第百六十四話 営業課長、黒帳の本命を追う
――カチャ。
扉の向こうで、鍵が動いた。
全員が身構える。
アルトだけは動かなかった。
「……来るぞ」
ギィィィ……。
重い鉄扉が、ゆっくりと開く。
そこに立っていたのは――。
「アルト様」
フェルナンだった。
いや。
正確には。
フェルナンと同じ服を着た男だった。
顔立ちも似ている。
声も同じ。
だが。
アルトは迷わなかった。
「偽物だ」
男の眉が、ほんのわずかに動いた。
「なぜ分かる?」
「簡単だ」
アルトは本物のフェルナンを見る。
「本物のフェルナンなら、俺を呼ぶ時に必ず一度頭を下げる」
フェルナンが目を瞬かせた。
「……私、そんな癖が?」
「ある」
「そうでしたか……」
マルクが呆れた顔をする。
「そこまで見てるのかよ」
「営業は相手を見る仕事だからな」
アルトは偽物の男へ視線を戻した。
「それに、お前はここへ入ってきてから、俺たちの顔を一度も確認していない」
「……」
「誰が怪我をしているか、誰が動けるか。そういう確認をするはずなのに、最初から目的の場所だけを見ている」
アルトは木箱を見る。
「お前が欲しいのは、人間じゃない」
「……」
「情報だ」
男は答えなかった。
だが。
否定もしなかった。
アルトはそこを追及しなかった。
「なら、こっちから聞こう」
アルトは懐から一枚の紙を取り出した。
「これを探しているんだろ?」
男の視線が紙へ向く。
ほんの一瞬。
だが。
今度は驚かなかった。
男は紙を見たまま、静かに言った。
「……それが何かは知らない」
「へえ」
「黒帳が欲しがっているものを、私が全部知っていると思うな」
アルトは笑った。
「なるほど」
むしろ。
その答えの方が自然だった。
末端の工作員が、組織の目的をすべて知っているはずがない。
そして黒帳なら。
情報を必要以上に共有しない。
「じゃあ質問を変える」
アルトは紙を裏返した。
そこには、小さな折り目がある。
「この折り目に見覚えは?」
男はすぐには答えなかった。
一度、紙を見る。
そして視線を逸らす。
「……古い紙だな」
「そうだな」
「保管状態が悪い」
「そうだな」
「それだけだ」
アルトは黙って男を見た。
今の反応。
知らない人間なら、もっと早く視線を外す。
だが。
この男は。
折り目を確認してから答えた。
「なるほど」
アルトは紙をしまった。
「お前は、その折り目そのものを知っているわけじゃない」
「……」
「この名簿を見分けるための特徴を、知っている」
男の表情がわずかに硬くなった。
「違う」
「なら、それでいい」
アルトはあっさり引いた。
「俺が欲しいのは、お前の自白じゃない」
ローディンが前へ出る。
「誰から指示を受けた?」
男は答えない。
「どこから名簿の情報を得た?」
沈黙。
「誰がこの印を使った?」
男の目が、今度は紙の裏へ向いた。
アルトはそれを見逃さなかった。
紙の裏。
そこには小さな印がある。
ローディンが確認する。
「……王家文書保管部署の確認印」
「そう」
アルトは頷いた。
「ただの確認印じゃない」
「何が違う?」
アルトは印の端にある細い線を指差した。
「この線だ」
ローディンが顔を近づける。
しばらく見つめ。
表情を変えた。
「……あり得ない」
「何が?」
「この確認線は……十年前の王家文書にもあります」
アルトの目が鋭くなる。
「同じものか?」
「完全に同じとは断言できません。しかし――」
ローディンは慎重に言葉を選んだ。
「少なくとも、同じ保管手順、あるいは同じ管理系統で使われた可能性があります」
アルトは黙った。
十年前。
レインハルト家が責任を押しつけられた物流改革。
そして現在。
全国物流改革を潰そうとしている黒帳。
その両方に。
同じ王家文書の管理系統が関わっている可能性。
「繋がったな」
アルトが呟く。
マルクが眉をひそめる。
「何が?」
「十年前と今だ」
アルトは男を見る。
「黒帳が十年前から存在していた可能性は、もう十分ある」
ローディンも頷く。
「私が知る限り、その可能性は高い」
「いや」
アルトは首を振った。
「もっと厄介だ」
「……?」
「黒帳が王家の中に入り込んだだけじゃない」
アルトは印を指差す。
「王家の中に昔からある仕組みを、黒帳が利用している」
男の目が細くなった。
「……」
「どうした?」
アルトは尋ねる。
「何か違うか?」
男は答えない。
ただ。
一歩だけ後ろへ下がった。
それだけだった。
だが。
アルトには十分だった。
「なるほど」
「何が分かった?」
ヴィクターが聞く。
「この男も、全部は知らない」
「え?」
「でも、この印が黒帳にとって重要なのは知っている」
男の顔が険しくなる。
「……」
「つまり」
アルトは静かに続ける。
「黒帳の上層部は、この印につながる情報を欲しがっている」
「なぜだ?」
マルクが尋ねる。
「それはまだ分からない」
アルトは正直に答えた。
「だから、こいつを追う」
その瞬間。
男が動いた。
「待て!」
ヴィクターが叫ぶ。
男は踵を返し、廊下へ飛び出す。
マルクが剣を抜く。
「逃がすな!」
だが。
アルトは追わなかった。
「アルト様!」
ヴィクターが振り返る。
「追わないんですか?」
「追う必要がない」
「しかし――」
「こいつは本命じゃない」
アルトは床を見る。
男が走り去った場所。
そこには。
小さな紙片が落ちていた。
アルトは拾い上げる。
一行だけ。
『本命は、第九保管庫』
マルクが眉をひそめる。
「……露骨すぎないか?」
「そう思う」
「じゃあ罠だろ」
「たぶんな」
アルトは紙を折った。
「だからこそ、確認する」
「確認?」
「黒帳が俺たちに、どこへ行ってほしいのか」
アルトは紙片を見る。
「第九保管庫」
そして。
「なら、第九を見せることで、どこから目を逸らさせたいのかを考える」
ヴィクターが息を呑む。
「別の場所……」
「そうだ」
アルトは歩き出した。
「第八保管庫へ行く」
全員が驚く。
「なぜです?」
アルトは笑った。
「営業の基本だ」
「相手が九を見せてきたら――」
「八を見る」
マルクが呆れる。
「それ、本当に営業の基本なのか?」
「たぶんな」
「たぶんなのかよ!」
地下通路に、マルクの声が響く。
だが。
アルトの表情は真剣だった。
第八保管庫。
そこに何があるのか。
まだ分からない。
しかし。
十年前の物流改革資料。
現在の全国物流改革資料。
そして。
王家の承認記録。
もし、この三つが同じ場所に揃っているなら。
そこには。
黒帳が十年間隠してきた何かが残っているかもしれない。
アルトは拳を握った。
「黒帳」
「お前たちが欲しがる情報を、今度はこっちが利用する」
そして。
アルトたちは、第八保管庫へ向かった。
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営業メモ①⑥③
「相手が情報を欲しがっているからといって、相手がすべてを知っているとは限らない。
組織では、情報は分割される。
だからこそ、相手の一人の反応だけで全体を判断してはいけない。
重要なのは、
『何を知っているのか』
『何を知らされていないのか』
『それでも、何を守ろうとしたのか』
を見ることだ。
営業でも同じだ。
相手の言葉だけではなく、反応の変化を見る。
そこに、本当の情報が隠れていることがある。」
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次回予告
第百六十五話「営業課長、第八保管庫へ」
黒帳が残した一枚の紙。
『本命は、第九保管庫』
あまりにも分かりやすい誘導。
アルトは、その裏にある意図を読む。
向かう先は――第八保管庫。
そこに眠るのは、十年前の物流改革資料。
現在の改革資料。
そして、王家の承認記録。
三つの証拠が重なった時。
アルトは、黒帳が十年間隠してきた「ある記録」に辿り着く。




