第百六十二話 営業課長、消えた六人を追う
「ここからは、こっちの番だ」
アルトは銀色の輪を握りしめた。
だが。
「アルト様」
ヴィクターが声をかける。
「何だ?」
「六人を追うなら、急いだ方がいいです」
「理由は?」
「逃げた六人が、すでに次の指示を受けている可能性があります」
アルトは頷いた。
「そうだな」
マルクが周囲を見る。
「でも、どこへ逃げた?」
「分からない」
「分からないのかよ!」
「だから追うんだ」
「それはそうだけど……」
アルトは銀色の輪を光にかざした。
輪の内側に、小さな刻印がある。
「これ、ただの印じゃない」
ヴィクターが覗き込む。
「文字……ですか?」
「数字だ」
そこには。
『7―3』
と刻まれていた。
「何の数字でしょう?」
フェルナンが首を傾げる。
ローディンが突然、顔を上げた。
「……保管棚です」
アルトが振り向く。
「知っているのか?」
「黒帳では、連絡場所を数字で指定することがあります」
「七番の三段目?」
「いえ」
ローディンは首を振った。
「七番区画、三番保管庫です」
アルトの目が鋭くなる。
「どこにある?」
「王家物流管理局の地下です」
全員が黙った。
「……王家物流管理局」
ヴィクターが呟く。
「つまり、黒帳の連絡場所が王家の中にある」
「そういうことだ」
アルトはすぐに歩き出した。
「行くぞ」
しかし。
ローディンが止めた。
「待ってください」
「何だ?」
「そこへ行くのは危険です」
「分かっている」
「違います」
ローディンの声が低くなる。
「危険なのは、そこに何があるかです」
アルトが足を止める。
「どういう意味だ?」
「三番保管庫は、通常の物流記録を置く場所ではありません」
ローディンは続けた。
「昔から、正式な帳簿に載せられない資料を一時保管する場所として使われていました」
「正式な帳簿に載せられない資料?」
「はい」
アルトは考える。
「つまり、黒帳が記録を残したくない情報を置いていた?」
「その可能性があります」
アルトは頷いた。
「なら、行く価値がある」
地下へ向かう。
階段を下りるにつれて、空気が冷たくなる。
やがて。
重い鉄扉が現れた。
扉には。
『第七区画』
と書かれている。
「この先です」
ローディンが言う。
アルトは扉を見る。
鍵がかかっている。
ヴィクターが鍵穴を確認した。
「鍵が必要です」
「ガルド」
「はい」
「開けられるか?」
ガルドは懐から道具を出した。
「少々お待ちください」
カチャ。
カチャカチャ。
「……開きました」
マルクが苦笑する。
「お前、何でもできるな」
「執事ですから」
「執事って何なんだ……」
扉が開く。
中には棚が並んでいた。
七番区画。
一段。
二段。
三段。
アルトは三段目を見る。
「……ある」
小さな木箱。
銀色の輪と同じ刻印がある。
アルトが手を伸ばす。
「待ってください!」
ローディンが叫んだ。
アルトの手が止まる。
「何だ?」
「黒帳なら、そこに罠を仕掛けます」
「なるほど」
アルトは木箱を調べる。
だが。
何もない。
「罠はないようだ」
「なら、逆に怪しいですね」
ヴィクターが言う。
アルトは笑った。
「そうだな」
「どうします?」
「開ける」
「え?」
アルトは木箱を開いた。
中には大量の書類。
そして。
一枚の名簿。
アルトが手に取る。
そこには六人の名前が並んでいた。
「偽護衛の名前ですか?」
ヴィクターが尋ねる。
「違う」
アルトは首を振った。
「これは……」
六人の名前の横に、それぞれ役職が書かれている。
騎士。
御者。
警備員。
文書運搬員。
そして。
最後の一人。
『王家物流管理局・記録管理補佐』
アルトの目が止まった。
「……職員だ」
フェルナンの顔が青ざめる。
「そんな……」
「黒帳は、偽護衛を用意しただけじゃない」
アルトは名簿をめくる。
裏側には一文。
『六人は外部工作員ではない』
その下に。
『王家内部の協力者を守るための囮である』
アルトの表情が変わった。
「やっぱりだ」
ヴィクターが問う。
「何がです?」
「俺たちが六人を追えば、こいつらが逃げる」
「誰が?」
アルトは名簿の最後の名前を見る。
「王家物流管理局の人間だ」
その瞬間。
――カチッ。
背後で音がした。
全員が振り返る。
鉄扉が閉まっていた。
「……閉じ込められた?」
マルクが扉へ駆け寄る。
「開かない!」
ヴィクターが叫ぶ。
「アルト様!」
その直後だった。
棚の奥から。
白い煙が、細く流れ出してきた。
最初はほんのわずかだった。
床を這うように、薄い霧が広がっていく。
「煙……?」
マルクが呟く。
アルトは煙の出ている場所を見る。
「全員、口と鼻を覆え!」
だが。
煙の広がる速度は、想像より速かった。
床一面が白く染まる。
靴先が見えなくなる。
「おい……!」
マルクが一歩下がる。
煙はさらに膝の高さまで上がった。
棚の下段が見えない。
その向こうにあるはずの床も。
仲間の足元さえ。
次々と白に消えていく。
「アルト様!」
ヴィクターの声が少し遠くなった。
「ここにいる!」
アルトが答える。
だが。
自分の声が、煙の中で妙に響く。
「ヴィクター!」
「はい!」
「マルクは?」
「ここだ!」
マルクの声が右側から聞こえた。
しかし。
ほんの数秒後。
「……どこだ?」
マルクの声が反対側から聞こえた。
「右だ!」
「右?」
「そうだ!」
「いや、俺から見て右か?」
「……」
アルトは言葉を失った。
煙が胸元まで上がっている。
視界は、腕を伸ばした先すらぼやけ始めていた。
「動くな!」
アルトが叫ぶ。
「お互いの位置が分からなくなる!」
だが。
煙は止まらない。
天井近くまで一気に広がる。
「くそっ……!」
マルクが咳き込む。
「マルク!」
「大丈夫だ……!」
声だけが響く。
姿は見えない。
アルトは手を伸ばした。
何もない。
一歩進む。
その瞬間。
肩に誰かの手が触れた。
「アルト様!」
「ヴィクターか!」
「はい!」
アルトは手を掴む。
「離れるな!」
「分かりました!」
その直後。
別の方向から声がした。
「アルト様!」
フェルナンだった。
「そこにいるのか?」
「はい!」
アルトは声の方向を見る。
だが。
白い煙しか見えない。
「フェルナン、そこから動くな!」
「分かりました!」
しかし。
その返事が終わる前に。
――ガタンッ!
棚の奥で何かが倒れた。
「誰だ!」
マルクが叫ぶ。
直後。
煙の中を人影が横切った。
一人。
そして二人。
さらに三人。
「六人か……」
アルトが呟く。
偽護衛たちだ。
だが。
姿は一瞬しか見えない。
白い煙の中へ、すぐに溶けていく。
「追います!」
ヴィクターが動こうとする。
「待て!」
アルトが止める。
「追うな!」
「ですが!」
「それが黒帳の狙いだ!」
アルトは煙の中で叫んだ。
「俺たちが見えなくなったところで、六人を走らせている!」
煙はさらに濃くなる。
視界は完全に奪われた。
もう。
自分の手の先すら見えない。
「アルト……」
マルクの声。
今度はすぐ近くから聞こえた。
「ここにいる」
「……本当に?」
「俺だ」
アルトが手を伸ばす。
何かに触れた。
「マルクか?」
「そうだ」
その瞬間。
アルトは気づいた。
「……待て」
「どうした?」
「お前、今どこから来た?」
「お前の左だ」
アルトの表情が変わる。
「さっき、お前は右にいた」
「……」
二人が黙る。
煙によって。
方向感覚まで狂わされている。
アルトはようやく理解した。
「これは逃げるための煙じゃない」
「じゃあ何だ?」
「俺たちを分断するための煙だ」
そして。
アルトは木箱を見る。
もう、その姿すら見えない。
「さらに――」
アルトは低く呟く。
「俺たちが何を持ち出すのか、確認するための煙だ」
煙の向こうで。
誰かが笑ったような気がした。
アルトは目を細める。
「……黒帳」
「そこまでやるか」
だが。
アルトは笑った。
「だったら、こっちも利用させてもらう」
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営業メモ①⑥①
「情報を与えられた時、それをそのまま信じてはいけない。
相手が『これを見てほしい』と思っている情報ほど、注意が必要だ。
本物の情報の中に、偽物を一つ混ぜる。
それだけで、人は簡単に判断を誤る。
情報を見る時は、
『誰が得をするのか』
まで考える。」
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次回予告
第百六十三話「営業課長、本物の裏切り者を見抜け」
煙によって視界を奪われ、仲間の位置すら分からなくなったアルトたち。
その隙に姿を消す六人の偽護衛。
しかし――。
アルトは、この煙幕そのものが「第三の罠」だと気づく。
そして煙が晴れた時。
木箱の中にあったはずの「本物の証拠」が、一つだけ消えていた。
黒帳は何を持ち去ったのか。
そして、なぜそれだけを狙ったのか。
アルトはついに、本物の裏切り者へと手を伸ばす。




