第百五十九話 営業課長、黒帳の指示書を追う
十年前と現在。
二つの記録に共通して存在した「使用者不明」の承認印。
そして、その封筒に残されていた謎の刻印。
アルトは一枚の紙を取り出した。
「これを流す」
そこには、こう書かれていた。
『上級承認印の使用者を、明日確認する』
ヴィクターが目を細める。
「餌ですね」
「そうだ」
「黒帳が監視しているなら、必ず反応する」
アルトは頷いた。
「反応した人間を追う」
マルクが腕を組む。
「でも、相手も馬鹿じゃないだろ」
「もちろん」
アルトは笑った。
「だから危険なんだ」
その言葉に、部屋の空気が変わった。
「黒帳は、俺たちが餌を撒くことを想定している可能性がある」
「だったら……」
「餌に食いついたふりをして、こちらを釣る」
ヴィクターの顔が険しくなる。
「逆に、私たちを追跡するつもりですか」
「その可能性がある」
アルトは紙を机に置いた。
「だから、この情報を知る人間を極端に絞る」
フェルナンが頷く。
「私とヴィクター、それにアルト様だけ」
「いや」
アルトは首を振った。
「もう一人いる」
「誰です?」
アルトは扉を見る。
「エリシアだ」
その瞬間。
――コン。
廊下から、小さな音がした。
全員が振り向く。
「……誰だ?」
マルクが扉へ近づく。
だが、廊下には誰もいない。
床に一枚の紙だけが落ちていた。
ヴィクターが拾う。
「これは……」
紙には一言だけ。
『餌は、こちらも受け取った』
アルトの表情から笑みが消えた。
「……まずいな」
マルクが振り返る。
「まさか、最初から?」
「俺たちが餌を撒くことを、知られていた」
「でも、この情報はまだ誰にも――」
「違う」
アルトは紙を見る。
「黒帳が知っているのは、餌の内容じゃない」
「……?」
「俺たちが『餌を撒こうとしている』ことそのものだ」
ヴィクターが息を呑む。
「つまり、内部に……」
「いる」
アルトは静かに答えた。
その瞬間。
廊下の奥から、走る音が聞こえた。
「追え!」
マルクとヴィクターが飛び出す。
しかし。
角を曲がった先には誰もいなかった。
代わりに。
床に小さな銀色の輪が落ちていた。
アルトはそれを拾い上げる。
「……黒帳の印か」
ローディンが顔を強張らせる。
「それは……」
「知っているのか?」
「はい」
ローディンの声が震えた。
「黒帳の上層部が、重要な連絡をするときに使う印です」
アルトは銀の輪を握りしめる。
「つまり、向こうはもう俺たちの作戦を把握している」
そして。
アルトの懐から、もう一枚の紙が落ちた。
誰も入れなかったはずのアルトの執務室に置いていた紙。
そこには。
『明日、承認印の使用者を確認するのは構わない』
その下に。
『ただし、確認する前に一人失うことになる』
と書かれていた。
マルクの顔色が変わる。
「……誰を狙っている?」
アルトは紙を握りつぶした。
「分からない」
初めて。
アルトの声に余裕がなかった。
「だから、明日の作戦は中止しない」
ヴィクターが驚く。
「アルト様!」
「むしろ予定通り進める」
アルトは顔を上げた。
「ただし――」
その目には、いつもの営業課長の笑みが戻っていた。
「今度は俺たち自身を餌にする」
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営業メモ①⑤⑧
「相手を追い込むための情報は、相手も利用できる。
営業でも交渉でも同じ。
自分だけが情報を持っていると思った瞬間が、一番危ない。
相手が何を知っているのか。
そこまで考えて初めて、本当の情報戦になる。」
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次回予告
第百六十話「営業課長、自分自身を餌にする」
黒帳は、アルトたちの餌作戦をすでに把握していた。
しかも。
「一人失う」
という不気味な予告まで残してきた。
誰が狙われているのか。
そして、黒帳の目的は情報漏洩の阻止なのか、それとも――。
アルトは危険を承知で、さらに大きな餌を撒く。
だがその瞬間。
王家の内部で、最初の異変が起きる。




