第百四十話 営業課長、敵の罠を逆利用する
夜。
グランディアの街は、昼間とは別の顔を見せていた。
商業祭を三日後に控え、通りには臨時の照明が設置されている。
昼間の喧騒が嘘のように静まり返った路地を、一台の馬車が走っていた。
荷台には、小麦粉の袋。
西地区の共同倉庫から出されたものだ。
しかし――。
その馬車は、登録された搬送ルートから外れていた。
「……動いた」
暗がりから、アルトが呟いた。
隣にはマルクとローディン。
少し離れた場所には、数名の見張りが配置されている。
マルクが小声で尋ねた。
「追いますか?」
「まだ」
「でも、予定ルートから外れています」
「だから追う」
「……?」
「ただし、近づきすぎない」
アルトは馬車を見ながら続けた。
「相手に『追われている』と思わせたら終わりだ」
ローディンが頷く。
「泳がせるわけか」
「そういうこと」
馬車は細い路地へ入っていく。
やがて、倉庫街へ。
そこで一度停止した。
男が一人、馬車へ近づく。
「荷物は?」
「予定通りです」
「確認する」
男が荷台を開ける。
その瞬間。
アルトが目を細めた。
「……やっぱり」
「何がです?」
「小麦粉を運んでいるんじゃない」
マルクが驚く。
「え?」
「馬車そのものが目的だ」
「どういう意味です?」
アルトは静かに答えた。
「この馬車、重量偽装だけじゃない」
荷台の下。
車輪。
そして荷台の構造。
「改造されている」
ローディンが目を凝らす。
「……荷台が二重になっている?」
「そう」
アルトは頷いた。
「上に小麦粉を積んで、下に何かを隠せる」
マルクが息を呑む。
「まさか……」
「確認するのはまだ早い」
アルトは止めた。
「今は見つけることより、誰に渡すのかを見る」
馬車は再び動き出した。
そして。
倉庫街の奥にある、古い建物へ入っていった。
建物の前には看板がない。
だが、入口には二人の男が立っている。
「ここで降りるか」
ローディンが呟く。
「いや」
アルトは首を振った。
「まだ先がある」
「なぜ?」
「黒帳がこんなに簡単な場所に本命を置くと思いますか?」
「……思わないな」
「ですよね」
アルトは少し笑った。
「営業でも、最初に提示された条件が本命とは限りません」
マルクが苦笑する。
「今、それを言いますか?」
「こういう時こそ営業ですよ」
しばらくすると、建物から別の馬車が出てきた。
先ほどの荷物が移されたらしい。
「……乗り換えた」
アルトが立ち上がる。
「追うぞ」
「今度は?」
「距離を取って」
馬車は南へ向かった。
そして。
商業祭の会場とは反対方向へ進んでいく。
「おかしいですね」
マルクが言った。
「商品を運ぶなら会場方向のはずです」
「そうだ」
アルトは頷く。
「だから、商品じゃない」
やがて馬車は、街外れの小さな建物の前で止まった。
そこには一人の男が待っていた。
男が荷台から何かを取り出す。
アルトは遠くから目を凝らす。
「……書類?」
マルクが呟く。
荷物の中から出てきたのは、木箱だった。
木箱の中には紙束が入っている。
男が紙を確認する。
その後、別の男に手渡した。
「何でしょう?」
「分からない」
アルトは答えた。
「だから、あれを確認する」
「どうやって?」
アルトは少し考えた。
「ローディン」
「はい」
「明日の朝、この建物の周辺を調べて」
「分かった」
「ただし、誰にも気づかれないように」
「任せろ」
その時だった。
突然。
建物の裏から別の男が出てきた。
「誰かいる!」
全員が息を止めた。
見張りの一人が動こうとする。
しかしアルトが手を上げて止めた。
「動くな」
「でも……」
「大丈夫」
男は周囲を見回している。
しかし、こちらには気づいていない。
やがて建物の中へ戻っていった。
マルクが小さく息を吐く。
「危なかった……」
「いや」
アルトは首を振った。
「むしろ良かった」
「え?」
「警戒している」
アルトは笑った。
「つまり、ここは重要な場所だ」
翌朝。
アルトたちは王城へ向かった。
エリシアに昨夜の出来事を報告する。
「荷物の中に書類が?」
「はい」
「何の書類なの?」
「まだ分かりません」
アルトは答えた。
「ですが、黒帳が商業祭そのものを止めたいだけなら、あんなものを運ぶ必要はありません」
「では、本当の目的は?」
アルトは一枚の紙を取り出した。
昨日の搬入記録。
「黒帳は商業祭を利用して、何かを動かそうとしている」
「何か……?」
「人か、物か、情報か」
アルトは三つの可能性を指で示した。
「そして一番厄介なのが――情報です」
エリシアが眉を寄せる。
「情報?」
「はい」
アルトは続ける。
「商業祭には、各地から商人が集まります」
「ええ」
「つまり、普段なら一か月かかる情報収集が、三日でできる」
エリシアが目を見開いた。
「……商人を使って情報を集める?」
「その可能性があります」
アルトは資料を広げた。
「どの地域から、何が売れるのか」
「どの商会が儲かっているのか」
「どの商人が王家と繋がっているのか」
そして。
「誰が、どこに商品を持っているのか」
エリシアの表情が険しくなる。
「黒帳は商業祭を、巨大な情報収集の場にしようとしている?」
「たぶん、それだけじゃありません」
アルトは昨日の木箱を思い出す。
「十年前の事件と、何か繋がっている可能性があります」
その言葉に。
エリシアが黙った。
十年前。
レオン。
旧王家倉庫。
物流改革。
黒帳。
オルベルト伯爵。
すべてが一本の線で繋がり始めている。
「アルト」
エリシアが静かに言った。
「もし本当に十年前の事件と繋がっているなら……」
「はい」
アルトは頷く。
「黒帳は、商業祭を潰したいんじゃない」
「……」
「祭りを使って、何かを完成させようとしている」
その日の午後。
アルトは共同倉庫へ戻った。
そして、全商人を集めた。
「皆さんにお願いがあります」
商人たちが顔を見合わせる。
「明日から、搬入する商品の情報を一部変更します」
「変更?」
「はい」
アルトは笑った。
「本当の情報と、偽の情報を分けます」
マルクが驚く。
「アルト、それは……」
「情報戦です」
アルトは商人たちを見る。
「誰が、どの情報に反応するかを見る」
商人たちがざわつく。
「つまり――」
アルトは言った。
「黒帳に、わざと餌を与えます」
エリシアがその話を聞いたら、おそらくこう言うだろう。
また始まった、と。
しかし。
アルトには確信があった。
敵を追いかけるだけでは、いつか逃げられる。
ならば。
敵が自分から姿を現す状況を作ればいい。
「さて……」
アルトは笑った。
「どの餌に食いつくかな」
商業祭まで、あと二日。
今度はアルトから、黒帳へ仕掛ける番だった。
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営業メモ①③⑨
営業では、相手の動きを無理に止める必要はない。
むしろ、相手が自分から動く状況を作ったほうが、情報を得やすい。
「相手を説得する」
「相手を追い詰める」
だけが営業ではない。
相手に選択肢を与え、その選択から本音を読み取る。
それも重要な営業スキルである。
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次回予告
第百四十一話「営業課長、偽情報で黒帳を釣る」
商業祭まで、あと二日。
アルトは商人たちに複数の“偽情報”を流す。
すると、その日の夜。
三つの偽情報のうち、一つだけが黒帳側へ流れたことが判明する。
「……食いついた」
黒帳の情報網が、ついに姿を現す。
そして、その先にいたのは――。
アルトも予想していなかった人物だった。




