第百三十六話 営業課長、最後の物流拠点へ
商業祭まで、残り十日。
グランディアの街は、かつてないほど慌ただしくなっていた。
荷馬車が走る。
商人が商品を運ぶ。
職人が看板を作る。
露店の設営も始まっている。
誰もが商業祭の成功を信じて動いていた。
だが――。
アルトだけは、一つの古い建物を見つめていた。
旧王家倉庫。
今では使われていない、石造りの巨大な建物。
「ここに、本当に何かあるのか?」
マルクが尋ねる。
「あるよ」
「何が?」
「十年前の記録」
「それだけ?」
「たぶん、それだけじゃない」
アルトは入口に刻まれた紋章を見る。
王家の紋章。
そして、その隣にはレインハルト家の紋章。
レオンが静かに言った。
「この倉庫は、昔の非常時物流拠点だ」
「戦争や大規模災害が起きた時、王都へ物資を送るために使われていた」
「じゃあ、なぜ今は使われていない?」
「港が発展したからだ」
「それだけ?」
レオンは少し黙った。
「……十年前の事件も関係している」
アルトは父を見る。
「やっぱり」
十年前。
レインハルト家。
物流。
そして黒帳。
これまで繋がらなかった点が、少しずつ一本の線になり始めていた。
「アルト様」
ローディンが周囲を確認する。
「人の気配があります」
「何人?」
「少なくとも五人」
マルクが慌てる。
「黒帳か?」
「おそらく」
アルトは笑った。
「予定通りだね」
「予定通り?」
「ここを見張らせていたんです」
マルクが目を丸くする。
「最初から?」
「うん」
「黒帳がこの倉庫を狙うことは分かっていた」
「じゃあ、なぜ放っておいた?」
アルトは倉庫を見る。
「魚を釣るなら、魚がいる場所に餌を置くでしょう?」
「……つまり?」
「ここを餌にする」
ローディンが苦笑した。
「また大胆なことを考えるな」
「営業は大胆さも必要です」
「その言葉で全部片付けるな」
その夜。
旧王家倉庫に、数人の男たちが忍び込んだ。
「鍵は?」
「開いている」
「妙だな」
「罠じゃないのか?」
「構わん」
男たちは奥へ進む。
そして、一つの古い金庫を見つけた。
「これだ」
「王家の印がある」
「中を確認しろ」
鍵を壊す。
金庫の中には、古い書類が束になって入っていた。
「これが例の記録か?」
「分からん」
「全部持っていけ」
男たちが書類を運び出す。
その瞬間――。
カチッ。
「……?」
男が足を止める。
次の瞬間、倉庫の扉が一斉に閉まった。
「誰だ!」
灯りが点く。
そこに立っていたのは、アルトだった。
「こんばんは」
「アルト……!」
男たちが剣を抜く。
しかし、彼らの前にはローディンたちが立っていた。
「武器を置け」
低い声。
男たちは動けない。
アルトは金庫を見る。
「ありがとう」
「おかげで、確認できました」
「何をだ!」
「黒帳が本当に、この倉庫を狙っていることを」
男たちは顔を見合わせる。
「……!」
アルトは一枚の紙を拾い上げる。
「これは本物じゃありません」
「偽物だ」
男の顔が青ざめる。
「では、本物はどこにある?」
アルトは笑った。
「最初から、ここにはありません」
翌朝。
アルトはグランディア商会へ戻った。
「作戦成功だな」
ガルドが言う。
「はい」
「黒帳は偽の資料を持って帰った」
「そして、こちらは侵入者を確保した」
マルクが尋ねる。
「でも、どうして偽物だと分からなかったんだ?」
「簡単です」
アルトは紙を一枚見せる。
「本物の資料には、王家の印だけじゃなく、当時の担当者の署名がある」
「今回の資料には、それがない」
「でも黒帳は知らない」
「だから盗ませた」
ガルドが感心したように笑う。
「敵が欲しがるものを、わざと見せる」
「営業でいうところのサンプル提示か」
「ちょっと違います」
「でも考え方は近いですね」
アルトは続ける。
「重要なのは、黒帳がこの資料を持ってどこへ行くかです」
「そこから本当の黒幕を追います」
その頃。
黒帳の拠点。
「資料は?」
「確保しました」
「中身は?」
「王家の物流記録です」
男が書類を確認する。
「……間違いない」
「これでレインハルト家が十年前に物流権限を不正利用した証拠になる」
「そうです」
「これを王都へ送れ」
「王家へ?」
「いや」
男は笑った。
「貴族評議会へだ」
「レインハルト家を潰す」
その言葉を聞いた部下が尋ねる。
「ですが、アルトはどうします?」
「商業祭で信用を失わせる」
「それから王都へ責任を追及させる」
「完璧です」
男は書類を封筒に入れた。
だが――。
その封筒には、小さな印が付いていた。
アルトが仕掛けた追跡用の印だった。
同じ頃。
グランディア商会。
アルトは地図を見ていた。
「動いた」
「どこへ?」
「王都方面」
ローディンが尋ねる。
「追うのか?」
「追いません」
「え?」
「目的地は分かっています」
アルトは笑った。
「先回りします」
その夜。
レオンとアルトは二人で話していた。
「父さん」
「なんだ?」
「十年前のことを、全部聞かせて」
レオンは黙った。
しばらくして、口を開く。
「十年前」
「王家は物流制度を大きく変えようとしていた」
「私は、その改革に関わっていた」
「レインハルト家が?」
「そうだ」
アルトは黙って聞く。
「だが、改革を進めれば困る者たちがいた」
「既存の物流を支配していた商人たち?」
「そうだ」
「その中に黒帳がいた」
レオンは拳を握った。
「当時、私は黒帳の不正を掴んだ」
「だが、その証拠が消えた」
「そして私に責任が押し付けられた」
「それが十年前の事件?」
「ああ」
「でも、父さんは貴族だった」
「だからこそ、簡単には潰せなかった」
レオンはアルトを見る。
「黒帳は私を失脚させるため、別の方法を選んだ」
「物流権限を利用して利益を得ていたという偽の証拠を作った」
アルトは拳を握る。
「……だから、レインハルト家の物流権限が問題になった」
「そうだ」
「でも、その証拠は偽物だった」
「ああ」
「じゃあ、本物の証拠は?」
レオンはアルトを見つめる。
「残っている」
「どこに?」
「王家の記録庫だ」
アルトは目を見開く。
「王家?」
「旧王家倉庫にあったのは、その場所へ繋がる手掛かりだ」
「なるほど」
アルトは笑った。
「やっと繋がった」
翌朝。
アルトは王家へ送る書状を用意した。
そこには、十年前の事件。
黒帳の現在の動き。
そして、旧王家倉庫への侵入記録。
全てがまとめられている。
「これで王家も動く?」
マルクが尋ねる。
「証拠が揃えばね」
「でも、本物の証拠は王家の記録庫だ」
「だから――」
アルトはエリシアを見る。
「お願いします」
「任せて」
エリシアは頷いた。
「王家の記録庫への閲覧許可を取ります」
「ありがとう」
しかし、その直後。
王都から急使が到着した。
「アルト様!」
「何?」
「王都から緊急の知らせです」
「黒帳が先に動きました」
アルトは手紙を受け取る。
開封する。
そこには短い一文があった。
『レインハルト家に対する十年前の物流権限不正使用について、再調査を開始する』
アルトは静かに紙を置いた。
マルクが青ざめる。
「……まずいんじゃないか?」
「うん」
「でも――」
アルトは笑った。
「これで、黒帳の尻尾が出る」
「どういうこと?」
「十年前の事件を再調査するなら」
「王家も本物の記録を調べる」
「そうすれば、黒帳が作った偽証拠との矛盾が出る」
レオンが頷く。
「そして黒帳は焦る」
「焦れば、必ず動く」
アルトは立ち上がった。
「その瞬間を待ちます」
「商業祭まで、あと九日」
「ここからが本番です」
その日の夕方。
黒帳の拠点では、別の報告が入っていた。
「王家が再調査を始めました」
「何だと?」
「レインハルト家の件です」
男の顔が変わる。
「なぜだ……」
その瞬間。
男は気づいた。
旧王家倉庫。
盗んだ資料。
そして――。
「まさか」
「最初から、罠だったのか?」
だが、もう遅い。
アルトはすでに動いていた。
グランディアの夜空に、月が昇る。
商業祭まで、残り九日。
市場では、誰も知らないところで最後の戦いが始まっていた。
黒帳が守ろうとする十年前の秘密。
レオンが背負ってきた過去。
そしてアルトが追い続けてきた真実。
すべてが、一つに繋がろうとしていた。
「父さん」
「なんだ?」
「十年前に失ったもの」
「ああ」
「僕が取り戻すよ」
レオンは静かに笑った。
「頼んだぞ、アルト」
アルトは窓の外を見る。
「営業課長として――」
「最後まで、交渉します」
しかし。
今回の相手は、商談では終わらない。
次に動くのは――。
黒帳そのものだった。
営業メモ①③⑤
「営業では、相手が欲しがっている情報や条件を知ることが重要です。しかし、それをただ隠すだけではなく、相手の反応を見るために『あえて提示する』という方法もあります。相手が何に反応したのか、どこへ動いたのかを観察すれば、相手の目的や情報経路を逆算できます。ただし、実際のビジネスでは偽情報を使うのではなく、公開可能な情報と機密情報を明確に分け、適切に管理することが重要です。」
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次回予告 第百三十七話「営業課長、十年前の真実を追う」
王家による再調査が始まった。
レオンが背負ってきた十年前の事件。
その真実を証明するため、アルトは王家の記録庫へ向かう。
「本物の記録を見つければ、全部ひっくり返せる」
しかし――。
「記録庫の鍵がありません」
十年前、証拠を隠した人物。
そして、その鍵を最後に持っていた人物。
アルトは一人の意外な人物へ辿り着く。
一方、追い詰められた黒帳は、ついに商業祭そのものを潰すため、最後の切り札を使う。
商業祭まで、残り八日。
レオンの過去と、黒帳の正体。
二つの謎が、ついに交差する――。




