第百四十七話 営業課長、黒帳に最後の餌を撒く
商業祭二日目。
街には、昨日の火事の爪痕が残っていた。
西地区では、焼け焦げた倉庫の整理が続いている。
東地区でも、焦げた木材と濡れた商品が積み上げられていた。
それでも。
商業祭は続いている。
「……人が戻ってきましたね」
窓から街を眺めながら、マルクが言った。
「ああ」
アルトは答えた。
「でも、黒帳も戻ってきている」
「……」
その言葉に、マルクの表情が引き締まった。
昨日の二つの火事。
あれは偶然ではない。
黒帳は、商業祭を潰すだけではなく、物流そのものを支配しようとしている。
ならば。
こちらも動くしかない。
アルトは机の上に三枚の書類を並べた。
「今日、この三つの情報を流す」
マルクが覗き込む。
「全部……偽物ですよね?」
「そう」
「もし黒帳が信じなかったら?」
「作戦失敗」
「……」
「もし黒帳が信じたら?」
「作戦成功」
アルトは笑った。
「だから、今回は賭けだ」
マルクが顔を引きつらせる。
「商業祭の存続を賭けて、ですか?」
「そういう言い方をすると怖いね」
「実際に怖いんですよ!」
アルトは一枚目を持ち上げた。
「まずA」
そこには、こう書かれていた。
――今夜、王家の重要物資を南西倉庫へ移送する。
「これを物流担当者へ」
「南西倉庫……」
「実際には使わない」
アルトは二枚目を持ち上げる。
「B」
――東地区の倉庫に、王家の重要資料を一時保管する。
「これを警備担当者へ」
そして三枚目。
「C」
――明朝、中央倉庫から王都方面へ緊急輸送を行う。
「これを記録管理官へ」
マルクが三枚を見比べる。
「三人に、別々の情報を?」
「そう」
「でも、誰か一人が内通者なら……」
「その人間が漏らした情報だけ、黒帳が動く」
アルトは頷いた。
「ただし」
「ただし?」
「黒帳が一つだけを狙うとは限らない」
その言葉に、ヴィクターが反応した。
「……複数の情報源を持っている可能性か」
「そう」
アルトは地図を広げる。
「だから、今回確認したいのは内通者一人の特定だけじゃない」
「黒帳の情報網そのものです」
部屋に緊張が走った。
「この作戦が失敗したら?」
レオンが尋ねる。
アルトは少し黙った。
「黒帳に、俺たちの警戒方法を知られる」
「つまり次から、偽情報が通じなくなる」
「そうです」
「なら、絶対に失敗できないな」
レオンの声が低くなる。
アルトも笑ってはいなかった。
「はい」
昼。
三人への情報伝達が始まった。
まず、A。
物流担当者へ。
「今夜、南西倉庫へ重要物資を移す」
「分かりました」
男は書類を受け取った。
アルトは、その目を見ていた。
一瞬。
男の指が止まった。
「……南西倉庫、ですか?」
「はい」
「承知しました」
男は去っていった。
アルトは何も言わなかった。
だが、すぐにマルクへ小声で命じる。
「追って」
「はい」
次にB。
警備担当者へ。
「今夜、東地区の倉庫に重要資料が入る」
「東地区……?」
男の表情が変わった。
「昨日火事があった場所ですよ?」
「だから警備を厚くする」
「分かりました」
男は何度も書類を確認してから出ていった。
そしてC。
記録管理官へ。
「明朝、中央倉庫から王都へ緊急輸送」
「王都へ?」
「そうです」
「承知しました」
三人への伝達が終わった。
アルトは時計を見る。
「ここからが勝負だ」
夕方。
何も起きない。
商業祭は続いている。
客もいる。
商人もいる。
しかし。
「……静かすぎます」
マルクが呟いた。
「そうだな」
「黒帳は動かないんでしょうか?」
「動いているかもしれない」
「でも、何も報告が……」
「焦るな」
アルトは時計を見る。
午後六時。
午後七時。
午後八時。
何も起きない。
マルクの額に汗が浮かぶ。
「……まさか、全部バレた?」
アルトは答えない。
その時。
ドン!
遠くで物音がした。
全員が振り返る。
「何だ!?」
兵士が窓へ駆け寄る。
「報告!」
「どうした?」
「南西倉庫付近で、不審な男を確認!」
アルトの目が鋭くなる。
「A……」
マルクが呟く。
「物流担当者に渡した情報です」
「そう」
アルトは立ち上がった。
「ただし、まだ確定じゃない」
「え?」
「その男が黒帳とは限らない」
アルトは兵士に命じた。
「捕まえるな」
「しかし!」
「追跡だけ」
「はっ!」
兵士が走り出す。
アルトは再び時計を見る。
午後八時十五分。
すると――。
「アルト様!」
別の兵士が飛び込んできた。
「東地区です!」
「何があった?」
「倉庫周辺で不審な男が二人!」
「……Bもか」
マルクが息を呑む。
「じゃあ、警備担当者も漏らした?」
「まだ分からない」
アルトは即答した。
「追跡させろ」
「はい!」
兵士が出ていく。
マルクが不安そうに尋ねる。
「AとB……両方です」
「そうだな」
「まさか、三人とも……」
その時。
アルトの視線がCの書類へ向いた。
「まだだ」
「え?」
「Cだけ、まだ反応がない」
「じゃあ、Cは漏れていない?」
「それも分からない」
アルトは時計を見る。
午後八時三十分。
「まだ時間がある」
「明朝の輸送情報だからですか?」
「そう」
アルトは頷く。
「黒帳が今夜動く必要はない」
そして。
午後九時。
「報告!」
兵士が駆け込んできた。
「中央倉庫付近で、不審者を確認!」
アルトが立ち上がる。
「Cまで……」
マルクの顔が青ざめる。
「全部漏れています!」
「いや」
アルトは首を振った。
「違う」
「え?」
「これは黒帳が三つとも情報を持っているんじゃない」
アルトは地図を広げた。
A。
南西倉庫。
B。
東地区倉庫。
C。
中央倉庫。
「見て」
三つの地点を線で結ぶ。
すると。
三つの線が、一か所へ集まっていた。
「……旧水路」
ヴィクターが呟いた。
「全部、旧水路に繋がっている」
アルトは頷く。
「そう」
「黒帳は、三つの情報をそれぞれ別の人間から受け取ったんじゃない」
「一か所に情報を集めている」
マルクが息を呑む。
「じゃあ、誰が漏らしたか分からないじゃないですか!」
「いや」
アルトは笑った。
「分かる」
「え?」
「三つの情報を、黒帳がどう使ったかを見ればいい」
アルトは地図を指差した。
Aを狙った男は、南西倉庫から旧水路へ。
Bを狙った男も、東地区から旧水路へ。
Cを狙った男も、中央倉庫から旧水路へ。
「三人とも、同じ場所へ向かっている」
ヴィクターの顔が強張った。
「つまり、あそこに黒帳の情報集約地点がある」
「そう」
アルトは立ち上がった。
「やっと尻尾を掴んだ」
だが。
その時だった。
「アルト!」
レオンが駆け込んできた。
「王都から緊急連絡だ!」
アルトが振り返る。
「何が?」
「十年前の物流記録から、新しい資料が出た」
レオンは一枚の紙を差し出した。
「旧水路の管理権限に関する記録だ」
アルトが紙を見る。
そして――。
息を止めた。
「……この名前」
エリシアが隣から覗き込む。
「誰?」
アルトは答えない。
紙に記された名前。
その人物は――。
現在も王家の物流に関わっている人物だった。
「まさか……」
ヴィクターが呟く。
アルトは紙を握りしめる。
「だから、黒帳は三つの情報を旧水路に集めたんだ」
「十年前から、ここが情報の中継地点だった」
レオンの顔が険しくなる。
「なら、今夜ここへ行けば――」
「内通者に会える可能性がある」
アルトは頷いた。
そして、静かに笑った。
「全員、準備して」
「今から行くんですか?」
マルクが聞く。
「もちろん」
「夜ですよ?」
「だからいい」
アルトは外を見る。
「黒帳は、俺たちが明日の輸送を警戒していると思っている」
「でも、俺たちは今夜動く」
エリシアが微笑んだ。
「また一枚、上を取ったわね」
「営業だからね」
「本当に便利な言葉ね、それ」
二人は笑った。
だが。
誰も気づいていなかった。
旧水路の奥。
暗闇の中で。
一人の男が、三枚の紙を並べていた。
A。
B。
C。
男はその三枚を見比べる。
そして――。
小さく笑った。
「……三つとも偽物か」
「だが、面白い」
男は紙を燃やした。
「ならば、こちらも一つだけ本物を渡そう」
炎が紙を飲み込む。
その紙には――。
アルトたちがまだ知らない、ある人物の名前が書かれていた。
営業メモ①④⑥
情報戦では、「情報が漏れたかどうか」だけを見てはいけない。
重要なのは、その情報を受け取った相手が「次にどこへ動いたか」。
アルトは三つの偽情報を意図的に別々の人物へ渡し、敵の行動を観察した。
結果として、三つの情報が同じ場所へ集まっていることが判明した。
営業でも同じ。
相手の言葉だけではなく、その後の行動を見る。
行動には、言葉以上に本音が出る。
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次回予告
第百四十八話「営業課長、旧水路で黒帳を追い詰める」
三つの偽情報が、黒帳を旧水路へ誘い込んだ。
アルトたちは、ついに敵の情報集約地点へ踏み込む。
しかし――。
「……誰だ?」
暗闇の奥から現れた男。
その手には、十年前の物流事件に関する最後の証拠が握られていた。
そして男が口にした名前は――。
「レオン・レインハルト」
十年前の事件の真相が、ついに動き出す。




