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42歳のおっさん、赤ちゃんからやり直す ~営業スキルで異世界改革~  作者: コンペイ党
第3部 営業課長、消えかけた村を再生する編

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第百八十五話 営業課長、十年間同じ印を押した男


「この印の持ち主を調べる」


アルトは、机の上に置かれた承認確認票を見つめていた。


十年前のS・03照合報告。


七年前のエドガーの異動。


ラウル関連資料の移管。


三年前のラウルの勤務記録変更。


そして。


その後二年間続いた給与の承認。


すべてに。


同じ印が押されている。


「フェルナン」


「はい」


「この印を使っている人間の記録を、十年前から全部出せるか?」


「名前からではなく、印影からですか?」


「そうだ」


フェルナンが少し考える。


「難しいですが……やってみます」


「名前だけ追うと見落とす」


「なぜです?」


「役職が変わっている可能性がある」


アルトは承認印を指差した。


「十年前と今で同じ名前でも、権限が違えば別の記録として処理される」


「逆に」


フェルナンが続ける。


「同じ権限を持っていても、役職名が変われば名前検索では追いにくい」


「そういうことだ」


二人は古い人事記録と決裁記録を並べ始めた。


十年前。


九年前。


八年前。


一枚ずつ。


承認欄を確認していく。


「ありました」


フェルナンが声を上げる。


「十年前のS・03照合報告」


「同じか?」


「はい」


「次」


「九年前の監査資料」


同じ印。


「八年前」


同じ。


「七年前」


同じ。


「六年前」


同じ。


「……ずっとありますね」


フェルナンが呟いた。


アルトは頷いた。


「消えないな」


「印がですか?」


「権限がだ」


十年間。


同じ人物が同じ権限を持っていた。


少なくとも。


承認欄だけを見るなら。


そう見える。


「名前は?」


フェルナンが資料をめくる。


「少し待ってください」


古い記録には役職名だけが書かれている。


監査局管理官。


監査承認責任者。


文書管理統括。


内部監査承認官。


そして。


現在は。


「……監査管理統括官」


フェルナンが顔を上げる。


「名前が違います」


「どのくらい?」


「役職名が何度も変わっています」


「名前は?」


「そこです」


フェルナンが一枚の人事記録を指差した。


アルトが覗き込む。


そこには。


名前。


セドリック・ヴァーン。


「セドリック・ヴァーン」


アルトは名前を口にした。


「十年前は?」


「監査局管理官」


「七年前は?」


「監査承認責任者」


「三年前」


「文書管理統括」


「現在」


「監査管理統括官」


アルトは腕を組んだ。


「部署が変わっている」


「はい」


「でも、承認権限は残っている」


「……ずっと」


「そういうことだ」


フェルナンが記録を見直す。


「これなら、黒帳の記録に名前が出てこない理由も説明できます」


アルトが頷く。


「名前を出さなくてもいい」


「印だけで処理できる」


「そうだ」


重要な記録には。


名前ではなく。


承認印だけが残る。


だから。


記録を横断して調べなければ。


同じ人間だと気づけない。


「でも」


フェルナンが眉を寄せる。


「本当に、この人がラウルを消したんでしょうか?」


アルトはすぐには答えなかった。


「まだ違う」


「違う?」


「正確には、ラウルを消した本人だとは断定できない」


アルトは慎重に言った。


「分かっているのは、ラウルに関係する重要な処理の承認者だったことだけだ」


「十年前の報告を止めた」


「そう」


「エドガーの異動も承認した」


「そうだ」


「ラウルの記録移管も」


「そう」


「給与も」


「そうだ」


フェルナンが息を呑む。


「……これだけ重なると」


「だからこそ、慎重に見る」


アルトは記録を一枚ずつ並べた。


「同じ人間が関わっている」


「はい」


「だが、命令したのか」


「……」


「それとも、決裁だけしたのか」


「そこは分からない」


「そういうことだ」


アルトはペンを置いた。


「承認印は、命令の証拠じゃない」


「決裁した証拠」


「そう」


「では、その前に誰かが書類を作っている」


フェルナンの言葉に。


アルトは顔を上げた。


「それだ」


「え?」


「承認者を追うだけじゃ足りない」


アルトは立ち上がった。


「その印を押す前に、誰が書類を作ったのかを見る」


「起案者ですか?」


「そう」


フェルナンがすぐに記録を探し始める。


やがて。


一枚の人事処理票が出てきた。


「ありました」


「ラウルの担当変更?」


「はい」


三年前。


ラウルの所属が。


監査補佐から特別照合担当へ変更された記録。


承認者。


セドリック・ヴァーン。


そして。


その下。


起案者。


「……空欄です」


アルトの表情が変わった。


「またか」


「起案者がない」


「承認者だけが残っている」


フェルナンが首を傾げる。


「こんな人事処理、普通なんでしょうか?」


「普通なら起案者が残る」


アルトは答えた。


「誰が変更を要求したのか分からない」


「でも、承認者は分かる」


「そう」


アルトは記録を見つめた。


「これでは、承認者に『自分で変更を命じた』ように見せることもできる」


「逆に」


フェルナンが言った。


「誰かが勝手に起案して、承認だけ取った可能性もある」


「その通り」


アルトは頷いた。


「だから、もう一つ必要だ」


「何です?」


「ラウル本人が、その変更を知っていたかどうか」


フェルナンが固まった。


「……本人への通知記録」


「そう」


二人は人事通知の記録を探した。


だが。


見つからない。


「ありません」


「三年前の通知記録は?」


「ありません」


「受領確認は?」


「ありません」


「本人の署名は?」


「ありません」


アルトは目を細めた。


「つまり」


「ラウルは、自分が特別照合担当になったことを正式には通知されていない?」


「少なくとも記録上は、そう見える」


フェルナンが黙り込む。


アルトは静かに続けた。


「ここからだ」


「何がです?」


「ラウル失踪までの流れ」


アルトは紙を並べる。


一枚目。


十年前。


S・03照合報告。


ラウルが承認経路の異常を報告。


二枚目。


七年前。


エドガーが文書管理課へ異動。


ラウル関連資料が移管される。


三枚目。


三年前。


ラウルの担当が特別照合へ変更。


しかし本人への通知記録がない。


四枚目。


同じ時期。


RK・37関連資料の移管処理。


五枚目。


その後。


ラウルの勤務記録が。


『勤務終了』


だけになる。


六枚目。


さらに二年間。


給与支給。


「……一つ一つ見ると、全部事務処理です」


フェルナンが言う。


「でも」


アルトが続けた。


「順番に並べると違う」


権限を与える。


ではなく。


権限を狭める。


資料を保存する。


ではなく。


資料の所在を追えなくする。


人事異動をする。


ではなく。


本人への通知記録を残さない。


勤務を終了させる。


ではなく。


退職処理をしない。


給与を止める。


ではなく。


二年間だけ払い続ける。


「ラウルは」


アルトがゆっくり言った。


「一気に消されたんじゃない」


フェルナンが顔を上げる。


「少しずつ、追えなくされたんです」


「そうだ」


その言葉が。


資料庫の静かな空気に落ちた。


ラウルという人間を。


一度に消す必要はない。


仕事を奪う。


記録を分ける。


資料を移す。


担当を変える。


本人への通知を残さない。


そして。


最後に。


勤務記録だけを終わらせる。


それなら。


後から誰かが調べても。


「正式に退職したのか?」


「異動したのか?」


「誰が命令したのか?」


「どこへ行ったのか?」


すべてが分からない。


「でも」


フェルナンが言った。


「給与が二年間残っています」


「そこが重要だ」


「なぜ二年間も?」


アルトは答えなかった。


代わりに給与記録をもう一度確認する。


支給日。


承認日。


承認者。


そして。


受領部署。


「……待て」


アルトの指が止まった。


「どうしました?」


「給与の受領部署が違う」


「え?」


「最初の一年は監査局」


「次の一年は?」


「文書管理課」


フェルナンが目を見開く。


「エドガーの部署……」


「そうだ」


「つまり、ラウルの給与だけが文書管理課を経由している」


「その間、本人は勤務していない」


「では、誰が受け取っていたんです?」


アルトは記録を確認する。


「受領者の欄は?」


「……空欄です」


また。


空欄。


アルトは小さく息を吐いた。


「空欄が多すぎる」


フェルナンが苦笑する。


「この国の書類、穴だらけですね」


「いや」


アルトは真顔だった。


「穴じゃない」


「え?」


「穴を作っている」


フェルナンの顔から笑みが消えた。


アルトは給与記録を指差した。


「ここまで同じなら、偶然じゃない」


ラウルの給与は。


二年間。


存在し続けた。


しかし。


本人の受領記録はない。


「つまり」


フェルナンが呟く。


「ラウルがいないことを、正式には問題にしなかった」


「そう」


「給与を払い続けることで、帳簿上は『勤務終了しただけの人間』として扱った?」


「可能性が高い」


アルトは立ち上がった。


「だから誰も捜索しなかった」


ラウルは。


行方不明者になっていない。


退職者にも。


死亡者にも。


異動者にも。


なっていない。


ただ。


『勤務終了』


という曖昧な言葉の中に。


閉じ込められている。


「ラウルは、失踪したんじゃない」


アルトが静かに言った。


「失踪として扱われないようにされた」


フェルナンが息を呑んだ。


その瞬間。


アルトは一枚の古い記録に気づいた。


三年前。


ラウルの最後の出勤日。


その日の閲覧記録。


「……これだ」


「何です?」


「ラウルが最後に見た資料」


フェルナンが隣に座る。


閲覧記録には。


RK・37。


S・03照合報告。


そして。


もう一つ。


『承認経路変更履歴』


と記載されていた。


「三年前の最後の日に」


アルトは記録を見つめる。


「ラウルは、もう一度この問題を調べている」


「つまり……」


「消される直前まで、調査を続けていた」


フェルナンが息を呑む。


「そして、その日の後に」


アルトは人事記録を見る。


特別照合担当。


勤務終了。


資料移管。


給与継続。


「順番が繋がった」


アルトは立ち上がった。


「ラウルが何かを見つけた」


「それで?」


「その直後に、仕事から切り離された」


「……」


「そして、記録から追えなくされた」


アルトは承認印を見つめた。


「まだ分からない」


「何がです?」


「ラウル本人が、その後どこへ行ったのか」


「生きているかどうかも」


「そうだ」


アルトは断言しなかった。


「だから、失踪の真相を決めつけるな」


「はい」


「まず最後の日に戻る」


アルトは閲覧記録を指差した。


「ラウルが最後に見た資料を全部調べる」


「RK・37」


「S・03」


「承認経路変更履歴」


「そして」


アルトは最後の項目を見る。


「この三つを同じ日に見る必要があった理由だ」


フェルナンが黙り込む。


十年前から続いていた問題。


三年前。


ラウルは最後に。


同じ場所へ戻っていた。


「営業でもそうだ」


アルトは小さく笑った。


「担当者が最後に見た資料には、だいたい理由がある」


「……営業課長、また営業に戻りましたね」


「俺は営業課長だからな」


「今、資料庫ですよ」


「細かいことは気にするな」


フェルナンが苦笑した。


だが。


二人とも。


笑顔は長く続かなかった。


机の上には。


ラウルが最後に見た三つの記録。


そして。


十年間。


何度も押され続けた。


同じ承認印。


ラウル失踪までの線は。


少しずつ。


一本の線になり始めていた。


━━━━━━━━━━━━━━


営業メモ ①⑧④


人が「突然いなくなった」ときは、最後の日だけを調べても分からない。


権限が変わった日。


担当から外された日。


資料が移された日。


通知が消えた日。


給与や契約だけが残った日。


こうした小さな変化を時系列に並べると、「失踪する前に何が起きていたのか」が見えてくる。


営業でも同じ。


突然、取引先から連絡が来なくなった。


それだけを見てはいけない。


その前に担当者が変わっていなかったか。


決裁者が変わっていなかったか。


見積条件が変わっていなかったか。


連絡経路が変わっていなかったか。


結果だけを見るのではなく、その結果に至るまでの「変化」を追う。


それが原因を見つける近道になる。


━━━━━━━━━━━━━━


次回予告


第百八十六話 営業課長、ラウル最後の日の三つの記録


ラウルが最後に閲覧した。


RK・37。


S・03照合報告。


承認経路変更履歴。


なぜ、この三つを同じ日に確認したのか。


アルトは三つの記録を重ね合わせる。


すると。


十年前の報告書には存在しなかった「第四の記録」の存在が浮かび上がる。


そして、その記録には――。


ラウルが最後に残した一行が記されていた。

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