第百六十六話 営業課長、消された承認記録
――ガチャリ。
重い扉が閉まった。
マルクが扉を押す。
「……開かない」
「外から鍵を掛けたんだ」
ヴィクターが鍵穴を確認する。
「どうする?」
アルトは答えず、先ほどの記録帳を見た。
「フェルナン」
「はい」
「退室時刻の欄は?」
「まだ空白です」
「なら、まだ終わってない」
マルクが呆れた顔をする。
「いや、閉じ込められてるんだぞ?」
「だからだ」
アルトは笑った。
「記録上、俺たちはまだ退室していない」
「……それが何になる?」
「誰かが外から勝手に『退室済み』と書いたら?」
ヴィクターが目を見開く。
「記録改ざんの証拠になる」
「そういうこと」
アルトは記録帳を指差した。
「この帳簿そのものを守る」
フェルナンが頷く。
「分かりました」
アルトは承認記録を机の上に広げた。
「それより、こっちだ」
「承認記録ですか?」
「ああ」
アルトは十年前の記録を見る。
『承認者』
空白。
『承認経路』
空白。
しかし。
その上にある項目には文字が残っている。
『受付番号』
アルトの指が止まった。
「……これだ」
ヴィクターが覗き込む。
「受付番号?」
「名前は消せても、番号まで消すとは限らない」
アルトは番号を書き写した。
「フェルナン。この番号を探せるか?」
「はい」
フェルナンは保管棚から別の帳簿を取り出した。
『王家文書受付台帳』
ページをめくる。
「ありました」
「何て書いてある?」
「受付日、文書番号、提出部署……」
フェルナンの声が止まった。
「どうした?」
「提出部署が空欄です」
アルトは苦笑した。
「やっぱりな」
マルクが首を傾げる。
「また空白かよ」
「でも、受付番号は残ってる」
アルトは別の欄を見る。
「次は文書番号だ」
フェルナンが確認する。
「この文書番号なら、回付台帳があります」
「探そう」
フェルナンはさらに別の帳簿を取り出した。
『王家重要文書回付台帳』
古い。
表紙には十年前の日付。
フェルナンが該当番号を探す。
「……ありました」
全員が集まる。
そこには。
受付日。
文書番号。
回付開始部署。
回付終了部署。
そして。
確認者。
という項目が並んでいた。
「回付開始部署は?」
アルトが聞く。
フェルナンが読む。
「王家物流管理局」
「終了部署は?」
「王家文書保管部署」
「なるほど」
アルトは頷く。
「物流管理局から文書保管部署へ」
ローディンが口を挟む。
「しかし、それだけでは承認経路とは言えません」
「その通り」
アルトは確認者の欄を見る。
「だから、ここを見る」
そこには。
一人の名前が書かれていた。
だが。
その名前には横線が引かれている。
「消されている……」
ヴィクターが呟く。
フェルナンが首を振った。
「違います」
「違う?」
「この横線は訂正線です」
フェルナンは記録を確認する。
「正式な訂正なら、訂正した人間の印が必要です」
アルトが印を見る。
そこには小さな印影が残っている。
「誰の印だ?」
「……確認します」
フェルナンが別の印鑑管理台帳を探す。
ページをめくる。
そして。
指が止まった。
「この印は……」
「誰だ?」
「個人の印ではありません」
「じゃあ?」
「王家文書保管部署の共通確認印です」
アルトの目が細くなった。
「個人名を消して、部署の印だけを残した」
「はい」
ローディンが低く呟く。
「これなら誰が訂正したのか分からない」
「でも」
アルトは台帳の下を見る。
「訂正した日付は残ってる」
日付。
十年前。
物流改革の承認が行われた翌日。
アルトは現在の承認記録を取り出す。
こちらにも。
受付番号。
文書番号。
そして。
同じように、承認経路が空白。
「今の記録も調べよう」
フェルナンが現行の受付台帳を探す。
ほどなくして。
「ありました」
「提出部署は?」
「王家物流管理局」
「回付先は?」
「王家文書保管部署」
アルトは黙る。
「……十年前と同じだ」
ヴィクターが言った。
「偶然ですか?」
「ここまで同じなら、偶然とは考えにくい」
アルトは二つの台帳を並べた。
十年前。
現在。
どちらも。
物流管理局から文書保管部署へ。
しかも。
承認経路の記録だけが抜けている。
「まだだ」
アルトは首を振る。
「経路はもう一段ある」
「どこです?」
フェルナンが聞く。
アルトは受付台帳を指した。
「受付した人間だ」
『受付担当』
そこには名前がある。
十年前。
そして。
現在。
だが。
十年前の担当者はすでに退職していた。
「この人を探すのは難しいですね」
ヴィクターが言う。
「本人を探す必要はない」
アルトは首を振る。
「印鑑管理台帳を見る」
「印鑑?」
「受付担当の印が、誰の管理下にあったかを確認する」
フェルナンが印鑑管理台帳を開く。
ページをめくる。
「……ありました」
そこには。
受付担当者の印。
管理部署。
貸出日。
返却日。
使用目的。
が記録されている。
そして。
一箇所だけ。
不自然な空白があった。
『貸出先』
空白。
『返却確認者』
空白。
『使用目的』
『承認関連』
とだけ書かれている。
アルトが黙る。
「……見つけた」
マルクが聞く。
「何を?」
アルトは台帳を指差した。
「承認経路を消した人間が使った可能性のある印鑑の管理記録だ」
ローディンが顔を近づける。
「ですが、名前はありません」
「必要ない」
アルトは言った。
「名前がなくても、次に調べる場所が分かった」
「どこです?」
「印鑑の貸出記録」
アルトは立ち上がる。
「誰が持ち出したかじゃない」
そして。
貸出日の欄を指差した。
「誰が返却を確認したかを見る」
フェルナンが息を呑む。
「返却確認者……」
「承認記録を処理した人間と、印鑑を管理した人間」
アルトは二つの記録を並べる。
「この二つが重なれば、かなり絞れる」
フェルナンが記録をめくった。
「……ありました」
「十年前か?」
「はい」
フェルナンが読む。
「貸出日は、物流改革の承認日」
アルトが身を乗り出す。
「返却日は?」
「翌日です」
「その翌日が、さっきの訂正日だった」
「はい」
アルトは黙った。
そして。
「返却確認者は?」
フェルナンの指が止まる。
「……空欄です」
マルクが頭を抱える。
「また空白かよ!」
「いや」
アルトが言った。
「ここまで来れば、空白そのものが手掛かりだ」
「どういうことだ?」
「印鑑を借りた記録は残っている」
アルトは貸出日を見る。
「返却も記録されている」
次に。
「でも、返却確認者だけがない」
「つまり?」
「返却確認をした人間が分からないようにした」
ローディンが唸る。
「しかし、それでは決め手にならない」
「だから、もう一つ見る」
アルトは入室記録帳を取り出した。
「この保管庫の入室記録だ」
フェルナンが目を見開く。
「十年前のものを?」
「そう」
古い記録帳を探す。
ページをめくる。
そして。
「あった」
十年前。
物流改革承認日の翌日。
第八保管庫。
入室記録が一件だけ残っている。
「入室者は?」
ヴィクターが聞く。
フェルナンが読む。
「王家文書保管部署……記録管理担当」
「名前は?」
「……空欄です」
アルトは黙って記録を見た。
だが。
すぐ横に。
『入室目的』
とある。
そこには。
『承認関係文書の整理』
と書かれている。
「これだ」
アルトの声が低くなる。
「印鑑の返却確認日」
そして。
「承認記録の訂正日」
さらに。
「第八保管庫への入室日」
三つが。
すべて同じ日だった。
ローディンが息を呑む。
「同じ人物が……?」
「まだ名前はない」
アルトは首を振る。
「でも、行動は一致している」
アルトは三つの記録を並べた。
「承認に使われた印鑑が返却される」
「その日に承認経路が訂正される」
「同じ日に第八保管庫へ、記録管理担当が入る」
アルトは最後の記録を指差す。
「しかも目的は、承認関係文書の整理」
ヴィクターが呟く。
「つまり、承認経路が消されたタイミングと一致している」
「そう」
アルトは頷いた。
「これが決め手だ」
マルクが聞く。
「でも、まだ名前がないぞ」
「だから、現在の記録と照合する」
アルトは現行の入室記録を取り出した。
今年。
全国物流改革の承認準備が始まった日。
第八保管庫。
入室記録。
そこには。
『記録管理担当』
とある。
そして。
その横には。
小さな確認印。
アルトが十年前の印影と現在の印影を並べる。
「同じだ」
フェルナンが息を呑む。
「印影が……一致しています」
ローディンが顔を上げる。
「十年前と現在で、同じ確認印が使われている?」
「そう」
アルトは笑った。
「人間の名前は消せても」
二つの印影を指で叩く。
「印まで消したら、何の印か分からなくなる」
フェルナンが急いで印鑑管理台帳をめくる。
そして。
現在の管理欄を確認する。
「……ありました」
「誰の管理下だ?」
「王家文書保管部署」
「担当者は?」
フェルナンが読む。
その名前を聞いた瞬間。
部屋の空気が変わった。
「……現在も、この部署に在籍しています」
アルトは静かに目を細めた。
「十年前の名前が消されていても」
「今の管理台帳には名前が残っている」
ヴィクターが言った。
「つまり、十年前と現在をつないだのは……」
「名前じゃない」
アルトは答える。
「印鑑」
「入室日」
「そして、記録を整理したという行動だ」
アルトは三つの記録を重ねた。
「同じ部署」
「同じ印」
「同じ保管庫」
「同じ種類の仕事」
そして。
「十年前と現在」
アルトは最後の一枚を置いた。
「二つの事件で、同じ場所を通っている」
マルクが剣の柄から手を離す。
「……ようやく見えたな」
「ああ」
アルトは立ち上がった。
「黒帳が隠していたのは、承認者の名前だけじゃない」
記録帳を見る。
「誰が承認経路を処理したのか」
印鑑管理台帳を見る。
「誰がその処理に使える印を持っていたのか」
そして。
入室記録を見る。
「誰が、その直後に保管庫へ入ったのか」
アルトの目が鋭くなる。
「三つを重ねれば、空白の向こう側にいる人間が見える」
その時。
――ドン!
扉の向こうから大きな音が響いた。
続いて。
「アルト様!」
外から声がする。
フェルナンの声。
だが。
本物のフェルナンはここにいる。
マルクが剣を抜く。
「また偽物か!」
アルトは記録から目を離さない。
「そうだろうな」
「分かるのか?」
「今は確信がある」
アルトは現在の印鑑管理台帳を閉じた。
「黒帳が焦っている」
ヴィクターが聞く。
「なぜ?」
アルトは扉を見る。
「俺たちが、名前ではなく経路を追い始めたからだ」
そして。
三つの記録を大切に重ねる。
「営業じゃ、担当者を問い詰める前に、まず取引の流れを見る」
「流れ?」
「誰が受けて、誰が処理して、誰が確認したか」
アルトは笑った。
「流れには、嘘をつきにくい」
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営業メモ①⑥⑤
「一つの記録だけで、原因を決めつけない。
受付記録。
処理記録。
入退室記録。
印鑑の管理記録。
別々の記録を重ねる。
一つだけなら偶然に見える。
二つ重なれば、関係が疑われる。
三つ重なれば、行動の流れが見えてくる。
営業でも同じだ。
『この担当者が原因だ』
と決める前に、
商談履歴。
見積もり履歴。
受注履歴。
訪問記録。
複数の事実を照合する。
人ではなく、まず流れを見る。
流れを追えば、見えなかった問題が浮かび上がる。」
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次回予告
第百六十七話「営業課長、承認経路を逆にたどる」
十年前。
承認に使われた印鑑の返却。
承認経路の訂正。
第八保管庫への入室。
三つの記録が、同じ日に重なっていた。
そして現在。
同じ印影が、同じ文書保管部署の管理下に残っている。
アルトたちは、ついに「消された承認経路」を人間へとつなげる手掛かりを得た。
だが。
その人物が黒帳の幹部とは限らない。
むしろ――。
黒帳が、その人物を利用している可能性もある。
アルトは次に、現在の担当者が「何を知っているのか」を確かめる。




