第百三十四話 営業課長、港を封鎖される
グランディア港。
普段なら、朝から怒号が飛び交っている。
荷物を運ぶ商人。
積み下ろしをする作業員。
船員。
それぞれが忙しく動き回り、巨大な港は活気に満ちている。
だが――。
今日は違った。
「……止まってるな」
アルトは港を見渡した。
船は接岸している。
荷物も積まれている。
なのに、誰も動いていない。
「黒帳が港湾組合を押さえたそうです」
ローディンが報告する。
「荷下ろしをしたら、仕事を失うと脅されたらしい」
「なるほど」
アルトは腕を組む。
マルクが苛立ったように言った。
「港を封鎖するなんて、やり方が汚すぎるだろ」
「商売だからね」
「商売にしてはやりすぎだ」
「だからこそ、相手の狙いが分かりやすい」
アルトは港の先を見る。
「僕たちに、港を取り戻そうとさせたいんだ」
「どういう意味だ?」
「港を巡って争えば、商業祭までに時間を失う」
「そして商人たちが疲弊する」
「黒帳は、それを狙っている」
レオンが頷いた。
「なら、どうする?」
「使わない」
「何?」
「港を使わなければいい」
マルクが目を丸くする。
「いやいや、グランディアの港だぞ?」
「ここを使わずにどうやって商品を運ぶ?」
アルトは地図を広げた。
「陸路」
「そして河川です」
グランディアの北側。
そこには、かつて使われていた古い街道があった。
現在はほとんど利用されていない。
「この道は?」
ローディンが尋ねる。
「十年前までは使われていた交易路です」
レオンが答えた。
「だが、港が発展してから使われなくなった」
「理由は?」
「遠い」
「道が悪い」
「盗賊も出る」
「つまり、使えない道?」
「今のままならね」
アルトは地図を指差す。
「でも、商業祭まで二週間あります」
「道を整備します」
「二週間で?」
「全部は無理です」
アルトは笑った。
「だから、全部は直しません」
「必要な区間だけ直します」
マルクが唸る。
「またそれか」
「全部を完璧にするんじゃなく、目的を達成するために必要なところだけ」
「営業と同じです」
レオンが笑う。
「効率を考えるようになったな」
「父さんに教わったからね」
「……私はそんなことまで教えた覚えはないぞ」
「営業してると自然に身につくよ」
アルトたちはすぐに動き始めた。
街道沿いの村へ向かう。
「この道を商業祭の物流に使いたい」
村長が困った顔をする。
「しかし、道が荒れています」
「分かっています」
「直すには金がかかります」
「商業祭の利益から支払います」
「本当に?」
「はい」
「それに――」
アルトは村の倉庫を見る。
「この地域の商品も、商業祭で販売しませんか?」
「うちの商品を?」
「はい」
「これまでグランディアまで運べなかった商品も、共同物流に乗せられます」
村長の表情が変わった。
「……それなら、協力したい」
アルトは笑った。
「ありがとうございます」
その日の午後。
街道整備が始まった。
商人。
村人。
運送業者。
職人。
普段なら交わらない人々が、一本の道に集まる。
「この石をどかせ!」
「荷車を通すぞ!」
「橋の補修は終わった!」
作業は急ピッチで進んだ。
アルトは現場を歩きながら確認する。
「ここは十分」
「次は橋」
「その先の坂道を補修」
「休憩所も必要だね」
マルクが驚く。
「休憩所まで?」
「荷馬車を長距離走らせるなら必要だよ」
「運転手が疲れたら事故が増える」
「安全も物流品質の一部だから」
ローディンが頷く。
「確かに」
アルトはさらに地図を見る。
「それと、途中に倉庫を二つ作ります」
「倉庫?」
「一気に運ぶ必要はありません」
「途中で一度集めて、まとめて運べばいい」
レオンが感心する。
「中継拠点か」
「はい」
「港が一つの巨大拠点なら、こちらは小さな拠点を複数作る」
「どこか一つが止まっても、全部は止まらない」
「物流の分散化だな」
「その通りです」
アルトは頷いた。
しかし。
その夜。
黒帳の男が報告を受けていた。
「古い街道を使う?」
「はい」
「アルトは港を捨てるつもりです」
男はしばらく黙っていた。
「……なるほど」
「やはり、そう来たか」
「どうします?」
「放っておけ」
「しかし――」
「いや」
男は笑った。
「むしろ、その道を使わせろ」
「え?」
「アルトがどの道を使うか分かればいい」
「物流拠点も分かる」
「荷馬車の数も分かる」
「商品も分かる」
男は地図を広げた。
「港を封鎖した目的は、商品を止めることじゃない」
「アルトの物流網を表に出させることだ」
部下が息を呑む。
「では……」
「ああ」
「こちらは、次の段階に入る」
一方。
アルトたちは街道沿いの宿で作戦会議をしていた。
「現在、共同物流に参加している荷馬車は百八十台」
マルクが報告する。
「商業祭までに二百五十台まで増やせそうです」
「十分だね」
「でも、港を使えない」
「それでも問題ない」
「本当に?」
「うん」
アルトは地図を見る。
「むしろ今なら、物流網を一から作り直せる」
「港に依存していた部分を減らせる」
「これが終われば、黒帳が港を押さえても意味がなくなる」
レオンが頷く。
「ただし、一つ問題がある」
「何?」
「黒帳が、この動きを黙って見ていると思うか?」
アルトは黙った。
「思わない」
「だろうな」
「だから――」
アルトは地図上の街道を指差す。
「監視します」
「監視?」
「はい」
「荷馬車の動きを、わざと複数のルートに分けます」
「どれが本命か分からなくする」
マルクが笑う。
「黒帳を逆に迷わせるのか」
「そう」
「情報戦だね」
アルトは頷いた。
「ただし、これだけでは足りない」
「何が?」
「黒帳が本当に欲しい情報を、こちらから流します」
全員がアルトを見る。
「偽の物流計画を作ります」
「囮か」
「はい」
「黒帳がその情報を信じれば、僕たちは相手の動きを読める」
レオンが笑う。
「営業マンが、とうとう情報戦まで始めたか」
「営業も情報戦だからね」
「そうなのか?」
「そうだよ」
翌日。
アルトは一枚の計画書を作った。
『商業祭向け主要物流ルート』
そこには、三本の街道が記されている。
だが。
本当のルートは別にある。
アルトはその計画書を、あえて複数の商人に見せた。
「これが本番の物流ルートです」
「分かった」
「このルートで運びます」
情報は広がる。
そして――。
黒帳にも届く。
アルトは静かに待った。
三日後。
報告が入った。
「アルト!」
マルクが駆け込んでくる。
「どうした?」
「西側の街道に、黒帳の連中が集まってる」
「人数は?」
「かなり多い」
アルトは笑った。
「引っかかった」
「囮だったのか」
「うん」
ローディンが尋ねる。
「では、本当のルートは?」
「東側」
アルトは地図を指差す。
「黒帳は、西側を止めに来る」
「その間に、東側から商品を運ぶ」
レオンが笑う。
「見事だな」
「ただし――」
アルトの表情が変わる。
「これで黒帳が終わったわけじゃない」
「むしろ、ここからだと思う」
「なぜ?」
「僕たちが囮を使ったことに気づけば」
「次は、人を狙ってくる」
その瞬間。
外から馬の音が聞こえた。
兵士が駆け込んでくる。
「アルト様!」
「どうした?」
「東側の中継倉庫から連絡です!」
「黒帳の襲撃を受けました!」
アルトの顔から笑みが消える。
「……やっぱり」
「東側が本命だと読まれた?」
ローディンが尋ねる。
「違う」
アルトは立ち上がる。
「最初から、僕たちの情報を二重に見ていたんだ」
レオンが険しい顔になる。
「つまり?」
「黒帳は囮に引っかかったんじゃない」
「僕たちが囮を使うことまで読んでいた」
部屋が静まり返る。
アルトは地図を見る。
「……強いな」
初めて。
アルトが敵を素直に評価した。
「でも――」
アルトは笑う。
「だから面白い」
「次は、こっちから仕掛けます」
商業祭まで、残り十一日。
アルトと黒帳。
互いの情報戦は、さらに激しくなっていった。
営業メモ①③③
「営業では、相手の行動を予測することが重要です。しかし、相手もこちらを見ています。だからこそ、一つの情報だけで判断せず、『相手は自分の意図をどう読んでいるか』まで考える必要があります。情報戦では、相手を欺くことだけが目的ではありません。相手がどの情報を信じたのかを確認することで、逆に相手の考え方を読むこともできます。」
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次回予告 第百三十五話「営業課長、黒帳の情報網を逆利用する」
古い街道を利用した新物流網。
しかし黒帳は、アルトの囮作戦まで見抜いていた。
「相手も、こちらを見ている」
アルトは黒帳の情報網そのものに目を向ける。
「だったら、その情報網を利用します」
商人から商人へ。
荷馬車から荷馬車へ。
街中に張り巡らされた黒帳の情報網。
その一部を逆に利用し、アルトは黒帳へ偽情報を流し始める。
しかし――。
「アルト様、妙な商人が共同物流に参加したいと言っています」
「名前は?」
「……セドリックです」
グランディア商会会長補佐。
黒帳と繋がっていた男が、アルトの陣営への参加を申し出る。
「これは罠ですか?」
「たぶんね」
それでもアルトは受け入れる。
「だったら、罠を利用すればいい」
黒帳との情報戦。
ついにアルトが、敵の懐へ逆に情報を送り込む。




