第百五十七話 営業課長、現在も動く黒帳を追う
「次期承認予定……」
アルトは、黒帳の最後のページを見つめていた。
十年前の記録ではない。
日付は、つい最近。
「つまり、黒帳はまだ動いている」
マルクが言う。
「しかも王家の承認を利用しようとしている」
「そういうことだ」
アルトは帳簿を閉じた。
「ローディン。この『次期承認』について、何か知っているか?」
「少しだけ」
ローディンは答えた。
「現在、王家では全国物流改革に関する最終案が作られています」
アルトの目が鋭くなる。
「黒帳が狙っているのは、その改革案か」
「はい」
「何をするつもりなんだ?」
「改革そのものを止めるのではありません」
ローディンは低い声で続けた。
「改革案の一部を黒帳に都合のいい内容へ変更し、正式な王家の承認を得るつもりです」
アルトはすぐに理解した。
「物流を独占するための制度を作る」
「はい」
「一度、正式な制度になれば?」
「商人も地方領主も、それに従うしかありません」
アルトは立ち上がった。
「十年前と同じだ」
ローディンが頷く。
「ただし、今回はもっと巧妙です」
「どういう意味だ?」
「表向きは物流改革です」
「だが、実際には?」
「黒帳が物流情報を握れる仕組みを作る」
アルトは腕を組んだ。
十年前。
黒帳は改革を潰した。
今回は違う。
改革そのものを利用する。
「だったら、承認される前に止める」
「問題があります」
ローディンが言った。
「明日、最終案の承認手続きが始まります」
「明日?」
「はい」
アルトは一瞬黙った。
そして。
「時間がないな」
マルクが苦笑する。
「またかよ」
「いつも時間がないんだよ」
「営業課長って大変だな」
「だから給料を上げてほしい」
「誰に言ってるんだ?」
「王家?」
「俺に言われても困る!」
緊張していた室内に、わずかな笑いが起きた。
だが。
アルトはすぐに表情を戻した。
「まず、承認される予定の内容を確認する」
ローディンが頷く。
「資料を持ってきます」
「いや」
アルトは首を横に振った。
「今度は、お前が取りに行かない方がいい」
ローディンが驚く。
「なぜです?」
「黒帳は、お前が捕まったことをまだ知らない可能性がある」
「……」
「なら、こちらに情報が流れていることを悟らせない」
アルトはヴィクターを見る。
「王家物流管理局の正式記録から、最終案の閲覧履歴を確認できるか?」
「可能です」
「誰が、いつ、どの資料を見たか。全部記録してくれ」
「分かりました」
「それと」
アルトは黒帳の帳簿を指差した。
「今度は、黒帳が誰に情報を渡しているかを見る」
その日の夕方。
ヴィクターから報告が入った。
「アルト様」
「どうだった?」
「最終物流改革案へのアクセス記録を確認しました」
「何人だ?」
「八人です」
アルトは眉を上げた。
「八人?」
「はい」
「その中に、怪しい動きは?」
「一人だけ」
ヴィクターが記録を差し出す。
「王家物流管理局の記録担当者です」
アルトは記録を見る。
「閲覧時間が長いな」
「はい」
「何分だ?」
「四十七分です」
「他の人間は?」
「最長でも十二分です」
アルトは考えた。
「四十七分か」
「それだけなら、慎重に確認していただけとも考えられます」
「そうだな」
アルトは頷いた。
「だから、これだけでは黒帳とは断定できない」
「では?」
アルトは机の上に三枚の紙を並べた。
「餌を撒く」
マルクが嫌そうな顔をする。
「またかよ」
「今回は、ただ三枚配るだけじゃない」
アルトは三枚の紙を指で叩いた。
「配布経路そのものを変える」
ヴィクターが身を乗り出す。
「経路を?」
「そうだ」
アルトは一枚目を持ち上げた。
「一枚目は、王家物流管理局の物流担当者へ」
紙には、
『西部物流拠点を統合し、新たな中央管理拠点を設置する』
と記されている。
「これは西部物流拠点の統合案」
「ただし、実際には存在しない計画だ」
二枚目。
『港湾倉庫の王家管理を強化し、全入出荷情報を王家物流管理局へ集約する』
「これは港湾担当者へ」
そして三枚目。
『旧王家倉庫を再稼働させ、全国物流改革の中核拠点とする』
アルトは三枚目を持ち上げた。
「これは記録担当者へ」
ヴィクターが気づく。
「三人とも、所属が違う」
「それだけじゃない」
アルトは紙の端を指差した。
「三枚とも、文章の一部が微妙に違う」
「つまり、どの内容が漏れたか分かるようにしている」
「その通り」
マルクが感心する。
「お前、こういうところだけは細かいな」
「営業は細かいんだよ」
「普段の帳簿も細かく見てくれ」
「それはマルクが数字を間違えなければいい」
「俺だけが悪いみたいに言うな!」
再び小さな笑いが起きる。
しかし。
アルトの目は真剣だった。
「もう一つ」
アルトは三人の担当者への渡し方を説明した。
「西部物流案は、物流担当者本人に直接渡す」
「港湾案は、港湾担当者の机に置く」
「旧王家倉庫案は、記録担当者が閲覧する公文書の束に挟む」
ヴィクターが頷く。
「つまり、三つとも入手経路が違う」
「そう」
アルトは続ける。
「そして、誰が誰に伝えたかも追えるようにする」
「どうやって?」
「紙そのものに印を入れる」
アルトは三枚の紙の右下を示した。
西部物流案には小さな点が一つ。
港湾案には二つ。
旧王家倉庫案には三つ。
「外から見ても意味は分からない」
「だが、俺たちには分かる」
ヴィクターが頷く。
「これなら、同じ情報が別の経路から流れたとしても区別できます」
「そういうことだ」
翌朝。
三枚の餌が、それぞれの経路へ流れた。
まず一枚目。
西部物流案。
アルトは物流担当者に直接渡した。
「これは、まだ正式決定ではない」
「承知しました」
「口外しないように」
「はい」
次に二枚目。
港湾管理担当者の机。
そこには別の封筒。
『内部検討資料』
とだけ書かれていた。
そして三枚目。
旧王家倉庫案。
これは記録管理官が閲覧する資料の中に、あえて紛れ込ませた。
「これで三方向」
アルトは呟いた。
だが。
今回はすぐに追跡しない。
「誰かが動くまで待つ」
昼。
何も起きない。
夕方。
西部にも動きなし。
港湾にも動きなし。
しかし。
日が落ちる頃。
一人の兵士が駆け込んできた。
「アルト様!」
「どうした?」
「旧王家倉庫周辺で、不審な馬車が確認されました!」
アルトは立ち上がる。
「何台?」
「三台です」
「特徴は?」
「商人の荷馬車ですが、荷物は積んでいません」
アルトは目を細めた。
「つまり、情報を受けて動いた」
ヴィクターがすぐに記録を確認する。
「旧王家倉庫案を見たのは……」
指で追う。
「記録管理官だけです」
アルトは頷いた。
「第一段階、成功だ」
「でも、まだ記録管理官本人が黒帳だとは限りません」
「その通り」
アルトは冷静だった。
「だから、ここからが本番だ」
旧王家倉庫に現れた三台の馬車。
兵士たちは一定の距離を保って追跡する。
一台目は東へ。
二台目は南へ。
そして。
三台目だけが王都の裏通りへ入った。
「三台を分けた?」
マルクが尋ねる。
「違う」
アルトは首を振った。
「三台全部を追う必要はない」
「なぜ?」
「本当に重要なのは、荷馬車じゃない」
アルトは三台目を見る。
「情報を受け取った人間が、誰に伝えるかだ」
三台目の馬車は、一軒の商館の前で止まった。
男が降りる。
周囲を確認する。
そして。
商館の裏口へ入った。
しばらくして。
別の男が出てきた。
その男の指には――。
銀色の指輪。
「……黒帳の印」
ヴィクターが息を呑む。
アルトは目を細めた。
「やっぱり、現在も動いている」
しかし。
まだ終わらない。
黒帳の男は商館から出ると、一台の馬車へ乗り込んだ。
その馬車には――。
王家の紋章が入っていた。
アルトの表情が変わる。
「王家の馬車……」
マルクが呟く。
「どこへ行く?」
アルトは答えた。
ただ。
馬車の進行方向を見つめていた。
やがて。
馬車は王家物流管理局へ入っていく。
「……繋がった」
アルトは低く呟いた。
旧王家倉庫の情報。
記録管理官。
商人。
黒帳。
そして。
王家物流管理局。
三枚の餌のうち。
黒帳が食いついたのは、旧王家倉庫の情報だった。
そして、その情報は。
王家内部へ戻っていった。
アルトは三枚の紙を思い出す。
西部物流案。
港湾管理案。
旧王家倉庫案。
「三枚のうち一枚だけが動いた」
ヴィクターが頷く。
「つまり、漏洩経路が絞れました」
「ああ」
アルトは笑った。
「営業でも調査でも同じだ」
「全部を追いかける必要はない」
「相手が反応した情報だけを追えばいい」
そして。
アルトは王家物流管理局を見つめた。
「次は、あの中にいる人間を特定する」
十年前。
黒帳は王家の制度を利用した。
現在。
黒帳は王家の内部情報を利用している。
ならば。
その線の先には――。
まだ姿を見せていない誰かがいる。
アルトは静かに拳を握った。
「明日の承認を、絶対に通させない」
そして。
「同時に――」
アルトは笑った。
「黒帳が誰に届けようとしているのか、最後まで見届ける」
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営業メモ①⑤⑥
「情報を集めるだけでは、相手の動きは見えない。
相手がどの情報に反応したのか。
誰から誰へ伝わったのか。
どの経路で動いたのか。
そこまで追えば、見えなかった組織の構造が浮かび上がる。
営業でも、一つの情報を全員に同じように伝えるのではなく、相手や部署ごとに伝え方を変えることで、誰が情報を動かしているのか見えてくる。
情報は『内容』だけではない。
『誰に、どう渡ったか』も重要な情報である。」
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次回予告
第百五十八話「営業課長、王家の承認を止める」
三枚の餌。
そのうち黒帳が食いついたのは、旧王家倉庫の情報だった。
情報は記録管理官から商人へ。
商人から黒帳へ。
そして――。
黒帳の男は王家の馬車に乗り込んだ。
その行き先は、王家物流管理局。
果たして、黒帳へ情報を流している王家内部の人間とは誰なのか?
そして明日。
全国物流改革案の最終承認が始まる――。




