第百八十四話 営業課長、消された受付担当者を追う
「エドガーを先に調べるな、か……」
アルトは机の上に置かれた紙を見つめていた。
昨日、資料庫の前に落ちていた警告文。
『S・03を追うなら、エドガーを先に調べるな』
普通なら。
ここでエドガーを調べるのを止める。
だが――。
「だからこそ調べる」
アルトは紙を裏返した。
やはり何もない。
筆跡も特徴が少ない。
わざと残したようにも。
急いで書いたようにも見える。
「フェルナン」
「はい」
「昨日のエドガーの記録をもう一度」
「もう調べ始めています」
フェルナンが数冊の資料を机に置いた。
「十年前、監査受付担当」
「三年後に文書管理課へ異動」
「はい」
「異動理由は?」
「通常の人事異動です」
アルトが眉を寄せる。
「通常?」
「はい。『文書管理業務の補助』とあります」
「補助?」
「それだけです」
「妙だな」
アルトは人事記録を手に取った。
十年前。
エドガー・ミルズ。
監査受付。
七年前。
文書管理課。
そして。
「異動日は?」
「七年前の四月一日です」
「ラウルは?」
フェルナンが別の資料を開く。
「ラウルの記録に大きな変更が入ったのは……」
ページをめくる。
「同じ年の四月です」
アルトの目が細くなった。
「日付を」
「四月三日」
「三日後か」
「はい」
アルトは二枚の記録を並べた。
エドガー。
四月一日。
文書管理課へ異動。
ラウル。
四月三日。
監査補佐から、特別照合担当へ。
「……同じ時期ですね」
フェルナンが呟く。
「まだ偶然だ」
アルトは即座に答えた。
「だが、偶然かどうかを確認する」
アルトはさらに記録をめくる。
「ラウルの担当変更の理由は?」
「記録には『特別案件への対応』」
「案件名は?」
「ありません」
「またか」
アルトはため息をついた。
「名前のない案件」
フェルナンが苦笑する。
「この国、名前を付けるのが嫌いなんでしょうか」
「いや」
アルトは首を振った。
「名前を付けると、検索できるからだ」
フェルナンの顔から笑みが消えた。
「……なるほど」
アルトは二つの記録を見比べる。
エドガーが文書管理課へ異動した。
三日後。
ラウルの所属が変わった。
そして。
その直後から、ラウルが扱う記録の保管場所も変わっていた。
「フェルナン」
「はい」
「ラウルの資料保管場所を調べる」
「三年前のですか?」
「十年前から全部だ」
二人で記録を追っていく。
監査受付。
内部監査。
特別照合。
文書管理。
複数の部署を跨いで、ラウルの資料は移動していた。
しかし。
「おかしい」
フェルナンが指を止める。
「何が?」
「ラウルの資料だけ、移管先の記載方法が違います」
アルトが覗き込む。
通常なら、
『監査記録A棚から文書庫Bへ移管』
と書かれている。
ところがラウルの資料には。
『文書管理課へ移管』
それだけ。
「棚番号がない」
「はい」
「受領者もない」
「はい」
「移管理由もない」
「……ありません」
アルトはしばらく黙った。
「これだ」
「何がです?」
「ラウルを消した方法」
フェルナンが顔を上げる。
「でも、資料は残っています」
「全部を消す必要はない」
アルトは記録を指差した。
「場所だけ分からなくすればいい」
「……」
「誰かが探しても見つからない」
「でも、正式には移管済み」
「そう」
アルトは頷いた。
「存在しているのに、辿れない」
それは。
三年前に起きたRK・37の移管と同じだった。
「つまり……」
フェルナンが息を呑む。
「ラウルの記録も、RK・37と同じ方法で消された?」
「可能性がある」
アルトはさらに資料を確認する。
すると。
一枚だけ、別の記録が見つかった。
『文書受領確認票』
受領者。
エドガー・ミルズ。
「……あった」
フェルナンが声を上げる。
アルトが紙を取り上げる。
日付。
七年前。
エドガーが文書管理課へ異動した直後だった。
「受領したのは?」
「ラウル関連資料、一式」
「一式?」
「はい」
「具体的な内容は?」
フェルナンが読む。
「監査報告書、照合記録、承認経路資料、人事関連資料……」
アルトの表情が変わった。
「RK・37は?」
フェルナンが続きを確認する。
「……あります」
「やっぱりか」
そこには。
『RK・37関連資料』
と書かれていた。
「つまり」
フェルナンがゆっくり言う。
「エドガーは、ラウルの資料とRK・37の資料を同じ時期に受け取った」
「そうだ」
「でも、なぜ?」
アルトは受領確認票の下を見る。
そこには承認印があった。
昨日見つけたものと同じ印影。
「これだ」
フェルナンが息を呑む。
「十年前の報告書を止めた印……」
「同じだ」
アルトは紙を机に置いた。
十年前。
ラウルが報告書を提出。
その報告書を止めた人物がいる。
七年前。
エドガーが文書管理課へ異動。
その直後、ラウル関連資料とRK・37関連資料を受領。
三年前。
ラウルの記録が消える。
そして。
RK・37の正式な保管場所から原本が消える。
「全部、同じ線の上にある」
アルトが呟いた。
だが。
フェルナンが一つの記録を指差した。
「待ってください」
「どうした?」
「エドガーが受領した資料の中に、ラウル本人の人事記録があります」
「当然だろう」
「違います」
フェルナンが首を振った。
「この記録だけ、受領日が違う」
アルトが身を乗り出す。
「何日だ?」
「四月三日」
アルトの表情が変わった。
エドガーの異動。
四月一日。
ラウルの特別照合担当への変更。
四月三日。
そして。
ラウルの人事記録をエドガーが受領した日。
四月三日。
「同じ日だ」
「はい」
フェルナンが別の資料を取り出す。
「しかも、ラウルの特別照合担当への変更処理も四月三日です」
アルトは椅子に座った。
「……つまり」
その日。
ラウルの所属が変わった。
ラウルの人事記録が作り直された。
そして。
エドガーがその記録を受け取った。
「これは偶然とは言いにくい」
フェルナンが呟く。
アルトは答えなかった。
代わりに、受領確認票を裏返した。
そこに。
小さな手書きの文字があった。
『旧記録、廃棄対象』
「……廃棄?」
フェルナンが絶句する。
「ラウルの旧人事記録が?」
「そう」
「でも、実際には残っています」
「だから問題なんだ」
アルトは紙を見つめる。
廃棄対象。
しかし、廃棄されていない。
誰かが残した。
それとも。
廃棄したことにして隠した。
「エドガーが廃棄した?」
フェルナンが尋ねる。
アルトは首を振った。
「まだ分からない」
「でも、受領者はエドガーです」
「受領者と廃棄した人間は同じとは限らない」
「では、誰が?」
アルトは承認印を見る。
「この印を押した人間だ」
フェルナンが黙り込む。
「エドガーは指示を受けていた?」
「その可能性がある」
「つまり、エドガー自身も黒帳の中心ではない?」
「そうかもしれない」
アルトは慎重に言った。
「むしろ、エドガーは記録を動かす役割だった可能性がある」
「記録を動かす……」
「監査から文書管理へ移される」
「ラウルの資料を受け取る」
「その後、資料の保管場所を変える」
「そして、旧記録を廃棄対象にする」
アルトは一つずつ指を折った。
「これなら全部つながる」
フェルナンが息を呑む。
「でも、ラウル本人は?」
アルトの手が止まった。
「そうだ」
まだ一つ。
最大の空白がある。
ラウル本人が。
いつ。
どこで。
どうやって消えたのか。
「三年前の記録を出す」
「はい」
フェルナンが資料を開く。
ラウルの最終勤務記録。
そこには。
『特別照合担当 勤務終了』
とだけ記載されていた。
「退職処理は?」
「ありません」
「異動処理は?」
「ありません」
「死亡処理は?」
「ありません」
アルトの目が細くなる。
「つまり、ラウルは正式には退職していない」
「では……」
「消えたんじゃない」
アルトは静かに言った。
「記録上、消したことにされたんだ」
フェルナンが息を呑む。
そして。
その下にある給与記録を確認する。
「給与は……二年間支払われています」
「誰の承認だ?」
フェルナンが確認する。
「……同じです」
「何が?」
「受領確認票の承認印と同じ権限者です」
アルトは立ち上がった。
「これで繋がった」
十年前。
ラウルが異常な承認経路を発見。
報告書を提出。
報告は止められる。
七年前。
エドガーが文書管理課へ異動。
ラウルの資料を受領。
旧記録を廃棄対象にする。
三年前。
ラウルが記録上から消える。
しかし給与だけは二年間継続。
その給与を承認した人物も同じ。
「エドガーはラウルを消した人間じゃない」
アルトは言った。
「じゃあ……」
「ラウルを消すための記録処理を担当した人間だ」
フェルナンが息を呑む。
「では、その指示を出したのは……」
アルトは承認印を見た。
「この印の持ち主だ」
そのとき。
資料庫の外から足音が聞こえた。
二人が振り返る。
コツ。
コツ。
ゆっくり近づいてくる。
そして。
扉の前で止まった。
アルトは目を細める。
「フェルナン」
「はい」
「さっきの紙をしまえ」
「警告文ですか?」
「そうだ」
「なぜ?」
アルトは小声で答えた。
「今度は、誰かが聞いているかもしれない」
足音が消えた。
しばらくして。
アルトが扉を開ける。
そこには誰もいない。
ただ。
机の上に置いていたはずの資料の一枚が。
廊下に落ちていた。
ラウルの人事記録。
そして、その上に。
赤い線が一本引かれていた。
線が引かれていたのは。
エドガーの名前ではない。
承認印の人物名だった。
アルトは紙を拾い上げる。
「……なるほど」
フェルナンが顔を覗き込む。
「何が分かったんです?」
アルトは赤線を見つめた。
「誰かが、俺たちに教えてくれた」
「何を?」
「エドガーを追う必要はない」
アルトはゆっくり顔を上げた。
「もう一段上を追えってことだ」
黒帳の奥。
そこには。
十年前から同じ承認権限を持つ人物がいる。
ラウルの報告を止め。
エドガーを文書管理へ動かし。
ラウルの記録を消し。
その後二年間。
ラウルの給与まで承認していた人物。
「フェルナン」
「はい」
「この承認印の持ち主を、十年前から現在まで全部調べる」
「分かりました」
「ただし――」
アルトは一度、廊下を見る。
「本人にはまだ近づくな」
「なぜです?」
「俺たちが誰を追っているのか」
アルトは資料を閉じた。
「向こうも、もう知っている」
黒帳の調査は。
ついに。
記録を動かしていた人間へ届き始めた。
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営業メモ ①⑧③
複数の出来事をつなげるときは、「同じ人物が関わっているか」だけを見るのではなく、「同じ処理が繰り返されているか」を確認する。
今回のように、
異動。
記録の移管。
保管場所の変更。
旧記録の廃棄。
給与の承認。
一見すると別々の事務処理でも、同じ承認権限を通っているなら、一つの流れとして見ることができる。
営業でも同じ。
担当者が変わった。
見積書が変わった。
決裁者が変わった。
連絡先が変わった。
それぞれを別々の出来事として見るのではなく、時系列に並べる。
「誰が、いつ、何を動かしたのか」
これを整理すると、表面上は見えなかった関係が見えてくる。
営業では、人ではなく「流れ」を追う。
流れを追えば、途中で誰が関与したのかが浮かび上がる。
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次回予告
第百八十五話 営業課長、十年間同じ印を押した男
ラウルの報告を止めた承認印。
エドガーの異動を承認した印。
ラウルの記録を消す処理を承認した印。
そして、消えた後も二年間続いた給与を承認した印。
すべてが同じ人物へつながっていた。
アルトは、その人物の十年間の役職と権限を調べ始める。
すると、驚くべき事実が判明する。
その人物は十年前から現在まで、一度も黒帳関連の記録に名前を残していなかった。
だが――。
すべての重要な記録に、その人物の「印」だけが残されていた。




