第百三十八話 営業課長、商業祭開催禁止を覆す
王城の会議室。
長い机を囲むように、王家の重臣たちが並んでいた。
その中央には、アルト。
隣にはエリシア。
そして少し離れた場所に、レオン、マルク、ローディンが座っている。
議題は一つ。
商業祭を開催するかどうか。
「黒帳から正式な開催禁止申請が出ています」
重臣の一人が書類を読み上げる。
「理由は、商業祭による市場混乱、価格高騰、治安悪化の可能性。そして、大規模な商人の移動による物流混乱です」
アルトは黙って聞いていた。
やがて、書類を指差す。
「……全部、“可能性”ですね」
「そうだ」
「実際に起きた証拠は?」
会議室が静かになる。
重臣は少し眉を寄せた。
「現時点ではない」
「では、開催禁止の根拠としては弱いですね」
アルトは淡々と言った。
エリシアが小さく笑う。
「アルトらしいわね」
「営業では、根拠のない不安だけで商談を断られたら困りますから」
「……ここは商談ではないぞ」
「似たようなものですよ」
「どこがだ」
「相手に納得してもらうところが」
重臣たちの何人かが苦笑した。
しかしアルトは笑っていない。
机の上に、一枚の資料を置いた。
「こちらをご覧ください」
そこには、商業祭開催による予測データが並んでいた。
来場予定者数。
商人の数。
必要な馬車数。
倉庫の使用量。
食料の必要量。
宿泊施設の受け入れ能力。
そして、各地域への物流配分。
「……随分と細かいな」
「商業祭は三日間です」
アルトは資料をめくる。
「だからこそ、事前に数字を出しました」
「数字?」
「はい」
アルトは地図を広げた。
「商人を一か所に集中させません」
「どういうことだ?」
「商品を分散して保管し、販売場所も複数に分けます」
マルクが続ける。
「共同倉庫を利用し、搬入時間も分散させます。さらに各商会ごとの搬入量を事前に登録しています」
ローディンも資料を差し出した。
「馬車についても同様です。時間帯ごとの搬入枠を設定しています」
重臣が資料を見る。
「……つまり、混乱する前提で準備している?」
「その通りです」
アルトが答えた。
「問題は、混乱を防ぐ準備をしているかどうかです」
一瞬、沈黙。
アルトはさらに一枚の紙を出した。
「そして、こちらが過去三か月の共同物流実績です」
数字が並ぶ。
輸送時間。
輸送費。
在庫回転率。
欠品率。
そして、事故件数。
重臣の一人が目を見開いた。
「事故件数が……減っている?」
「はい」
「どれくらいだ?」
「以前より約三割減っています」
「三割……」
アルトは頷いた。
「商業祭を開催するために新しい仕組みを作ったのではありません」
「……」
「商業祭を安全に開催できるよう、すでに商業そのものの仕組みを変えてきたんです」
会議室が静かになった。
エリシアが資料を見ながら微笑む。
「つまり、商業祭だけを見て判断するのではなく、ここまで積み上げてきた実績を見るべきだと?」
「はい」
アルトは答えた。
「祭りは三日間ですが、準備した仕組みは三日で終わりません」
レオンが静かに口を開く。
「アルトの言う通りです」
重臣たちがレオンを見る。
「今回の物流体制は、商業祭が終わった後も使えます。むしろ、この機会に実際の大規模物流で検証できる」
アルトは頷いた。
「そういうことです」
そして最後の資料を出した。
「商業祭を中止することで失われる利益も計算しました」
「……利益まで?」
「商売ですから」
アルトは真顔だった。
「開催禁止によって、商人だけではなく宿屋、食料商、運送業者、農家まで損失を受けます」
数字を指で追う。
「そして、その損失は黒帳が市場から撤退した場合より大きい」
重臣の顔色が変わる。
「つまり……」
「開催禁止は、黒帳を排除することではありません」
アルトは言った。
「普通の商人まで巻き込んで、地域経済全体を止める可能性があります」
エリシアが静かに頷いた。
「よく分かったわ」
そして王家側の代表が口を開いた。
「商業祭の開催禁止申請については、保留とする」
「……!」
アルトが顔を上げる。
「ただし、条件があります」
「はい」
「治安対策をさらに強化すること。そして、万が一問題が発生した場合、即座に祭りを停止できる体制を作ること」
アルトは即答した。
「分かりました」
こうして。
商業祭の開催は、正式に認められる方向へ動き始めた。
だが――。
同じ頃。
王都の裏通り。
黒い外套を着た男たちが、薄暗い倉庫に集まっていた。
「……開催禁止は失敗した」
男の一人が低い声で言う。
「ならば、別の方法を使う」
机の上には商業祭の会場図。
そして、搬入時間の一覧。
男が指で一点を叩いた。
「ここだ」
「搬入倉庫?」
「そうだ」
男は笑った。
「祭りそのものを止める必要はない」
「……?」
「祭りで事故を起こせばいい」
誰も口を開かなかった。
「馬車同士を衝突させる。商品を盗ませる。倉庫の在庫を消す。客同士の喧嘩を起こす」
男は淡々と続ける。
「一つでも大きな事件が起きればいい」
そして最後に。
「アルトは数字で王家を説得した」
男は資料を握り潰した。
「なら、その数字では説明できない“事件”を作ってやる」
一方。
王城を出たアルトたちは、街へ向かっていた。
「……アルト」
エリシアが声をかける。
「はい?」
「本当に大丈夫?」
「何がです?」
「黒帳よ」
アルトは少しだけ考えた。
そして笑った。
「大丈夫じゃないと思います」
「え?」
「だから準備します」
アルトは前を見る。
「営業でも同じですよ」
「……?」
「契約が決まった後が、一番危ないんです」
マルクが首を傾げる。
「どういう意味だ?」
「契約を取った瞬間、安心して手を抜く人がいます」
アルトは言った。
「でも、本当に大事なのは、その後です」
そして商業祭の会場を見つめた。
「黒帳も、きっとそう考えている」
アルトの目から笑みが消えた。
「だから――」
一歩、足を止める。
「祭り当日じゃなく、その前から全部見張ります」
エリシアが頷く。
「分かったわ」
アルトは再び歩き出した。
商業祭まで、あと三日。
準備は整った。
数字も。
物流も。
人員も。
そして――。
敵も動き始めている。
「さて……」
アルトは小さく呟いた。
「最後の営業だな」
商業祭という巨大な商談を成功させるために。
営業課長、最後の仕上げに入る。
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営業メモ①③⑦
「契約を取ること」と「契約を成功させること」は別物。
営業では、契約成立がゴールではない。
むしろ、そこからが本当の勝負になる。
相手が安心した後こそ、問題が起きやすい。
だからこそ、
「決まったから大丈夫」
ではなく、
「決まったからこそ、最後まで確認する」
この意識が重要だ。
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次回予告
第百三十九話「営業課長、祭りの三日前に敵を見つける」
商業祭まで、あと三日。
アルトは会場、倉庫、物流、商人、そして来場者の動きを徹底的に確認する。
しかし、その途中で一つの不自然な数字を発見する。
「……この搬入量、おかしい」
黒帳が仕掛けた最初の罠。
営業課長アルトは、その異変を見抜けるのか――。




