第十四話 営業課長、文字を覚える最短ルートを考える
窓から差し込む朝日が、部屋の床を金色に染めていた。
庭では庭師が花壇に水をやり、小鳥たちが楽しそうにさえずっている。
レインハルト家の屋敷は、今日も穏やかな朝を迎えていた。
そんな中――
アルトはベビーベッドの上で真剣な表情をしていた。
(問題です。)
(どうすれば、この本が読めるようになるでしょう?)
視線の先には、昨日ガルドから借りた魔法書。
革張りの表紙に刻まれた金色の文字は、朝日に照らされて静かに輝いている。
ページを開けば、人体のような図と魔力の流れらしき挿絵。
何度見ても興味を引かれる。
だが――
読めない。
一文字も。
「……。」
アルトは本を見つめたまま腕を組みたくなった。
しかし、短い赤ちゃんの腕では上手く組めず、少しバランスを崩した。
ごろん。
「ぶっ。」
ベッドの上で転がる。
(……まずは腕が短い問題を解決したい。)
◇ ◇ ◇
朝食のあと。
エマが部屋の掃除をしながら鼻歌を歌っている。
アルトは絵本を開き、文字をじっと見つめていた。
犬。
猫。
馬。
以前から少しずつ覚えてきた文字だ。
(営業も最初は商品名を覚えるところから始まった。)
いきなり契約は取れない。
会社の商品を知り、競合を知り、お客様を知る。
順番がある。
(つまり……。)
(文字も同じだ。)
一文字ずつ。
焦らず。
毎日。
積み重ねる。
「アルト様?」
エマが不思議そうにのぞき込む。
「本当に絵本がお好きなんですね。」
(半分正解です。)
(本命は魔法書です。)
「あぅ。」
とりあえず笑ってごまかす。
最近、この技を覚えた。
営業スマイルならぬ、赤ちゃんスマイルである。
効果は抜群だった。
「もう、可愛い。」
エマは頬を押さえて顔をほころばせた。
(契約成立。)
◇ ◇ ◇
昼過ぎ。
ガルドが部屋を訪れた。
「アルト様。」
「少し早いかもしれませんが……。」
そう言って持ってきたのは、小さな木の積み木だった。
一つひとつに、この世界の文字が彫られている。
「文字遊び用です。」
「坊ちゃんが大きくなったら使う予定でしたが、興味がおありなら。」
(えっ!?)
アルトの目が輝く。
(教材が増えた!)
営業時代、新人教育で痛感したことがある。
人は「読む」だけでは覚えられない。
見て、触って、使って、ようやく身につく。
(これは使える。)
アルトは一つずつ積み木を手に取る。
丸い文字。
尖った文字。
線が多い文字。
指先でなぞり、形を覚えていく。
「そんなに気に入っていただけましたか。」
ガルドは静かに微笑む。
「ばっ!」
アルトは勢いよく頷いた。
その反動で積み木が転がる。
ころころころ。
一番遠くまで転がった積み木を、エマが笑いながら拾う。
「アルト様は遊び方も元気ですね。」
(いや、今のは事故です。)
◇ ◇ ◇
夕方。
レオンが帰宅すると、積み木を見つけて目を丸くした。
「おお!」
「もう積み木で遊んでるのか!」
「将来は立派な大工かな!」
(なんで!?)
アルトは思わず心の中で叫ぶ。
昨日は剣士。
今日は大工。
父の想像力は今日も自由だった。
「あなた。」
セシリアが苦笑する。
「文字のお勉強ですよ。」
「そうなのか?」
「うむ……。」
レオンは積み木を一つ手に取った。
「父さんも読めないぞ。」
「学生の頃は剣ばかり振っていたからな!」
豪快に笑うレオン。
ガルドが小さく咳払いをした。
「旦那様、その文字は『水』でございます。」
「……。」
「……。」
「……そうだったか!」
レオンは少しだけ耳を赤くしながら笑った。
部屋中に笑い声が広がる。
アルトも笑いながら思った。
(お父さん、嫌いじゃない。)
◇ ◇ ◇
その夜。
みんなが眠ったあと。
月明かりだけが部屋を照らしていた。
アルトはベッドの横に置かれた魔法書へ目を向ける。
昼間に覚えた文字を思い出しながら、ゆっくり表紙をなぞる。
(この一文字……。)
(さっき積み木で見た形に似ている。)
もちろん、まだ読めない。
でも、昨日より確実に近づいている。
ほんの小さな一歩。
それでも、一歩は一歩だ。
その瞬間だった。
魔法書の表紙に刻まれた文字が、月明かりを受けて淡く輝く。
同時に、アルトの目にだけ見える白い魔力がふわりと揺れた。
まるで、本が呼びかけているように。
「読んでみろ」と。
アルトは静かに息をのむ。
(待ってろ。)
(必ず読めるようになってやる。)
その決意は、まだ誰にも知られていない。
けれど、その小さな決意こそが、やがて王国の魔法理論を塗り替える最初の一歩になるのだった。
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営業メモ⑬
『近道はない。でも、遠回りに見える積み重ねが、一番の近道になる。』
一日で結果は出ない。
だからこそ、昨日より一歩前へ進む。
その一歩が、いつか誰にも追いつけない力になる。
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――次回、第十五話「営業課長、初めての魔力実験」
偶然では終わらせない。
営業課長の血が騒ぐ。
アルトは、自分だけに見える”魔力”の謎を確かめるため、人生初の小さな実験を始める――。




