第百四十一話 営業課長、偽情報で黒帳を釣る
商業祭まで、あと二日。
グランディアの共同倉庫。
朝から商人たちが忙しそうに動き回っていた。
その中央で、アルトは三枚の紙を並べている。
「この三つの情報を、それぞれ別の商人に伝えてください」
マルクが紙を覗き込む。
「……全部、内容が違いますね」
「当然です」
「でも、どれも嘘ですよね?」
「嘘というより……」
アルトは少し考える。
「餌です」
「餌……」
「魚釣りと同じですよ」
マルクがため息をついた。
「またその話ですか」
「営業は魚釣りに似ているんです」
「営業課長が言うと、妙に説得力がありますね」
アルトは気にせず説明を続ける。
一つ目。
「東地区の倉庫に高級織物が大量搬入される」
二つ目。
「祭り当日の朝、王家関係者が西地区の倉庫を視察する」
三つ目。
「南門から大量の食料品が搬入される」
三つとも、実際には予定されていない。
だが。
「誰がどの情報を外へ流すのか」
アルトは三枚の紙を見つめた。
「それを調べます」
マルクが頷く。
「情報ごとに伝える相手を変えるわけですね」
「そう」
「そして黒帳がどれに反応するかを見る」
「正解」
アルトは笑った。
「これなら、黒帳の情報網の入口が分かります」
その日の昼。
一つ目の情報は、東地区の商人へ。
二つ目は、西地区の商人へ。
三つ目は、南地区の商人へ。
それぞれ別々に伝えられた。
そして――。
何も起こらなかった。
夕方になっても。
何も。
「……静かですね」
マルクが言った。
「そうだな」
アルトも腕を組む。
「まだ早い」
「黒帳が気づいていない?」
「それもある」
「では、失敗ですか?」
アルトは首を振った。
「営業で一番やってはいけないことを知ってる?」
「何です?」
「焦って追いかけること」
「……なるほど」
「相手が動くまで待つ」
夜。
ようやく動きがあった。
一人の見張り役が走ってくる。
「アルト様!」
「どうした?」
「西地区の情報が動きました」
アルトの目が細くなる。
「詳しく」
「西地区の商人の一人が、夕方に倉庫を訪れました」
「誰に?」
「不明です。ただ、その後すぐに男が一人、倉庫街を出ています」
「特徴は?」
「黒い外套。左手に銀色の指輪をしていました」
アルトは黙った。
「……西地区か」
マルクが驚く。
「ということは、二つ目の情報に反応した?」
「そう」
アルトは三枚の紙を見る。
「黒帳が欲しがったのは、王家関係者の動き」
ローディンが眉をひそめる。
「商品情報じゃない?」
「違う」
アルトは答えた。
「黒帳が狙っているのは、商業祭そのものより王家側の動きだ」
エリシアが後ろから口を開いた。
「私たちの警備情報?」
「その可能性が高いです」
「なるほど……」
エリシアが腕を組む。
「でも、なぜ?」
アルトは少し考えた。
「祭りで事件を起こすなら、警備の薄い場所を知る必要があります」
「……!」
「どこに警備が集中するのか」
「どこが手薄なのか」
「誰が会場にいるのか」
アルトは指を一本立てた。
「そして、王家がどこを重要視しているのか」
エリシアの表情が変わる。
「つまり……」
「黒帳は事件を起こす場所を探している」
アルトは頷いた。
「だから、王家関係者の視察情報に食いついた」
しばらく沈黙が続いた。
やがてローディンが口を開く。
「捕まえるか?」
「まだです」
「また泳がせるのか?」
「はい」
ローディンが苦笑した。
「アルト、お前は本当に気が長いな」
「営業では、待つのも仕事です」
「……営業って便利な言葉だな」
翌朝。
アルトは一枚の新しい資料を作った。
「これを流します」
マルクが受け取る。
「また偽情報ですか?」
「今度は少し違います」
そこに書かれていたのは、
『商業祭当日、王家関係者は西地区倉庫を視察する』
という情報。
昨日とほぼ同じ内容だった。
マルクが首を傾げる。
「昨日の情報と同じですよ?」
「少しだけ変えています」
「どこが?」
「時間です」
マルクが確認する。
「……昨日は午前十時。今回は午前十一時」
「そう」
アルトは笑った。
「この情報が黒帳に届けば、相手は十一時を基準に動く」
「そして実際の視察は?」
「午前九時です」
「なるほど」
アルトは続ける。
「敵が十一時に合わせて動けば、現場に人員を置く可能性があります」
「そこを見つける」
「そういうこと」
そして。
アルトはもう一枚の紙を取り出した。
マルクが目を通す。
「これは?」
「王家の内部資料です」
「……え?」
「もちろん偽物です」
「……」
マルクはしばらく黙った。
「アルト」
「はい?」
「あなた、偽情報を作るのが上手すぎませんか?」
「営業資料を作るのと同じですよ」
「全然違います」
アルトは笑った。
その日の午後。
情報は再び流れた。
そして夕方。
見張り役が戻ってきた。
「動きました!」
「どこ?」
「西地区倉庫の裏手です」
アルトたちは現場へ向かった。
倉庫の裏。
そこには、昨日と同じ銀色の指輪をした男がいた。
しかし。
今日は一人ではない。
三人。
さらに少し離れた場所に、別の二人。
「……警備を見ている」
ローディンが呟く。
「そう」
アルトは頷く。
「でも、もっと重要なのは……」
男たちの視線の先。
そこには王家の騎士が一人、立っていた。
「騎士?」
マルクが驚く。
「違う」
アルトは首を振った。
「偽物だ」
「え?」
「王家の騎士にしては、立ち方が不自然です」
ローディンが見る。
「……確かに」
「黒帳が警備員の配置を確認するために置いた人間でしょう」
アルトは静かに言った。
「でも、これで分かった」
「何が?」
「黒帳は、王家の警備情報を外から集めている」
アルトは男たちを見つめた。
「そして――」
銀色の指輪。
それを見た瞬間。
アルトの表情が変わった。
「……あれ」
「どうしました?」
「その指輪」
アルトは目を細める。
「見覚えがある」
マルクが驚く。
「どこで?」
アルトはすぐには答えなかった。
頭の中で、過去の資料を思い出す。
十年前。
旧王家倉庫。
物流改革。
黒帳。
オルベルト伯爵。
そして。
押収された古い記録。
「……十年前の資料に、同じ紋章があった」
ローディンが息を呑む。
「まさか」
「偶然かもしれない」
アルトは言った。
「でも、確認する価値はある」
その夜。
アルトは王家の保管庫へ向かった。
エリシアも同行する。
古い記録を一枚ずつ確認する。
そして――。
「あった」
アルトが一枚の記録を取り出した。
そこには、十年前の物流関係者の一覧。
その中に。
一人の名前があった。
「……オルベルト伯爵の元側近」
エリシアが息を呑む。
「まだ生きているの?」
「分かりません」
アルトは記録を見る。
「ですが、名前が消されている」
「消されている?」
「正確には、後から黒く塗りつぶされている」
アルトは資料を机に置いた。
「誰かが、存在を隠した」
そして。
その人物の隣に、小さな印があった。
銀色の指輪と同じ紋章。
アルトは静かに息を吐いた。
「……つながった」
黒帳。
十年前の事件。
オルベルト伯爵。
そして、現在の商業祭。
すべてが一本の線になり始めていた。
しかし。
まだ名前は分からない。
「この人物を探します」
エリシアが頷く。
「私も手伝う」
アルトは資料を閉じた。
「ありがとうございます」
そして窓の外を見る。
商業祭まで、あと一日。
「明日が勝負です」
敵はすでに動いている。
ならば。
こちらも、最後の一手を打つ。
アルトは小さく笑った。
「営業課長として、最後のクロージングに入りますか」
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営業メモ①④⓪
「情報を集めるだけでは、営業にはならない」
重要なのは、
「誰が、どの情報に反応したか」
を見ること。
同じ情報を全員に渡すのではなく、相手ごとに少しずつ変える。
その反応を比較すれば、相手の関心や意図が見えてくる。
営業では、相手の言葉だけではなく「反応」も重要な情報である。
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次回予告
第百四十二話「営業課長、祭り前日に黒帳の正体へ迫る」
商業祭まで、あと一日。
銀色の指輪と十年前の記録がつながった。
アルトたちは、黒帳の情報網にいる人物を特定するため、最後の罠を仕掛ける。
しかし、その直後――。
「アルト様! 西地区倉庫から連絡が!」
祭りの前日に、最初の事件が発生する。
そしてその事件現場には、十年前の事件と同じ紋章が残されていた――。




