第百八十話 営業課長、消えた棚の中身を追う
黒帳の一件が動き始めてから、三日。
アルトは執務室にある古い記録棚を眺めていた。
「……やっぱり、おかしい」
棚の一角。
本来なら、古い承認記録が保管されているはずだった。
だが――。
そこだけ、空いている。
「ここだけ記録がない」
隣に立つフェルナンが棚を覗き込む。
「誰かが持ち出したのでしょうか?」
「可能性はある。でも、それなら持ち出しの記録が残るはずだ」
アルトは棚の下に目を向けた。
床には薄く埃が積もっている。
しかし、棚の手前だけ。
不自然に埃が途切れていた。
「この棚、最近動かされてる」
「分かるんですか?」
「営業では、こういう小さな違和感が大事なんだよ」
アルトはしゃがみ込み、棚と壁の隙間を確認する。
すると――。
「……あった」
細長い紙切れが、棚の奥に挟まっていた。
フェルナンが手を伸ばす。
「触るな」
「罠ですか?」
「分からない。だから確認してからだ」
アルトは紙の端を観察する。
薄い赤い線。
そして、その横に小さな印があった。
「これは……」
「何か分かりますか?」
「紙を抜いた場所を示した印だと思う」
アルトは慎重に紙を取り出した。
そこに書かれていたのは、たった一つ。
『R・2』
アルトの目が細くなる。
「……またR・2か」
黒帳の調査で何度も出てきた記号。
偶然で片付けるには、重なりすぎている。
「フェルナン」
「はい」
「この棚の管理記録を持ってきてくれ」
「いつからですか?」
「十年分」
フェルナンが固まった。
「十年……ですか?」
「十年」
「かなりの量になりますよ」
「だから必要なんだ」
アルトは紙を机に置いた。
「消えた中身だけを探しても意味がない」
「では、何を?」
「誰が、いつ、何のために消したのか」
アルトは記録棚を見つめる。
「そこまで分かって、初めて証拠になる」
数時間後。
執務室には大量の管理記録が積み上がっていた。
アルトは一枚ずつ確認していく。
棚の管理担当。
閲覧者。
移動記録。
承認者。
そして――。
「……あった」
一枚の記録で、アルトの手が止まった。
三年前。
棚R・2の管理担当が変更されている。
「異動?」
フェルナンが記録を覗き込む。
「はい。ですが……」
アルトが指を差した。
「ここ」
異動理由の欄。
そこだけが空白だった。
「理由が書かれていませんね」
「普通じゃない」
「単なる記入漏れでは?」
「もちろん、その可能性もある」
アルトは即座に否定しなかった。
「だから、ここだけで決めつけない」
さらに下へ目を移す。
異動を承認した人物。
アルトの視線が止まった。
「……この署名」
「知っているんですか?」
「黒帳の資料で見た」
フェルナンの表情が変わる。
「まさか……」
「まだ何も確定していない」
アルトは記録を閉じた。
「でも、調べる価値は十分ある」
「次は何を?」
アルトは三年前の異動記録を取り出した。
「異動した本人を調べる」
「その人物の行動を?」
「そう」
アルトは一枚の記録を指で叩く。
「特に、異動する直前」
「直前?」
「何を閲覧したのか」
フェルナンが息を呑む。
「棚の中身が消えた時期と、異動の時期が近ければ……」
「点が線になる」
アルトは静かに立ち上がった。
消えた記録。
空白の異動理由。
R・2。
そして三年前の人事異動。
まだ証拠と呼べるものはない。
だが――。
「黒帳は、記録を消したんじゃない」
アルトは棚を見つめる。
「記録を消したように見せたんだ」
フェルナンが振り返る。
「どういう意味です?」
アルトは少しだけ笑った。
「本当に消したなら、こんな不自然な痕跡は残らない」
「……」
「誰かに見つけてほしかったんじゃないか?」
その言葉に、執務室の空気が変わった。
罠なのか。
それとも、内部からの助けなのか。
まだ分からない。
だが一つだけ確かなことがある。
この棚には――。
黒帳へ繋がる何かが隠されている。
「フェルナン」
「はい」
「三年前の閲覧記録を探すぞ」
アルトは記録の山を見て、小さく息を吐いた。
「営業課長、今度は過去十年分の帳簿と戦うか……」
「そこですか?」
「いや、地味に一番きつい」
フェルナンが苦笑した。
黒帳との戦いは、まだ終わっていなかった。
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営業メモ ①⑦⑨
問題が起きたときは、「何が起きたか」だけを見るのではなく、「誰が」「いつ」「なぜ」を確認する。
結果だけを追っても、本当の原因には辿り着けない。
営業でも同じだ。
数字が悪い。
売上が落ちた。
契約が減った。
そんな結果だけを見ていても、改善策は見つからない。
大切なのは、その数字が変化した経緯を追うこと。
誰が動いたのか。
いつ変化したのか。
その直前に何があったのか。
そこまで掘り下げれば、表面からは見えなかった原因が見えてくる。
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次回予告
第百八十一話「営業課長、三年前の閲覧記録を追う」
三年前の異動直前。
棚R・2を閲覧していた人物が判明する。
しかし、その人物の名前は――。
黒帳の資料には一度も登場していなかった。
アルトは、その人物が残した記録を追う。
そこから浮かび上がるのは、黒帳とは別の人間関係だった。
果たして、その人物は敵なのか。
それとも――。
黒帳の内部から助けを求めているのか。




