがA―17を検索。
十七時十二分。
退勤処理。
十七時十五分。
文書管理課から呼び出し。
「十五分」
フェルナンが言う。
「検索から呼び出しまで十五分です」
「そうだ」
「偶然とは考えにくい」
「俺もそう思う」
アルトは記録をさらに追った。
すると。
十七時一分。
別の記録があった。
『A―17照合履歴 閲覧』
「これは?」
「ラウルじゃありません」
「誰だ?」
「管理端末です」
「操作した人物は?」
フェルナンが確認する。
「……管理責任者権限」
「名前は?」
「セドリック・ヴァーン」
アルトの目が細くなる。
「ラウルがA―17を検索した四分後」
「セドリック側でも確認している」
「そして十一分後に」
「文書管理課から呼び出し」
アルトは椅子に座った。
「これなら繋がる」
「ラウルが何かをしたから、呼び出された」
「正確には」
アルトは訂正した。
「ラウルが、誰かに見られた可能性がある操作をした」
「A―17の照合ですね」
「そうだ」
「でも、セドリック本人が呼び出したとは限らない」
「その通りだ」
アルトは記録を指した。
「管理責任者権限で確認されたことは事実」
「でも、呼び出し命令者の名前は?」
フェルナンが確認する。
「……ありません」
アルトは苦笑した。
「最後まで空欄か」
だが。
今度は違った。
「フェルナン」
「はい」
「呼び出し文の作成端末を見ろ」
「端末?」
「誰が命令したかではなく、どこから作られたかだ」
フェルナンが記録を追う。
「文書管理課の第二区画」
「誰がログインしている?」
「……」
フェルナンの指が止まる。
「エドガー・ミルズ」
アルトは黙った。
「エドガー……」
「十三時四分にもラウルと接触しています」
「そして十七時十五分の呼び出し文を作成した端末も、エドガーのログイン」
「じゃあ、エドガーがラウルを呼び出した?」
アルトは首を振った。
「まだ違う」
「なぜです?」
「エドガー本人が命令した証拠はない」
「でも、端末はエドガーです」
「そうだ」
アルトは一枚の紙を取り出した。
十三時四分。
エドガーの勤務記録。
『旧資料について、ラウル氏より照会あり』
その下。
『該当資料については、現時点での閲覧を推奨せず』
アルトは静かに言った。
「エドガーは昼にラウルへ警告している」
「なのに、午後には呼び出し文を作っている」
「だからこそ確認する必要がある」
「何を?」
「呼び出し文の本文」
フェルナンが記録を開く。
『ラウル・セディア』
『至急来室』
その二行だけ。
しかし。
下書き履歴が残っていた。
フェルナンが開く。
そこには。
最初の文章があった。
『A―17の照合について、確認したい事項があります』
フェルナンが息を呑む。
「これ……」
アルトが見る。
「誰かが消している」
「最終文面から消されています」
「そして、代わりに」
『至急来室』
「つまり」
フェルナンが呟く。
「最初はA―17について呼び出す予定だった」
「そうだ」
「でも、最終的には理由を書かずに呼び出した」
アルトは立ち上がった。
「ラウルは、自分が何を調べたことで呼ばれたのか、分からない状態で文書管理課へ向かった」
「それでも行った」
「いや」
アルトは資料を見た。
「ラウルは分かっていた可能性がある」
「何を?」
「A―17が見つかったことを、相手も把握した」
「……」
「だから、呼び出しに応じた」
「危険なのに?」
「ラウルは逃げなかった」
アルトは静かに言った。
「確認する必要があったんだ」
「何を?」
「A―17の先にある、本当の原本を」
フェルナンが息を呑む。
「つまりラウルは」
「自分が追っていたものに、あと一歩まで近づいていた」
アルトは時計を見る。
十七時十二分。
退勤処理。
十七時十五分。
呼び出し。
その三分間。
ラウルは何を考えていたのか。
「そして」
アルトが言った。
「文書管理課へ向かった」
「自分から?」
「そうだ」
「なぜ?」
アルトは、ラウルの最後の資料請求票を見る。
そこには。
『原本は一つではない』
「本物を見つけるためだ」
フェルナンは黙った。
アルトは最後に一つだけ確認する。
「十七時十五分の呼び出し」
「はい」
「作成者はエドガー」
「はい」
「でも、作成の四分前にA―17を確認したのはセドリックの権限」
「はい」
アルトは二人の名前を資料の端に書いた。
エドガー。
セドリック。
「ここから先は」
アルトが言う。
「二人を同じ線上に置かない」
「え?」
「エドガーは呼び出し文を作った」
「はい」
「セドリックの権限でA―17が確認された」
「はい」
「だが、それだけでは命令系統は証明できない」
「……なるほど」
「俺たちが探すべきなのは、誰が命令したかだけじゃない」
アルトは資料を重ねた。
「なぜ、A―17の照合直後に呼び出しが必要になったのか」
そして。
最後の一枚。
十七時一分の管理端末記録。
そこには。
A―17の照合結果とともに。
小さな警告文が表示されていた。
『旧原本情報との不一致を検出』
アルトの目が鋭くなる。
「これだ」
「不一致?」
「ラウルは、十年前の受付記録を見つけた」
「はい」
「でも、現在の文書管理課の記録と一致しなかった」
「だから?」
「だから、管理側に警告が上がった」
フェルナンが息を呑む。
「ラウルが見つけたのは、消された記録じゃない」
「違う」
アルトは首を振る。
「消された記録と、現在の記録の間にある矛盾だ」
「……」
「そして、その矛盾を最初に見つけたのがラウルだった」
アルトは静かに資料を閉じた。
「その十五分後」
文書管理課から。
ラウルへの呼び出しが入った。
「これで」
フェルナンが呟く。
「最後の一時間と呼び出しが繋がりました」
アルトは頷く。
「ラウルは最後の一時間で、原本を探していた」
「そしてA―17を見つけた」
「その照合によって、現在の記録との不一致が発生した」
「管理側がそれを確認した」
「そして」
アルトは最後の時刻を見る。
十七時十五分。
「ラウルは呼び出された」
その先に。
何があったのか。
まだ分からない。
だが。
一つだけ確かなことがある。
ラウルの失踪は。
退勤した後に突然始まったものではない。
その十五分前。
彼自身の調査によって。
何かが動き始めていた。
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営業メモ ①⑧⑥
最後の行動と、その後に起きた出来事を繋げるには、「時間」だけを見るのでは足りない。
重要なのは、その行動によって何が変化したか。
今回なら、
ラウルがA―17を検索する。
↓
旧原本情報との不一致が検出される。
↓
管理側が照合履歴を確認する。
↓
呼び出し文が作成される。
↓
ラウルが文書管理課へ向かう。
この流れがあることで、最後の一時間が単なる空白ではなくなる。
営業でも同じ。
「この客に電話した直後、なぜ状況が変わったのか?」
そこを追えば、見えなかった原因が見えてくる。
結果だけを見るのではなく、
「その行動によって、誰の画面に何が表示されたのか」
まで追う。
それが、見えない相手の動きを読む方法になる。
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次回予告
第百八十八話 営業課長、最初の受付記録を掘り起こす
A―17の照合によって検出された「旧原本情報との不一致」。
ラウルは、それを見つけた直後に呼び出された。
アルトは十年前の最初の受付記録へ戻る。
そこで発見したのは、現在の記録から消された受付担当者の名前。
さらに、その人物の名前を追うと――。
ラウルが最後に探していた「本当の原本」の保管場所が浮かび上がる。




