第百七十八話 営業課長、S―11の現在の使用者を追う
「……この名前、どこかで見たぞ」
アルトは現在の組織表を見つめた。
『文書管理調整担当』
その担当者欄。
そこに記されていた名前は――。
「ダリオ・ベルク?」
マルクが声を上げた。
アルトは黙って名前を確認する。
「いや……」
ヴィクターが首を振った。
「ダリオ・ベルクは港湾物流の担当です」
「そうだったな」
アルトは組織表をもう一度見る。
名前は似ている。
だが別人だった。
『ダリオ・ベルク』ではない。
『ダリオ・ベルン』。
「危ないところだった」
アルトは苦笑した。
「名前が似ているだけで同一人物だと決めつけたら、営業失格だ」
マルクが笑う。
「そこは慎重ですね」
「人を間違えると、後で全部ひっくり返るからな」
◆
改めて記録を確認する。
現在のS―11相当権限。
役職――文書管理調整担当。
担当者――ダリオ・ベルン。
入館権限――S―11。
そして。
「使用履歴を出してくれ」
ヴィクターが台帳を持ってくる。
現在までの使用記録は三件。
一件目。
三年前、役職移行時の確認。
二件目。
二年前、王家重要文書の定期確認。
そして三件目。
「……今日です」
アルトの目が止まる。
今日。
午前八時十四分。
S―11使用。
入館理由――。
『承認関連文書確認』。
「今日?」
マルクが身を乗り出す。
「はい」
ヴィクターが頷く。
「ですが、ダリオ・ベルンの勤務記録を見ると――」
アルトは記録を受け取った。
「今日は午後から勤務になっている」
つまり。
午前八時十四分。
ダリオ本人は勤務開始前。
それなのに。
S―11が使われている。
◆
「本人に確認しよう」
アルトが言った。
ほどなくして、ダリオ・ベルンが部屋に入ってきた。
三十代後半。
文書管理調整担当。
表情は穏やかだった。
「アルト様。お呼びでしょうか」
「今朝、S―11を使ったか?」
「S―11?」
ダリオの表情が変わる。
「いいえ」
即答だった。
「私は今日は午後からの勤務です」
「そうだな」
アルトは記録を見せた。
「八時十四分にS―11が使われている」
ダリオは記録を確認する。
「……私ではありません」
「誰かに貸した?」
「いいえ」
「許可証は?」
「私が保管しています」
「今は?」
ダリオは胸元から鍵束を取り出した。
「ここにあります」
アルトは鍵束を見る。
S―11の専用許可証。
確かにある。
「じゃあ、どうやって使った?」
ダリオは答えられなかった。
◆
アルトはヴィクターを見る。
「使用時刻の入退室記録」
「確認します」
数分後。
ヴィクターが戻ってきた。
「八時十四分、S―11使用」
「人物記録は?」
「ありません」
「顔認証は?」
「十一年前の制度なので、当時の記録方式です」
つまり。
名前はない。
顔もない。
残っているのは。
S―11が使われたという事実だけ。
「でも」
アルトが言った。
「一つだけ残っている」
「何です?」
「入館理由だ」
『承認関連文書確認』。
三年前。
十一年前。
そして現在。
すべて同じ。
◆
アルトは三つの記録を並べた。
十一年前。
S―11。
承認関連文書確認。
三年前。
S―11。
文書管理体系再編に関する確認。
現在。
S―11。
承認関連文書確認。
「三年前だけ理由が違う」
ヴィクターが言う。
「いや」
アルトは首を振る。
「違わない」
「え?」
「文書管理体系再編そのものが、承認関連文書の管理方法を変更する作業だった」
つまり。
十一年前にS―11が使われた目的と。
三年前に使われた目的。
そして現在。
根っこは同じ。
「承認経路に触れるための権限だ」
アルトが言った。
◆
そのとき。
ダリオ・ベルンが口を開いた。
「一つだけ、思い出しました」
「何だ?」
「三年前です」
アルトの目が鋭くなる。
「再編の時期に、前任者から引き継ぎを受けました」
「誰から?」
「アーノルド・フェルクです」
「!」
部屋が静かになった。
十一年前。
S―11を使っていた人物。
アーノルド。
その人物から。
三年前。
現在の担当者であるダリオへ引き継ぎが行われていた。
「何を引き継いだ?」
「文書管理の手順です」
「それだけか?」
ダリオは少し考える。
「……一つ、変わった指示がありました」
「言ってみろ」
「S―11についてです」
アルトが身を乗り出す。
「何と言われた?」
ダリオは記憶を辿るように話した。
「S―11は、通常の入館記録に個人名を書かない」
「それは知っている」
「その理由について、アーノルドさんはこう言いました」
ダリオは少し間を置いた。
「『名前ではなく、担当役職を記録するものだから』と」
アルトは黙った。
◆
「他には?」
「はい」
ダリオは続けた。
「S―11を使うときは、必ず承認関連文書の確認理由を記載すること」
「なるほど」
「それから……」
ダリオが眉を寄せる。
「確認した文書は、第八保管庫の整理記録と照合するように言われました」
アルトの表情が変わった。
第八保管庫。
A―07。
E―7。
R・2。
すべてがつながる。
「三年前の引き継ぎ資料は?」
「残っています」
「持ってきてくれ」
ダリオが退出する。
ほどなくして、一冊の薄い冊子を持って戻ってきた。
アルトはページをめくる。
通常の業務手順。
文書受付。
印鑑管理。
保管庫整理。
そして最後。
『例外処理については前任者へ確認すること』。
「例外処理……」
ヴィクターが呟く。
「前任者って、アーノルドですよね」
「そうだ」
アルトはそのページを指でなぞった。
「ここだけ妙に曖昧だ」
「何がです?」
「普通なら、例外処理の内容を書く」
なのに。
『前任者へ確認すること』
だけ。
◆
アルトはダリオに聞いた。
「三年前、アーノルドに直接確認したか?」
「はい」
「何を聞いた?」
「S―11の使用方法です」
「それだけ?」
「……もう一つあります」
ダリオが答えた。
「『S―11を使って確認した文書は、誰の承認を受けるのか』と聞きました」
アルトの目が細くなる。
「アーノルドは何と?」
「それについては――」
ダリオが言葉を止めた。
「『承認者を確認する必要はない』と」
部屋が静まり返った。
「なぜ?」
アルトが聞く。
「私も同じことを聞きました」
ダリオは答えた。
「すると……」
『S―11は、承認者を確認するための権限ではない』
『承認経路そのものを確認するための権限だ』
そう言われた。
アルトは椅子から立ち上がった。
「なるほど」
これまで追ってきた空白。
承認者欄。
承認経路。
A―07。
S―11。
すべてが一本につながる。
「黒帳が必要だったのは」
アルトが静かに言った。
「承認者の名前じゃない」
ヴィクターが顔を上げる。
「承認経路そのもの?」
「ああ」
だから。
名前を残さない。
役職だけを残す。
誰が担当していたかが変わっても。
同じ権限を使える。
◆
アルトは現在の記録を見る。
S―11の使用者。
ダリオ・ベルン。
だが。
今朝の使用者は彼ではない。
「ダリオ」
「はい」
「三年前の引き継ぎ以降、S―11を誰かに貸したことは?」
「ありません」
「では、誰かが役職権限を使った」
アルトは言った。
「役職に紐づいているから、担当者本人がいなくても使える仕組みになっている」
ダリオが青ざめる。
「そんな……」
「お前を疑っているわけじゃない」
アルトは即座に言った。
「むしろ逆だ」
アルトは今朝の記録を示した。
「お前が勤務前なのにS―11が使われた」
そして。
「その時間に、第八保管庫へ入った記録がある」
ヴィクターが別の紙を差し出す。
「入館時刻、八時十四分」
「退館は?」
「八時二十七分」
アルトは記録を見た。
「十三分」
その十三分間。
誰かが第八保管庫で何かを確認している。
「何を見た?」
アルトは呟いた。
そして。
「その記録を探すぞ」
営業メモ
①⑦⑦
権限を人に紐づけるのか。
それとも役職に紐づけるのか。
役職に紐づければ、担当者が変わっても同じ権限を維持できる。
便利な仕組みである一方、管理が甘ければ「誰が実際に使ったのか」が分からなくなる。
今回のように、担当者本人が不在でも権限だけが使われている場合は、権限の管理方法そのものを確認する必要がある。
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次回予告
第百七十九話
「営業課長、八時十四分の十三分間を追う」
現在のS―11使用者は、ダリオ・ベルン。
しかし、今朝の八時十四分。
ダリオが勤務する前に、S―11が使われていた。
入った場所は第八保管庫。
滞在時間は十三分。
そして、その十三分間に――。
「A―07の記録が一度、持ち出されている」
十一年前から続く仕組みが、現在も動いている。




