第百二十六話 営業課長、王都へ緊急帰還する
国王陛下が倒れた。
その知らせは、北部の街を一瞬で凍りつかせた。
「本当に……父上が?」
王太子は伝令を見つめたまま、動かなかった。
「はい。今朝、執務中に突然倒れられたとのことです」
「容体は?」
「詳しいことは、まだ……」
エリシアが兄の隣に立つ。
「兄上……」
王太子はしばらく目を閉じた。
そして、ゆっくりと息を吐く。
「王都へ戻る」
「はい」
「エリシア、お前もだ」
「分かりました」
アルトは二人を見ながら、手元の帳簿を閉じた。
「僕たちも戻ります」
王太子が振り返る。
「当然だな」
「はい」
「黒帳が動き始めた」
「そして、父上が倒れた」
王太子の声は低かった。
「偶然とは思えない」
「僕もそう思います」
アルトは頷いた。
「だからこそ、急いで戻る必要があります」
「王都で何か起きている可能性が高い」
ローディンが口を開く。
「だが、街道は封鎖されている」
「なら、別の道を使います」
「山道か?」
「はい」
「危険だぞ」
「表の街道よりは安全です」
アルトは地図を広げた。
「黒帳が王太子殿下の帰還を阻止するなら、当然、主要街道を押さえます」
「だからこそ、誰も使わない道を使う」
レオンが地図を覗き込む。
「この道は?」
「昔の商道です」
「今はほとんど使われていない」
「だからいいんです」
アルトは笑った。
「人が使わない道ほど、敵も警戒しません」
マルクが苦笑する。
「お前、敵の裏をかくのが好きだな」
「営業では大事だからね」
「また営業か」
「何でも営業につながるんだよ」
「便利な人生だな……」
その日の昼。
王太子一行は北部の街を出発した。
王太子直属の近衛騎士団。
エリシア。
アルト。
レオン。
ローディン。
グラン商会の護衛。
かなりの人数だ。
だが、アルトは安心していなかった。
「多すぎる」
アルトが言った。
「何が?」
マルクが尋ねる。
「人数です」
「多いほうが安全だろ?」
「普通ならね」
アルトは後方を見る。
「でも今回は違う」
「王太子殿下が移動していることを隠さないといけない」
「大人数で移動すれば、目立つ」
「つまり――」
「敵に見つかる」
マルクが頭を抱える。
「じゃあ、どうする?」
「二手に分けます」
アルトは王太子のもとへ向かった。
「殿下」
「何だ?」
「護衛を二隊に分けましょう」
「私とエリシアは?」
「本隊に乗っていただきます」
「そして別動隊を作ります」
王太子が理解する。
「囮か」
「はい」
「また囮か」
「今回の商談では、囮を二つ用意します」
「二つ?」
「王太子殿下の囮」
「それと――」
アルトは自分を指差した。
「僕です」
「君が?」
「はい」
「なぜ?」
「敵が僕を警戒しているからです」
王太子は少し考える。
「確かに」
「北部での動きを考えれば、黒帳は君を危険視しているだろう」
「なら、利用します」
王太子が笑った。
「君らしいな」
「ありがとうございます」
「褒めてはいない」
「そうですか?」
「……褒めていることにしておこう」
夕方。
アルトたちは山道へ入った。
木々に囲まれた細い道。
馬車一台が通れる程度しかない。
普段なら静かな場所。
だが――。
アルトは何度も周囲を確認していた。
「何か感じる?」
エリシアが尋ねる。
「感じるというより……」
アルトは馬を止めた。
「静かすぎる」
「また?」
「うん」
鳥の声がない。
風の音もほとんどない。
「誰かいる」
ローディンが剣に手をかけた。
「どこだ?」
「前じゃない」
アルトが後ろを見る。
「後ろ?」
「はい」
その瞬間。
山道の入り口から、矢が飛んできた。
「伏せろ!」
近衛騎士が叫ぶ。
矢が地面に突き刺さる。
「敵襲!」
騎士たちが一斉に動く。
森の中から男たちが現れた。
「王太子を逃がすな!」
その声に、アルトは確信した。
「やっぱり」
マルクが叫ぶ。
「何がやっぱりだ!」
「敵は王太子殿下がこっちにいると思ってる!」
「どうして分かる?」
「叫んだから!」
「確かに!」
マルクが妙に納得した。
戦闘が始まった。
近衛騎士団が敵を押し返す。
だが、敵の数は多い。
「アルト!」
レオンが叫ぶ。
「こっちへ!」
アルトは父のもとへ駆け寄った。
「父さん、大丈夫?」
「私は平気だ」
「なら、別動隊を頼みます」
「何?」
「敵は僕たちを本隊だと思っている」
「このまま僕たちが引きつけます」
「王太子殿下は?」
「もう別ルートへ移動しています」
レオンが目を見開く。
「いつの間に?」
「敵が現れる直前です」
「お前、そこまで計算していたのか」
「もちろん」
アルトは笑った。
「営業では段取りが八割です」
「戦場で営業の話をするな」
「すみません」
だが。
アルトは気づいていた。
何かがおかしい。
敵の動きが、あまりにも単純すぎる。
「……」
アルトは周囲を見る。
「おかしい」
ローディンが尋ねる。
「何が?」
「こいつら、本当に王太子を狙っているんでしょうか?」
「どういう意味だ?」
「攻撃が雑すぎる」
「王太子を狙うなら、もっと確実な方法を選ぶはずです」
アルトは敵の装備を見る。
「しかも、黒帳の人間にしては情報が足りない」
「囮だと気づいていない」
「なら、なぜ?」
アルトは考えた。
そして――。
「この襲撃自体が囮です」
ローディンが目を見開く。
「何?」
「僕たちをここに足止めするため」
「では、本当の攻撃は別の場所?」
「はい」
アルトは王都の方向を見る。
「王都です」
その頃。
王都。
王宮の一室。
一人の男が窓の外を見ていた。
「北部で襲撃が始まったようです」
部下が報告する。
「王太子は?」
「まだ北部にいると思われます」
「思われます?」
「はい。正確な位置は把握できていません」
男が眉をひそめる。
「……アルト・レインハルトか」
「おそらく」
「厄介な男だ」
男は机の上に地図を広げた。
「では、予定を早める」
「はい」
「王都の物流拠点を全て止めろ」
「食料倉庫も?」
「全てだ」
「しかし、それでは市民が――」
「構わない」
「混乱が大きいほど、我々には都合がいい」
男は笑った。
「王太子が戻れなければ、なおさらだ」
そして――。
「王宮の物流管理権限をこちらに移せ」
「承知しました」
部下が出ていく。
男は一人になった。
「十年前から準備してきた」
「もう誰にも止められない」
だが。
机の上に置かれた一枚の書類。
そこには、レインハルト家の名前。
その横に、赤い線が引かれていた。
夜。
山道。
アルトたちは襲撃者を制圧していた。
「終わったな」
ローディンが言う。
「いいえ」
アルトは首を振る。
「始まったばかりです」
「王都で動いている」
「急ぎましょう」
その時。
一頭の馬が山道を駆けてきた。
王太子直属の伝令だった。
「アルト様!」
「どうした?」
「王都から緊急連絡です!」
「物流拠点が――」
伝令は息を切らしながら告げた。
「王都各地で、同時に襲撃を受けています!」
「食料倉庫」
「魔石倉庫」
「武器庫」
「全てです!」
アルトは拳を握った。
「やっぱり……」
レオンが尋ねる。
「王都の物流を止めるのが目的だったのか?」
「それだけじゃありません」
「じゃあ、何だ?」
アルトは王都の方向を見る。
「王太子殿下が不在の間に、物流の指揮権を奪う」
「そして――」
「王都そのものを、黒帳の管理下に置く」
ローディンが息を呑む。
「そんなことが可能なのか?」
「可能にするために、十年前から準備してきたんでしょう」
アルトは馬に乗る。
「急ぎます」
「王都へ?」
「はい」
「でも王太子殿下は?」
「先に向かっています」
アルトは笑った。
「僕たちも追いつきます」
「そして、黒帳より先に物流を取り戻す」
レオンが馬に乗る。
「分かった」
「父さん」
「何だ?」
「王都に戻ったら、昔の商人仲間に連絡してください」
「物流を動かせる人間を集めます」
「分かった」
「お前は?」
アルトは王都を見る。
「僕は――」
「営業をします」
レオンが苦笑する。
「この状況でもか」
「こういう状況だからこそです」
アルトは手綱を握った。
「物流は、人と人の信用で動いている」
「なら、その信用を取り戻せばいい」
王都へ向けて、馬が走り出した。
そして王都では。
すでに最初の食料倉庫が閉鎖されていた。
市場から商品が消え始める。
商人たちは不安に駆られる。
市民たちは騒ぎ始める。
物流が止まれば、街は数日で変わる。
だが――。
黒帳がまだ気づいていないことが一つあった。
アルト・レインハルトが、王都の商人たちとすでに繋がっていること。
そして、その繋がりは――。
黒帳が十年かけて作った物流網よりも、はるかに新しく、柔軟だった。
アルトはまだ知らない。
自分がこれまで積み上げてきた「営業」が――。
今度は王国そのものを救う武器になることを。
営業メモ①②⑤
「営業で築いた人脈は、平時だけに役立つものではありません。困難な状況ほど、普段から築いてきた信頼関係が大きな力になります。価格だけで取引する関係は、条件が変われば簡単に崩れます。しかし、『この人なら信用できる』という関係は、危機に直面したときにこそ力を発揮します。営業の本当の資産は、売上だけではなく信用です。」
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次回予告 第百二十七話「営業課長、王都の物流を奪い返す」
王都へ迫る物流崩壊。
食料、魔石、武器。
次々と閉鎖される物流拠点。
「このままでは、三日も持ちません」
王太子は王宮へ到着する。
しかし、そこで待っていたのは――。
「物流管理権限は、すでに別の部署へ移されています」
王宮内部まで黒帳に侵食されていた。
一方、アルトは王都の商人たちを集める。
「皆さん、僕と取引してください」
「でも、何を売るんだ?」
アルトが提示するのは、金ではなく「信用」。
そして、王国最大の物流網を相手にした、アルト史上最大の営業作戦が始まる。




