第百七十六話 営業課長、十一年前の受付担当者を追う
「この名前……」
ヴィクターが古い名簿を指差した。
十一年前。
M―12の登録申請が受け付けられた日。
受付担当者として記録されていたのは――。
「グレゴールじゃない」
アルトは名簿を見つめた。
「文書受付担当、エドガー・ミラー」
「エドガー?」
マルクが驚く。
現在、監査部門にいるエドガー。
アルトたちが追っていたR・2と同じく、十一年前からこの仕組みに関わっていた人物だった。
◆
「待ってください」
エドガー本人が資料を見た。
「十一年前のことです。私には記憶がありません」
「それでいい」
アルトは即答した。
「記憶より記録を確認したい」
十一年前の出勤表。
エドガーは確かに勤務していた。
午前八時から午後五時まで。
受付担当。
だが――。
「問題はここだ」
アルトが受付台帳を指差す。
M―12の申請受付時間。
午後四時十二分。
その時間。
エドガーは受付にいた。
「確かに私ですね」
エドガーの顔が曇る。
「ですが、申請者と会った記憶はありません」
「会った記録もない」
アルトは頷いた。
「受付台帳には申請者名がないからな」
◆
さらに別の記録を重ねる。
受付台帳。
出勤表。
文書回付記録。
そして、警備記録。
午後四時。
文書保管部署から一人が入室。
その人物は――。
グレゴール。
午後四時十一分。
受付前を通過。
午後四時十三分。
退室。
アルトの目が細くなる。
「一分前に来て、一分後に出ている」
「偶然でしょうか?」
ヴィクターが尋ねる。
「それだけならな」
アルトは警備記録の次の行を見る。
『持込文書――一通』
「文書の持ち込み記録があります」
マルクが言った。
「でも、申請者欄は空白です」
「つまり」
アルトは言った。
「グレゴールが何かを持ってきた可能性がある」
だが、まだ断定できない。
文書を持ち込んだ人間と、申請者が同一人物とは限らないからだ。
◆
アルトはさらに十一年前の記録を追った。
すると、別の違和感が見つかった。
M―12の登録処理が終わった翌日。
エドガーの処理記号が使われている。
しかし、その処理を行った場所は受付ではない。
第八保管庫。
「……エドガーは、そこに入っていない」
ヴィクターが確認する。
出勤記録にも、入退室記録にもない。
それなのに。
エドガーの処理記号だけが残っている。
「現在と同じだ」
アルトが呟く。
三年前。
エドガーは監査部門へ異動した。
それなのに、現在の文書管理記録でもエドガーの処理記号が使われていた。
そして十一年前にも。
本人がいない場所で、同じ記号が使われていた。
「つまり、エドガーさんの記号は……」
「本人が使っていない可能性が高い」
アルトは答えた。
◆
そして、三年前の再編記録を確認する。
七月三十一日。
エドガーの異動案。
『承認関連文書の監査業務へ配置』
理由は、
『承認経路の独立性確保』
だった。
アルトはそこで止まった。
「独立性確保……」
「何か問題がありますか?」
エドガーが尋ねる。
「むしろ逆だ」
アルトは記録を見せる。
「あなたが監査へ移ったことで、文書受付と確認の現場から離れた」
「はい」
「そして、その直後からR・2が文書管理の中心になった」
「……」
「つまり三年前の再編で、エドガーさん本人を動かしながら、あなたの処理記号だけは残した」
エドガーが息を呑む。
「人間は移動させる」
アルトは言った。
「でも、記号と承認印は残す」
それなら。
誰かが後から記録を作ることができる。
◆
ローディンが古い記録を見ながら口を開いた。
「黒帳は、人間を買収するだけではありません」
「どういう意味だ?」
「十年前……いや、それより前からです」
ローディンは慎重に言葉を選んだ。
「黒帳は、正規の手続きを利用することを好んでいました」
「正規の手続き?」
「はい」
「偽造するより、正しい書式を使ったほうが疑われにくい」
アルトは黙って聞いていた。
「だから、担当者の記号を借りる」
ローディンが続ける。
「承認印を借りる。保管庫の入室記録を利用する。そして、担当者が異動した後も、その仕組みを残す」
アルトは三年前の再編記録を見る。
「……これだ」
十一年前。
エドガーの記号が使われた。
三年前。
エドガーは監査へ異動。
それでも記号は残された。
そして現在。
同じ記号が再び使われている。
「十一年前に作られた仕組みを」
アルトが言った。
「三年前の再編で、完全に引き継いだんだ」
誰かが。
意図的に。
◆
だが、まだ一つ足りない。
十一年前。
M―12を申請した人間。
それが分からない。
アルトは受付台帳を見る。
申請者欄は空白。
しかし、その横には小さな記載があった。
『口頭依頼』
そして受付時刻。
午後四時十二分。
「エドガー」
「はい」
「十一年前の午後四時十二分。
グレゴールが来たことを覚えていないか?」
エドガーはしばらく考えた。
「……顔までは」
そして。
「ただ、一人ではなかった気がします」
アルトの目が鋭くなる。
「誰と?」
「分かりません」
「服装は?」
「文書保管部署の職員だったと思います」
「二人いた?」
「……はい」
エドガーはゆっくり頷いた。
「グレゴールと、もう一人」
アルトはヴィクターを見る。
十一年前の警備記録には。
グレゴールしか記録されていない。
つまり。
「警備記録に残っていない人間がいた」
「そうなります」
アルトは立ち上がった。
「十一年前の午後四時十二分」
その時間に。
受付へ来た二人。
一人はグレゴール。
そしてもう一人は――。
記録に存在しない。
アルトは警備記録を手に取った。
「次は、警備記録そのものを調べる」
「改ざんされている可能性が?」
「違う」
アルトは首を振った。
「改ざんしたなら、痕跡が残る」
そして。
「最初から記録対象になっていなかったなら――」
アルトは静かに続けた。
「その人間には、別の入館方法があったことになる」
営業課長は、十一年前の王家入館規則を開いた。
そこには。
一般職員とは別の、もう一つの入館区分が記されていた。
営業メモ
①⑦⑤
記録を追うときは、「記録されている人間」だけを見ると見落とす。
誰が記録されていないのか。
なぜ記録されていないのか。
その理由まで確認することで、見えてくる事実がある。
今回のポイントは、十一年前と三年前を別々に考えないこと。
十一年前に作られた仕組みが、三年前の人事再編によって現在の担当者へ引き継がれていた。
人は変わっても、仕組みが残れば同じ問題は繰り返される。
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次回予告
第百七十七話
「営業課長、記録に残らない入館者を追う」
十一年前。
グレゴールと一緒に受付へ来た、もう一人の人物。
しかし、その名前は警備記録にない。
アルトは十一年前の入館規則を調べる。
そこで見つかったのは――。
「この入館区分を使える人間は、限られている」
十一年前の謎が、三年前の再編とさらに深くつながっていく。




