第百七十五話 営業課長、消された申請者を追う
「十一年前の記録と、三年前の異動……」
アルトは二つの資料を机の上に並べた。
左には十一年前の承認印登録記録。
右には三年前の文書保管業務再編記録。
一見すると、まったく別の話だ。
だが。
「……同じ名前が出ている」
ヴィクターが気づいた。
十一年前。
M―12――現在のA―07を登録した人物。
グレゴール・ヴァイス。
そして三年前。
文書保管業務再編案を作成した人物。
同じくグレゴール・ヴァイス。
「偶然じゃないな」
アルトは呟いた。
◆
十一年前。
M―12は承認印として登録された。
三日後。
管理番号がA―07へ変更された。
そして、その管理体系を担当していたのがグレゴールだった。
問題はここからだった。
アルトは三年前の再編案を開く。
「ここを見てくれ」
そこには、こう書かれていた。
『承認文書の受付・確認・保管を分離する』
「三年前の再編で、業務を三つに分けた」
ヴィクターが頷く。
「受付がエドガー。保管と整理がR・2。管理責任をグレゴールが持っていた」
「その通り」
アルトは十一年前の記録を指差す。
「でも、元々この三つの業務は分離されていなかった」
つまり。
十一年前。
グレゴールが管理していた承認印と文書保管の仕組みがあった。
そこから十年近く経って。
三年前、文書保管業務が再編された。
そのとき――。
十一年前から続いていた承認印の管理方法だけが、そのまま残された。
「だからA―07が残った」
ローディンが言った。
「そういうことだ」
アルトは頷く。
「業務担当者は変えた。でも、承認印の流れは変えなかった」
それなら。
三年前の異動にも意味が出てくる。
◆
アルトは三年前の人事記録をもう一度確認した。
七月二十八日。
グレゴールが文書保管業務再編案を作成。
七月三十日。
三人の担当変更を含む人事申請が提出された。
七月三十一日。
再編案が修正された。
当初、
『グレゴールが新体制の管理責任者として残る』
だった部分が消され、
『グレゴールは退職手続きへ移行』
に変わっている。
そして。
エドガーは監査部門へ。
R・2は文書管理担当へ。
八月十八日。
三人の異動・退職処理が同時に承認された。
「待て」
アルトが指を止める。
「三年前の再編は、単なる人事異動じゃない」
「どういう意味です?」
マルクが聞く。
「十一年前にグレゴールが作った管理体系を、三年前に担当者ごと入れ替えたんだ」
「……」
「しかも、承認印A―07は残したまま」
アルトは資料を並べ直した。
十一年前。
グレゴールがM―12を登録。
A―07へ変更。
承認印の管理方法を整備。
十年近く、その仕組みが使われる。
三年前。
業務再編。
エドガーを確認業務から監査へ。
R・2を文書管理へ。
グレゴールは退職。
だが。
A―07の管理方法だけは継続。
「つまり……」
ヴィクターが言葉を選ぶ。
「人間だけを入れ替えて、仕組みを残した」
「そうだ」
アルトは答えた。
「そして、その仕組みを今も使っている」
部屋が静まり返った。
◆
だが、一つ疑問が残る。
「グレゴール本人が黒帳だったということですか?」
マルクが尋ねる。
アルトは首を振った。
「まだ分からない」
「ですが、十一年前から関わっています」
「だからこそ慎重になる」
アルトは続けた。
「グレゴールが黒帳の人間だったなら、もっと単純だ」
問題は。
グレゴールが黒帳ではなくても、この仕組みを利用できることだった。
誰かが十一年前に作った仕組み。
その仕組みを三年前の再編で残した。
担当者だけが変わった。
だから今のR・2は、何も知らずに同じ手順を繰り返している可能性がある。
エドガーの処理記号も同じだ。
本人が知らないところで使われている。
「黒帳が欲しかったのは、人間じゃない」
アルトが言った。
「仕組みだ」
ローディンが顔を上げる。
「……仕組みを残せば、担当者が変わっても使える」
「その通り」
アルトは静かに笑った。
◆
そこで、十一年前の記録に戻る。
M―12の登録申請。
申請者欄は空白。
だが、三年前の再編資料には、奇妙な一文が残っていた。
『既存承認印管理体系を原則として維持する』
「これだ」
アルトが指を置く。
「三年前の再編担当者は、十一年前の仕組みを前提にしている」
つまり。
三年前の異動は、新しい制度を作ったのではない。
十一年前から存在していた仕組みを、現在の担当者でも運用できるように組み替えただけだった。
そして。
その再編案を作ったのがグレゴール。
「十一年前に作った仕組みを」
アルトは低く呟く。
「三年前にもう一度、使える形にした」
それなら、三年前の人事異動にも別の意味が見えてくる。
グレゴールが退職。
エドガーが監査へ移動。
R・2が文書管理へ移動。
――三人が、それぞれ別の場所へ配置された。
まるで。
一つの仕組みを維持するために、役割だけを分散させたように。
「でも……」
ヴィクターが言う。
「誰が三年前の再編を承認したんでしょう?」
アルトは資料を見る。
承認欄。
そこにも――。
名前がない。
アルトは小さく息を吐いた。
「また空欄か」
十一年前。
申請者が消えていた。
三年前。
再編の承認者が消えている。
「黒帳は、十一年前に仕組みを作った」
アルトは二つの資料を重ねた。
「三年前、その仕組みを現在の人間に引き継がせた」
そして。
「今、その仕組みが全国物流改革を止めようとしている」
点と点が。
ようやく一本の線になり始めていた。
アルトは十一年前の受付記録を手に取る。
「なら、次は最初の点だ」
「十一年前の申請者?」
「そうだ」
「でも、申請者欄は消されています」
アルトは笑った。
「だから、申請書以外を見る」
受付時間。
受付担当。
当日の出勤記録。
そして――。
口頭依頼を受けた人間。
「名前を消しても」
アルトは立ち上がった。
「その人間が仕事をした事実までは、全部消せない」
営業課長は、十一年前の受付担当者名簿を開いた。
そこには。
三年前の再編へ続く、最初の名前が残っていた。
営業メモ
①⑦④
仕組みを変えるときは、「誰が担当するか」だけを見ると危険だ。
本当に重要なのは、担当者が変わっても残るルールや承認経路。
十一年前に作られた仕組みが、三年前の組織再編によって現在の担当者へ引き継がれていた。
人は変わっても、仕組みは残る。
そして、その仕組みを利用する側にとっては、それだけで十分な場合がある。
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次回予告
第百七十六話
「営業課長、十一年前の受付担当者を追う」
十一年前の申請者は消されていた。
しかし、受付をした人間は記録に残っている。
アルトは当日の出勤表、受付記録、文書回付記録を照合する。
そして見つかったのは――。
「この人、三年前の再編にも関わっている」
十一年前と三年前。
二つの出来事が、一本の線でつながり始める。




