第百八十三話 営業課長、ラウルが十年前に追っていたもの
「十年前まで戻るぞ」
アルトは、机の上に並べた資料を見ながら言った。
RK・37。
R・2。
S・03。
そして、ラウル・セディア。
三年前から追っていたはずの案件が、実は十年前から続いていた。
しかも。
ラウルは十年前から、この問題に関わっていた。
「十年前の人事記録を出します」
フェルナンが資料棚へ向かう。
「ただ、十年前となると紙の台帳しかありません」
「時間はかかる?」
「かなり」
「どのくらい?」
「……半日くらいは」
「よし」
アルトは即答した。
「昼飯までに探そう」
「半日かかると言いましたが?」
「だから昼飯を食べながら探せばいい」
「営業課長……」
フェルナンが呆れた顔をする。
「食事中まで仕事ですか?」
「営業は食事中こそ情報交換の時間だ」
「それ、ただの働きすぎでは?」
「……否定はしない」
二人は資料庫へ向かった。
十年前。
その頃の記録は、現在の電子台帳とは管理方法が違う。
年度ごとに分けられた厚い帳簿。
人事異動。
所属変更。
監査記録。
承認履歴。
それぞれが別々に保存されている。
「まずはラウルの所属からだ」
アルトは一冊目の帳簿を開いた。
「十年前の所属は……監査補佐」
昨日見つけた原本と一致する。
「ここから、ラウルが担当した案件を探す」
「監査補佐の記録は多いですよ」
「全部見る必要はない」
アルトはページをめくる。
「RK・37に関係する記録だけを探す」
「番号が分かっているなら早いですね」
「そう思うだろ?」
アルトが苦笑した。
「ところが、十年前の記録にはRK・37がない」
「え?」
フェルナンが身を乗り出す。
「ありません」
「つまり?」
「管理番号が違った?」
「その可能性がある」
アルトは昨日の原本を取り出した。
「RK・37は現在の管理番号だ」
「十年前は別の番号だった?」
「そう考えるのが自然だ」
ならば。
探すべきものは番号ではない。
内容だ。
アルトは十年前の監査記録を一枚ずつ確認していく。
物品。
承認。
受領。
移管。
その中から、三つの記録を抜き出した。
「これだ」
「何が共通しているんです?」
「担当部署が同じ」
「それだけですか?」
「もう一つある」
アルトは三枚を並べた。
「全部、承認者が途中で変更されている」
フェルナンの表情が変わった。
「途中で?」
「最初の申請者と、最終承認者が違う」
「それは普通では?」
「普通ならな」
アルトは一枚目を指差した。
「問題は、変更理由が全部同じなんだ」
『承認経路調整』
「……これ」
フェルナンが眉を寄せる。
「今の黒帳案件でも出てきた言葉です」
「そう」
アルトは静かに答えた。
「ただし、十年前の記録には黒帳という言葉はない」
三枚の記録。
すべてに同じ処理。
申請。
承認。
承認者変更。
そして、最終承認。
表面上は、単なる事務処理に見える。
しかし。
「ラウルは、これを不自然だと考えた」
アルトが言った。
「だから照合した」
フェルナンが昨日の原本を思い出す。
『第一回照合』
「十年前のラウルが最初に調べたのは、RK・37そのものではなかった」
「承認経路?」
「そうだ」
アルトは三枚の記録を並べ直した。
「同じ処理が複数の案件で繰り返されている」
「つまり……」
「同じ人間か、同じ仕組みが関わっている」
フェルナンが黙り込む。
アルトはさらに記録を探した。
すると。
一枚の薄い報告書が挟まっていた。
表紙には、案件名が書かれている。
『S・03照合報告』
「……これです」
フェルナンが呟く。
アルトの手が止まった。
「S・03」
昨日の原本。
三年前の人事記録。
そして十年前の報告書。
すべてが繋がった。
「開くぞ」
アルトが慎重に報告書を開く。
そこには、十年前のラウルの文字が並んでいた。
『複数案件において、承認経路変更後の最終承認者が一致している』
「最終承認者が同じ……」
フェルナンが読む。
アルトは次のページをめくった。
『変更理由はいずれも承認経路調整とされているが、変更申請の起点が記録上存在しない』
「起点がない?」
「そういうことだ」
申請がある。
承認経路が変更される。
最終承認者が決まる。
だが。
誰が変更を依頼したのか。
その記録だけが存在しない。
「まるで……」
フェルナンが言葉を止めた。
「最初から変更されることが決まっていたみたいですね」
アルトは頷いた。
「ラウルも、そう考えたんだろう」
報告書の最後には、こう書かれていた。
『通常の承認手続きとは別に、事前調整された経路が存在する可能性あり』
アルトの目が細くなる。
「これが最初の報告か」
「でも、黒帳とは書いてありません」
「当然だ」
「なぜです?」
「十年前には、まだ黒帳という名前がなかった可能性がある」
アルトは報告書を読み進める。
そして最後のページで止まった。
『本件について、追加照合を実施する』
その下に。
『照合対象――S・03』
さらに。
『R・2との関連性を確認』
「R・2……」
フェルナンが呟く。
「十年前から、R・2が出てきます」
「そうだ」
アルトは椅子に座った。
ここまで来て、ようやく見えてきた。
R・2は三年前に突然現れたものではない。
十年前から存在していた。
そしてラウルは、その存在を追っていた。
「じゃあ、R・2は人間じゃない?」
フェルナンが尋ねる。
「まだ分からない」
「でも、S・03と並んでいます」
「だからこそ慎重に見る」
アルトは報告書の記載を指で追った。
「コードなのか」
「人物なのか」
「部署なのか」
「それとも、案件そのものなのか」
「……分からないですね」
「分からないから、調べる」
アルトは次の資料を探した。
すると。
報告書の裏側に、別紙が一枚挟まっていた。
正式な様式ではない。
手書きだった。
『報告内容について、これ以上の照合は不要』
「……誰の指示です?」
フェルナンが尋ねる。
アルトは紙の下を確認した。
そこには承認印がある。
印影を見た瞬間。
アルトの表情が変わった。
「この印……」
「知っているんですか?」
「黒帳の資料で見た」
フェルナンが息を呑む。
「同じ人物?」
「まだ断定はできない」
アルトは印影を見つめた。
「だが、少なくとも同じ承認権限を持つ人間が関わっている」
さらに、その横には小さな文字があった。
『報告書は正式記録へ登録しないこと』
フェルナンが絶句する。
「正式記録に登録しない?」
「そう書いてある」
「じゃあ、この報告書は……」
「本来なら存在しない」
アルトは報告書を閉じた。
だが。
ここで一つ疑問が生まれる。
「だったら、なぜ残っている?」
「……ラウルが隠した?」
「可能性はある」
「それなら、昨日見つかった原本も……」
「同じかもしれない」
アルトは考え込む。
ラウルは消されることを予想していた。
だから正式記録には残さず、別の場所へ証拠を残した。
十年前。
そして三年前。
二度にわたって。
「ラウルは、最初から自分の報告が消されることを想定していた」
「そんな……」
フェルナンが息を呑む。
「十年前からですか?」
「おそらく」
アルトは手書きの紙を見る。
そして、そこに書かれた承認印をもう一度確認した。
「でも、まだ足りない」
「何がです?」
「この報告書を受け取った人間だ」
「承認印の人物では?」
「違う」
アルトは首を振った。
「承認した人間と、最初に報告書を受け取った人間は別だ」
「どうして分かるんです?」
「ラウルの提出記録がある」
報告書の端。
小さな受付印。
そこには――。
『監査受付 午前十一時二十三分』
その下に、受付担当者の印。
「この人物を調べる」
「名前は?」
アルトは印影の横にある文字を読む。
「エドガー・ミルズ」
フェルナンが資料を探し始める。
「十年前の受付担当……」
数分後。
「ありました」
フェルナンが一枚の人事記録を取り出した。
「エドガー・ミルズ。監査受付担当」
「その後は?」
「三年後に異動」
「どこへ?」
フェルナンが記録をめくる。
「文書管理課です」
アルトの手が止まる。
「文書管理?」
「はい」
「何年?」
「七年前です」
アルトはゆっくり立ち上がった。
十年前。
ラウルが報告書を提出。
三年後。
受付担当だったエドガーが文書管理へ異動。
そして三年前。
ラウルが記録から消える。
「偶然にしては……」
フェルナンが呟く。
「まだ偶然だ」
アルトは即座に答えた。
「証拠がない段階で線を引くな」
「はい」
「だが、確認する価値はある」
アルトは資料を閉じた。
「エドガー・ミルズの七年前から三年前までの仕事を調べる」
「文書管理で何を担当していたか?」
「そうだ」
そしてアルトは、昨日の原本を思い出した。
消えた棚。
移管された記録。
存在しないはずの原本。
そして。
それを保管していた古い箱。
「もしエドガーが文書管理で記録移管に関わっていたなら……」
アルトは呟く。
「三年前のラウルの記録消失にも、繋がるかもしれない」
フェルナンが頷いた。
だが、その直後。
資料庫の扉が二度、軽く叩かれた。
コン、コン。
二人が同時に振り返る。
「誰だ?」
返事がない。
アルトが扉へ近づく。
ゆっくり開ける。
そこには誰もいなかった。
ただ。
床に一枚の紙が落ちていた。
アルトは拾い上げる。
紙には一行だけ。
『S・03を追うなら、エドガーを先に調べるな』
「……何だ、これ」
フェルナンの顔が青ざめる。
「誰か、聞いていたんでしょうか?」
アルトは紙を裏返した。
何もない。
「いや」
「では?」
アルトは紙を見つめる。
「聞いていたなら、こんな紙を置く必要はない」
「……警告?」
「たぶんな」
アルトは紙を折った。
そして。
少しだけ笑った。
「営業で一番困るのは、断られる客じゃない」
「え?」
「こっちが質問する前に、答えを置いていく客だ」
「……それ、今ですか?」
「今だ」
アルトの表情から笑みが消える。
「誰かが俺たちに、調べる順番を教えている」
そして。
アルトは紙を机の上に置いた。
「つまり、俺たちがどこまで調べているかを知っている」
フェルナンが息を呑む。
黒帳の中にいる人間。
ラウルを消した人間。
あるいは。
ラウルと同じものを追っている人間。
まだ、誰なのかは分からない。
ただ一つ。
こちらを見ている誰かがいる。
その事実だけは、はっきりした。
アルトは資料をまとめる。
「フェルナン」
「はい」
「エドガーを調べる」
「紙には、調べるなと……」
「だから調べる」
「ですよね」
フェルナンが苦笑する。
「営業課長、こういうときだけ妙に素直じゃないですよね」
「営業はな」
アルトは扉を閉めた。
「『調べるな』と言われた情報ほど、確認したくなるんだ」
黒帳の謎は。
十年前まで遡った。
そして今。
新たな名前が浮かび上がった。
エドガー・ミルズ。
その男が知っているものは。
ラウルの消失だけなのか。
それとも――。
黒帳そのものなのか。
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営業メモ ①⑧②
調査では、「調べるな」という情報そのものを結論にしてはいけない。
重要なのは、なぜ調べるなと言われたのか。
誰が言ったのか。
いつ言ったのか。
そして、その情報を調べることで誰に影響があるのか。
今回のように、調査対象を指定してくる情報が突然現れた場合も同じ。
相手の言葉をそのまま信じるのではなく、その言葉が生まれた背景を見る。
営業でも、
「この担当者には話さなくていい」
「この商品は提案しなくていい」
「今は連絡しなくていい」
と言われることがある。
その言葉を無視する必要はない。
ただし、理由を確認する。
指示そのものよりも、その指示が出された理由のほうに重要な情報が隠れている場合がある。
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次回予告
第百八十四話 営業課長、消された受付担当者を追う
十年前の報告書を受け取った男、エドガー・ミルズ。
その後、文書管理課へ異動していたことが判明する。
さらに調べると、エドガーが担当した記録の中に、三年前のラウルの人事記録と奇妙な一致が見つかる。
しかし、アルトたちの前には一枚の警告文が残された。
『エドガーを先に調べるな』
ならば――。
誰を先に調べるべきなのか。
アルトが過去の記録をもう一度洗い直すと、そこにはラウルが十年前に一度だけ接触した人物の名前が残っていた。




