第百二十二話 営業課長、王太子の名前に驚く
グラン商会。
応接室に、重い沈黙が落ちていた。
机の上に置かれた一枚の許可証。
そこには、確かに王家の印が押されている。
そして発行者として記されていた名前。
――王太子。
「……おかしい」
アルトが呟いた。
エリシアが顔を上げる。
「何がです?」
「この許可証です」
アルトは紙を指でなぞる。
「王太子殿下が発行したこと自体が問題なんじゃありません」
「では?」
「日付です」
ローディンが身を乗り出した。
「日付?」
「はい」
アルトは許可証を裏返す。
「発行日は三週間前」
「でも、ここに書かれている有効期限は半年後まで」
「つまり、王太子殿下が三週間前に正式な許可を出した」
エリシアが頷く。
「そうなりますね」
「なら、王太子殿下は魔石の輸送について知っていたことになります」
ローディンが険しい顔をする。
「それは間違いない」
「では、なぜ王都への報告と一致しない?」
アルトは別の書類を取り出した。
王都から届いた魔石の受領記録。
「王都の記録では、一日五十箱が到着したことになっています」
「でも実際は十箱」
「つまり――」
アルトは許可証を見る。
「王太子殿下が許可した輸送の四十箱が、王都に届いていない」
エリシアの顔が曇る。
「横流し……」
「可能性はあります」
アルトは首を振る。
「でも、まだ断定しません」
「なぜ?」
「王太子殿下が何かを隠しているとは限らないからです」
アルトはダリオを見る。
「あなたは、この魔石をどこへ運んでいるんです?」
「国境付近です」
「なぜ?」
「王太子殿下の命令です」
「何のために?」
「それは――」
ダリオが言葉を止めた。
「国家機密です」
「なるほど」
アルトは頷く。
「では、あなたは命令の内容を全て知っているわけではない?」
「はい」
「つまり、あなたも利用されている可能性がある」
ダリオは黙った。
「……否定はできません」
アルトは椅子に座った。
その時。
「待ってください」
エリシアが口を開いた。
「王太子殿下は、そんなことをする人ではありません」
「僕もそう思っています」
「では、なぜ?」
「だから調べるんです」
アルトは笑った。
「人を疑うのと、事実を確認するのは別です」
エリシアは少し安心したように頷いた。
「ありがとうございます」
「僕はエリシアを信じています」
「……え?」
「だから、その兄上である王太子殿下も、最初から疑うつもりはありません」
エリシアの顔が少し赤くなる。
「そ、そういうことを急に言うのは反則です」
「何が?」
「何でもありません!」
マルクが小声で呟く。
「アルト……営業だけじゃなく、人間関係まで無自覚に攻めるようになったな」
「何か言った?」
「何でもない!」
ローディンは許可証を見つめていた。
「……これは確かに王太子の印だ」
「本物ですか?」
「ああ」
「偽造ではない?」
「この印を偽造するのは難しい」
「では、本当に王太子殿下が発行した?」
「可能性は高い」
ローディンは少し考える。
「だが、気になることがある」
「何です?」
「王太子は、十年前にはまだ幼かった」
「当時の王太子に、物流に関する権限はなかった」
「つまり――」
アルトが続ける。
「十年前の事件とは直接関係ない」
「そう考えるのが自然だ」
「でも、今回の許可証は王太子名義」
「はい」
「なら、十年前の事件と今回の事件を繋いでいるのは別の人物かもしれない」
ローディンが頷いた。
「その可能性は高い」
アルトは机の上に書類を並べる。
十年前の物流記録。
今回の魔石輸送記録。
王家の命令書。
そして――。
グラン商会の帳簿。
「全部並べると、何か見えてくるはずです」
マルクが苦笑する。
「また始まった」
「何が?」
「アルトの帳簿分析」
「大事な仕事だよ」
「分かってる」
アルトは一枚ずつ確認していく。
「……」
「……」
「……あれ?」
アルトの手が止まった。
「どうした?」
グレゴールが尋ねる。
「魔石の輸送ルートです」
「何か変か?」
「はい」
アルトは地図を広げた。
「鉱山から国境までは、この街道を使っています」
「でも――」
指先が別の道を示す。
「王太子の許可証では、別のルートが指定されている」
ダリオが驚く。
「……本当だ」
「あなたは?」
「私は現場の指示に従っただけです」
「誰から?」
「王宮の物流担当官です」
「名前は?」
「……サイラス」
ローディンの表情が変わった。
「サイラス?」
「知っているんですか?」
「ああ」
ローディンは険しい顔をする。
「十年前、王宮の物流管理を担当していた男だ」
「……」
アルトはゆっくりと書類を見る。
「十年前と現在」
「同じ人物が物流を管理している」
「そういうことです」
ローディンが答える。
「つまり――」
アルトは呟く。
「王太子殿下の名前を使って、サイラスが輸送を指示している可能性がある」
エリシアが驚く。
「でも、王太子殿下の許可証があります」
「だから厄介なんです」
「どういうこと?」
「本物の許可証があるなら、サイラスは正式な権限を持っていることになります」
「でも――」
アルトは書類を指差す。
「許可証の内容と、実際の輸送ルートが違う」
「誰かが途中で指示を変更した」
「その可能性があります」
ダリオが青ざめる。
「では、私たちは……」
「知らないうちに別の場所へ運ばされていた?」
「そういうことです」
アルトは頷いた。
その時。
扉がノックされた。
「誰だ?」
ダリオが尋ねる。
「私です」
外から声がする。
ダリオが立ち上がる。
「サイラス……?」
アルトの目が鋭くなる。
「その名前の人物ですか?」
「はい」
「こんなに早く?」
ローディンが立ち上がった。
「まずい」
「どうしました?」
「奴は勘が鋭い」
「私がここにいることを知った可能性がある」
アルトは考える。
扉の向こう。
サイラス。
十年前の物流管理担当。
そして現在も王宮の物流を担当している男。
何かが繋がっている。
「アルト」
エリシアが小声で呼ぶ。
「どうする?」
「会います」
「大丈夫?」
「はい」
「理由は?」
アルトは笑った。
「営業だからです」
「また……」
アルトは扉を見る。
「サイラスさん」
「どうぞ」
扉が開く。
入ってきたのは、五十代ほどの男だった。
整った服装。
落ち着いた物腰。
そして――。
左手に、王家の印が刻まれた指輪をしている。
「初めまして」
「王宮物流局のサイラスと申します」
「アルト・レインハルトです」
「存じています」
サイラスは笑った。
「王都で有名な営業課長ですね」
「ありがとうございます」
「まさか、北部でお会いするとは」
「僕も驚いています」
アルトはサイラスを見る。
そして――。
気づいた。
「その指輪」
「これですか?」
「王家の印ですね」
「ええ」
「いつから?」
「十年前からです」
アルトの目が細くなる。
「十年前……」
「はい」
「では、ずっと王家に仕えていた?」
「そうです」
サイラスは笑う。
「私は忠実な王国の臣下です」
アルトも笑顔を返した。
「そうですか」
「では、一つだけ質問してもいいですか?」
「何でしょう?」
「十年前」
「レインハルト家の物流改革が失敗した時――」
「あなたは、何をしていました?」
サイラスの笑顔が、一瞬だけ消えた。
ほんの一瞬。
だが、アルトには十分だった。
「……昔の話ですね」
「ええ」
「なぜ今、その話を?」
「確認したいだけです」
「何を?」
「十年前と今が、繋がっているのかどうか」
サイラスはアルトを見つめる。
そして――。
「面白いことを言いますね」
「営業課長というのは、本当に勘が鋭い」
「ありがとうございます」
サイラスは笑った。
「ですが、十年前のことなら――」
「私より、あなたのお父上に聞いたほうがいいでしょう」
レオンが眉をひそめる。
「私に?」
「ええ」
サイラスはレオンを見る。
「あなたは十年前、私にこう言いました」
「『いつか息子が、この問題を解決する』と」
アルトの表情が変わった。
「父さんが……?」
レオンは黙っている。
サイラスは笑った。
「まさか、本当にそうなるとは思いませんでした」
「……」
「アルト・レインハルト」
「あなたは、お父上よりも厄介な男になりそうですね」
アルトは笑顔を崩さない。
「それは褒め言葉ですか?」
「もちろん」
「では、こちらからも一つ」
「何でしょう?」
「僕は、あなたと商談したい」
サイラスの目が細くなる。
「私と?」
「はい」
「何を売るのです?」
アルトは答えた。
「真実です」
部屋の空気が変わった。
サイラスの笑顔が消える。
「……面白い」
「では、商談を始めましょう」
アルトは椅子を引いた。
「十年前の話からです」
サイラスはしばらくアルトを見つめ――。
ゆっくりと椅子に座った。
しかし。
その頃、王都では――。
王太子の執務室に、一通の緊急報告が届いていた。
『北部魔石輸送に関して、レインハルト家が調査を開始』
王太子は報告書を読む。
「……アルトが動いたか」
側近が尋ねる。
「どうされますか?」
「予定を変更する」
「ですが――」
「もう隠す必要はない」
王太子は窓の外を見る。
「弟が動き始めた」
「エリシア殿下が?」
「ああ」
そして――。
「アルト・レインハルトもな」
王太子は静かに笑った。
「ならば、こちらから会いに行こう」
王国を揺るがす商談。
その裏で、王太子自身も動き始めていた。
営業メモ①②①
「営業では、相手の表情や言葉の『一瞬の変化』を見逃さないことが重要です。サイラスは言葉では何も認めていません。しかし、十年前の話を出した瞬間に表情が変わりました。営業では、相手の言葉だけが情報ではありません。間、表情、声の変化、質問への反応。そのすべてが、次の質問を考えるための材料になります。」
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次回予告 第百二十三話「営業課長、十年前の担当者と対峙する」
王宮物流局のサイラス。
十年前、レインハルト家の物流改革に関わっていた男との商談が始まる。
「あなたは十年前、何を知っていたんです?」
「答えられない」
「では、質問を変えます」
アルトの営業術によって、少しずつ崩れていくサイラスの証言。
そして明らかになる、十年前にレオンが最後まで隠していた事実。
「レオン様は、最後まで誰かを庇っていた」
「誰を?」
サイラスが答えた名前は――。
「王太子殿下です」
さらに王都から、王太子本人が北部へ向かっているとの知らせが届く。
アルト、レオン、エリシア、ローディン。
そして王太子。
五人が北部で集結する。
十年前の真相が、ついに動き出す。




