第百六十一話 営業課長、狙われた王女
「もう、時間がありません!」
馬車の中から聞こえたエリシアの声。
アルトは即座に馬車へ近づいた。
「エリシア! 中に何がある?」
「床の下です!」
「爆発物か?」
「分かりません。でも、さっきから音がします!」
――カチッ。
また音が鳴った。
マルクが叫ぶ。
「アルト、離れろ!」
「まだだ!」
アルトは馬車の下へ潜り込む。
床板の隙間から、細い金属線が見えた。
「……なるほど」
「何が分かった!」
「これは単純な爆発装置じゃない」
アルトは線を確認する。
「馬車を動かすと作動する仕組みだ」
ヴィクターの顔が強張った。
「つまり……」
「黒帳は、エリシアを乗せたまま移動させるつもりだった」
アルトは立ち上がる。
「しかも、俺たちが追いつくことまで計算している」
マルクが周囲を見る。
「じゃあ、この馬車そのものが罠か」
「そうだ」
アルトは頷いた。
「俺たちがエリシアを助けようとして馬車を動かした瞬間に――」
言葉を止める。
全員が理解した。
「爆発……」
ヴィクターが呟いた。
アルトは扉へ向かう。
「エリシア。今から扉を開ける」
「はい!」
「絶対に動くな」
「分かりました!」
アルトが扉を開ける。
中にいたエリシアは、手を縛られていた。
だが、怪我はない。
「アルト様!」
「無事か?」
「はい!」
アルトはすぐに縄を切った。
その瞬間。
――カチッ。
三度目の音。
アルトの顔が変わった。
「全員、伏せろ!」
轟音。
……は、起きなかった。
代わりに。
馬車の屋根から黒い煙が噴き出した。
「煙幕!」
マルクが叫ぶ。
視界が一気に奪われる。
「エリシア!」
「ここです!」
アルトが声を頼りに手を伸ばす。
エリシアの手を掴む。
「走るぞ!」
二人が馬車から飛び出す。
その直後。
――ドンッ!
馬車が大きく揺れた。
だが、爆発はしなかった。
アルトは振り返る。
「……爆発しない?」
ヴィクターが叫ぶ。
「アルト様!」
「どうした?」
「馬車の中に、これが!」
ヴィクターが一枚の紙を持っていた。
そこには。
『王女を殺すつもりはない』
と書かれている。
その下に。
『必要なのは、王女がここにいたという事実だけだ』
アルトの目が細くなった。
「……そういうことか」
エリシアが不安そうに尋ねる。
「何が分かったのですか?」
アルトは答えた。
「黒帳の目的は、エリシアを殺すことじゃない」
「では?」
「俺たちを、この場所に集めることだ」
その瞬間。
遠くで鐘が鳴った。
王家の警報鐘だった。
ガルドが駆けてくる。
「アルト様!」
「何が起きた?」
「王宮から緊急連絡です!」
ガルドが息を整える。
「王家の文書保管部署で、火災が発生しました!」
アルトの表情が凍る。
「……文書保管部署?」
「はい!」
ヴィクターが青ざめる。
「上級承認印の記録がある場所です」
アルトはエリシアを見る。
そして。
燃え上がる王家の建物へ視線を向けた。
「やられた」
黒帳は、最初から二段構えだった。
エリシアを囮にしてアルトたちをここへ誘導する。
その間に。
本命の証拠を消す。
「マルク!」
「分かってる!」
「エリシアを守れ!」
「任せろ!」
「ヴィクター!」
「はい!」
「文書保管部署へ向かう!」
アルトは走り出す。
だが。
三歩進んだところで足を止めた。
「……いや」
ヴィクターが振り返る。
「どうしました?」
アルトは考える。
「黒帳が本当に証拠を消すだけなら、エリシアを狙う必要はなかった」
「……」
「俺たちを文書保管部署から遠ざけたいだけなら、もっと簡単な方法がある」
アルトは馬車を見る。
「なのに、わざわざエリシアを使った」
「では、狙いは別にある?」
「そうだ」
アルトの目が鋭くなる。
「黒帳は俺たちに『文書保管部署が本命だ』と思わせている」
ヴィクターが息を呑む。
「まさか……」
「火災そのものが餌だ」
アルトは振り返った。
「本当に重要なものは、別の場所へ移されている可能性が高い」
その瞬間。
エリシアが口を開いた。
「アルト様」
「何だ?」
「私をここへ連れてきた騎士たちですが……」
「どうした?」
「王家の正規護衛ではありません」
全員が凍りついた。
「……何?」
エリシアは震える声で続ける。
「王家の紋章を付けていました。でも、私は顔を知りませんでした」
アルトの目が変わる。
「つまり、最初から護衛そのものが偽物だった」
「はい」
アルトは周囲を見る。
「何人いた?」
「六人です」
「今は?」
エリシアが振り返る。
そこには。
倒れた騎士が二人。
残りは――。
「……いません」
アルトは歯を食いしばる。
「逃げたか」
マルクが剣を抜く。
「追うか?」
「いや」
アルトは首を振る。
「追わない」
「何だと?」
「今追えば、黒帳の思う通りになる」
アルトは静かに笑った。
「こいつらは、俺たちをどこかへ誘導するために残された」
「では?」
「逆に利用する」
アルトは倒れている騎士の一人を見る。
その胸元。
王家の紋章の裏に、小さな銀色の輪が刻まれていた。
「黒帳の印だ」
アルトはそれを外した。
「これを辿れば、まだ繋がっている」
ヴィクターが問う。
「どこへ?」
アルトは銀の輪を握りしめる。
「王家の中だ」
そして。
アルトはエリシアを見る。
「エリシア」
「はい」
「怖かったか?」
エリシアは少しだけ黙った。
「……怖かったです」
「そうか」
「でも」
エリシアはアルトを見る。
「アルト様が来てくれると思っていました」
アルトは一瞬だけ言葉を失った。
そして。
「……任せろ」
小さく笑った。
「営業課長は、顧客を見捨てない」
マルクが呆れた顔をする。
「今、それ言うか?」
「こういう時だから言うんだよ」
だが。
アルトの目は笑っていなかった。
黒帳はエリシアを使った。
王家の護衛を偽装した。
文書保管部署まで燃やした。
そして。
王家内部にまだ協力者がいる。
「黒帳」
アルトは低く呟く。
「ここからは、こっちの番だ」
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営業メモ①⑥⓪
「相手が見せてきた『問題』が、本当に一番重要な問題とは限らない。
大きなトラブルが起きた時ほど、人はそこに集中する。
だからこそ、その裏で何が起きているのかを見る。
『相手が何を見せたいのか』
これを考えるだけで、見えてくる景色は変わる。」
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次回予告
第百六十二話「営業課長、消えた六人を追う」
エリシアを誘拐した偽の護衛。
その正体は黒帳の協力者だった。
しかし、六人はすでに姿を消している。
アルトは彼らを追うのではなく、残された「銀色の輪」から逆に黒帳の連絡網を辿る。
その先に待っていたのは――。
王家の内部で、決して名前を記録に残さない一人の人物だった。




