第百二十八話 営業課長、王宮で商談する
王宮。
普段なら静かな廊下が、今日は騒然としていた。
「物流管理局への立ち入りを禁止する!」
「王太子殿下の命令に従え!」
「我々には正式な権限がある!」
扉の向こうから、怒鳴り声が聞こえる。
アルトはその前で足を止めた。
「……本当に反乱してるんだな」
マルクが呟く。
「しかも王宮の中で」
エリシアが不安そうに兄を見る。
王太子は険しい表情をしていた。
「私の命令が拒否されるとは思わなかった」
「殿下」
アルトが声をかける。
「焦らなくて大丈夫です」
「だが、物流が止まれば王都が危険になる」
「だからこそ、力で押さえ込まないほうがいい」
「なぜ?」
アルトは扉を見る。
「彼らは黒帳の一員とは限りません」
「脅されているだけの人もいるはずです」
王太子は黙った。
「なら、どうする?」
「話します」
「また商談か」
「はい」
アルトは笑った。
「今回の相手は、かなり大きな会社ですけどね」
「王宮を会社扱いするな」
マルクが呆れる。
「でも、やることは商談と同じです」
「相手が何を恐れているのか」
「何を守りたいのか」
「そこを聞きます」
アルトは扉の前に立った。
「中にいる皆さん」
声を張る。
「僕はアルト・レインハルトです」
扉の向こうが静かになる。
「今日は戦いに来たわけではありません」
「話をしに来ました」
「帰れ!」
すぐに怒鳴り声が返ってくる。
アルトは気にせず続けた。
「では、一つだけ質問します」
「皆さんは、王国を守りたいですか?」
沈黙。
「それとも――」
「自分の仕事を守りたいですか?」
再び沈黙。
「どちらでも構いません」
「僕は責めません」
「家族を守りたい人もいるでしょう」
「職を失いたくない人もいるでしょう」
「命令に逆らうのが怖い人もいるでしょう」
扉の向こうで、誰かが息を呑んだ。
「でも、一つだけ覚えておいてください」
「物流が止まれば、最初に困るのは皆さんの家族です」
「食料が届かなくなる」
「薬も届かなくなる」
「生活に必要なものが消える」
「それでも、本当に今の命令に従いますか?」
しばらくして。
「……我々は命令に従っているだけだ!」
一人の男が叫んだ。
「誰の命令です?」
「物流管理局長の命令だ!」
「その局長は、誰から命令を受けています?」
「……」
アルトは続ける。
「名前を聞いているだけです」
「責めません」
「ただ、確認したい」
すると。
「……黒帳だ」
小さな声が聞こえた。
アルトの目が細くなる。
「もう一度お願いします」
「黒帳から命令を受けている」
「誰が?」
「局長です」
アルトは頷いた。
「ありがとうございます」
「では、局長を呼んでください」
扉が開いた。
現れたのは、五十代の男だった。
王宮物流管理局長。
整った服装。
しかし、顔には疲労が滲んでいる。
「私が局長だ」
「お名前を?」
「ヴァルター・グレン」
アルトは頭を下げる。
「初めまして」
「君がアルトか」
「はい」
「随分と若いな」
「よく言われます」
「営業課長だそうだな」
「はい」
「では、何を売りに来た?」
アルトは笑った。
「信用です」
ヴァルターの表情が変わる。
「信用?」
「はい」
「今の王都には、それが足りません」
アルトは一歩近づく。
「商人は物流が止まることを恐れている」
「職員は責任を取らされることを恐れている」
「市民は明日の生活を恐れている」
「そして王宮は――」
「誰を信じればいいのか分からなくなっている」
ヴァルターは黙った。
「だから、僕が提案します」
「何を?」
「透明な物流管理です」
「全ての入出庫記録を公開します」
「誰が、いつ、どこへ、何を運んだのか」
「全て記録する」
「そんなことをすれば、黒帳が困るだけだ」
ヴァルターの口から、思わず言葉が漏れた。
アルトが笑う。
「今、言いましたね」
「……」
「黒帳が困る」
「つまり、あなたも黒帳が何をしているか知っている」
「違う!」
ヴァルターが声を荒らげる。
「私は何も――」
「大丈夫です」
アルトは遮った。
「責めていません」
「むしろ、これで話が早くなりました」
「何?」
「あなたも黒帳に利用されている」
ヴァルターが黙った。
「違いますか?」
「……」
「彼らはあなたに命令する」
「でも、あなたが失敗すれば切り捨てる」
「違うなら、否定してください」
ヴァルターは答えなかった。
アルトは一枚の紙を机に置いた。
「これを見てください」
「何だ?」
「黒帳の帳簿です」
ヴァルターの顔色が変わった。
「……なぜ、それを」
「北部で手に入れました」
「あなたの名前もあります」
ヴァルターは紙を凝視する。
「私の……?」
「はい」
「物流管理局の人間が何人か記録されています」
「そして――」
アルトは別の部分を指す。
「この数字」
「これは?」
「あなたの家族への送金記録です」
ヴァルターが立ち上がった。
「なぜ、それを知っている!」
「営業ですから」
「営業で、そこまで調べるのか!」
「必要なら調べます」
ヴァルターは拳を握った。
「……私は」
「家族を守りたかった」
アルトが静かに言う。
「だから黒帳の命令に従った」
「違いますか?」
長い沈黙。
「……そうだ」
ヴァルターが呟いた。
「私は脅されていた」
「妻と娘を」
「黒帳に?」
「そうだ」
「だから物流管理局を乗っ取られたふりをしていた」
「いや……」
ヴァルターは首を振る。
「最初は、そうだった」
「だが、気づけば戻れなくなっていた」
アルトは頷いた。
「分かりました」
「では、取引しましょう」
「取引?」
「はい」
「僕たちがあなたと家族を守る」
「その代わり――」
「黒帳の情報を全部ください」
ヴァルターはアルトを見た。
「……本当に守れるのか?」
「守ります」
「王太子殿下の権限で?」
「はい」
アルトは王太子を見る。
王太子は頷いた。
「私が保証する」
ヴァルターは目を閉じた。
そして――。
「分かった」
「全て話す」
ヴァルターが語った内容は、想像以上だった。
「黒帳は王宮内部に、少なくとも二十人いる」
「物流管理局だけで?」
「はい」
「財務、兵站、倉庫管理にもいます」
「そして、王宮の外にも協力者がいる」
「商人?」
「商人もいます」
アルトは頷く。
「物流を支配するには、商人も必要ですからね」
「黒帳は、十年前から王国全体の物流情報を集めていた」
「そして、今年になって動き始めた」
「なぜ今年?」
ヴァルターは答えた。
「国王陛下の体調が悪化したからです」
王太子の表情が変わる。
「……父上が?」
「黒帳は、王太子殿下が即位する前に王国を混乱させる計画を立てていました」
「なぜ?」
「新しい王が誕生する前に、物流を支配するためです」
アルトは考える。
「王太子が即位した後なら、王家の権限が強くなる」
「その前に物流を押さえれば――」
「王宮より先に、王国を動かせる」
ヴァルターが頷いた。
その時。
王宮の外から鐘の音が響いた。
王太子が窓を見る。
「何だ?」
騎士が駆け込んできた。
「殿下!」
「どうした?」
「王都西部の食料倉庫が襲撃されました!」
「またか」
「しかし、今回は違います!」
「何が?」
「倉庫を守っていた兵士が――」
「黒帳側につきました」
部屋が静まり返る。
アルトはヴァルターを見る。
「まだ動いている」
「はい」
ヴァルターが答える。
「黒帳は、物流管理局を奪われても止まりません」
「では、次の標的は?」
アルトが尋ねる。
ヴァルターは地図を見る。
「王都中央倉庫」
「そこには何がある?」
「王都全体の食料備蓄です」
「……」
「そこを奪われたら?」
「王都は三日で食料不足になります」
エリシアが息を呑む。
「三日……」
アルトは立ち上がった。
「行きましょう」
「どこへ?」
「中央倉庫です」
王太子も立ち上がる。
「私も行く」
「殿下は王宮に残ってください」
「なぜ?」
「黒帳は殿下を狙っています」
「だからこそ、私が――」
「違います」
アルトは王太子を見る。
「今、一番必要なのは殿下の命令です」
「倉庫を守る兵士を動かす」
「商人たちに物流再開を命じる」
「そして、王都全体に安心を与える」
「それができるのは、殿下だけです」
王太子は黙った。
そして頷く。
「分かった」
「任せる」
「はい」
アルトはエリシアを見る。
「エリシアは殿下と一緒に」
「分かった」
「父さん」
「私も行く」
レオンが即答する。
「危険ですよ」
「お前だけに任せられるか」
「……ありがとう」
アルトは笑った。
中央倉庫へ向かう途中。
アルトは一枚の書類を見ていた。
ヴァルターから渡された黒帳の名簿。
その中に――。
一つだけ、見覚えのある名前があった。
「……」
アルトの足が止まる。
「どうした?」
レオンが尋ねる。
「父さん」
「何だ?」
「この名前」
アルトは名簿を見せる。
レオンの顔から血の気が引いた。
「……まさか」
「知ってるの?」
「知っている」
「誰?」
レオンは答えた。
「十年前――」
「私を失脚させた責任者だ」
アルトの目が鋭くなる。
「生きているの?」
「……ああ」
レオンは拳を握った。
「そして今も王宮にいる」
アルトは名簿を見る。
その人物の現在の役職。
「王宮財務長官」
アルトは静かに呟いた。
「黒帳の本当の中心人物……」
その時。
中央倉庫の方向から、大きな爆発音が響いた。
アルトは走り出す。
「急ぎましょう!」
王国の物流を巡る戦いは――。
ついに、最終局面へと入り始めていた。
営業メモ①②⑦
「営業では、相手を『敵』と『味方』だけに分けて考えないことが重要です。相手の中には、脅されて仕方なく動いている人や、本当は協力したい人もいます。アルトはヴァルターを責めるのではなく、『なぜ黒帳に従っているのか』を確認しました。相手の行動だけを見るのではなく、その背景にある事情まで理解する。そこから、本当の交渉が始まります。」
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次回予告 第百二十九話「営業課長、十年前の因縁と再会する」
王都中央倉庫が襲撃された。
そして、黒帳の中心人物として浮かび上がった名前。
「王宮財務長官――」
「まさか、あの男が……」
十年前、レオンを失脚させた張本人との再会。
「久しぶりですね、レオン殿」
「十年前の借りを返しに来たのか?」
「いや――」
「今度こそ、レインハルト家を終わらせるためです」
父と因縁の相手が、ついに正面から対峙する。
一方アルトは、中央倉庫を守るために商人たちへ緊急の指示を出す。
「倉庫を守るだけじゃ足りない」
「王都全体を一つの物流網にします」
黒帳の巨大な物流網に対抗する、アルトの最終営業戦略が始まる。




