第百十四話 営業課長、十年前の裏切り者と商談する
地下室。
古びた帳簿の前で、アルトたちは一人の男と向かい合っていた。
元レインハルト商会の副支配人。
十年前、レオンを裏切った男。
その名は――。
「……グレゴール」
レオンが低い声で呟いた。
「久しぶりだな、レオン」
グレゴールは笑った。
だが、その笑顔にはどこか疲れが見える。
「お前が、なぜここにいる?」
「質問の前に聞かせてくれ」
グレゴールがアルトを見る。
「お前が……アルトか?」
「はい」
「セシリアの息子か」
「そうです」
「なるほど」
グレゴールはしばらくアルトを見つめた。
「よく似ている」
「父さんに?」
「いや」
グレゴールは首を振る。
「セシリアにだ」
アルトは少しだけ驚いた。
「母さんに?」
「ああ」
「どこが?」
「人の目を見るところだ」
グレゴールが苦笑する。
「セシリアも、相手の目を見ている時は何を考えているのか分からなかった」
「なるほど」
アルトは笑った。
「じゃあ、僕も母さんに似てるんですね」
「……そこを喜ぶのか?」
「母親に似ていると言われて嫌がる理由はありませんよ」
レオンが呆れた顔をする。
「お前は、こんな時まで営業をするのか?」
「こんな時だからですよ」
アルトはグレゴールを見る。
「では、商談を始めましょう」
「本気か?」
「はい」
「俺はお前の父親を裏切った男だぞ?」
「知っています」
「お前の家を壊した人間だ」
「それも知っています」
「なら、なぜそんな顔をしていられる?」
アルトは少し考えた。
「あなたが何を欲しがっているのか、まだ分からないからです」
「……」
「欲しいものが分からない相手を責めても、何も解決しません」
「だから、まず聞きたい」
「あなたは何が欲しいんですか?」
グレゴールは黙った。
しばらく地下室に沈黙が流れる。
やがて。
「……金だ」
「金?」
「そうだ」
グレゴールは笑った。
「金が欲しかった」
「それで父さんを裏切った?」
「ああ」
「いくら?」
「……」
「十年前、あなたが受け取った金はいくらです?」
「五万ゴールド」
マルクが息を呑む。
「五万……」
当時の金額としては、かなりの大金だった。
アルトは冷静だった。
「誰から?」
「アーク・レギオンだ」
「なるほど」
「それだけではない」
グレゴールが続ける。
「俺の家族を人質に取られていた」
「……」
レオンの表情が変わった。
「家族?」
「ああ」
「妻と娘だ」
「奴らは、俺が協力しなければ家族を殺すと言った」
グレゴールは拳を握る。
「だから、レインハルト商会の帳簿を渡した」
「父さんの印章も?」
「ああ」
「それで、父さんは不正をしたことにされた」
「そうだ」
レオンは黙っていた。
怒り。
悔しさ。
そして――理解。
様々な感情が、その顔に浮かんでいる。
「なぜ……」
レオンが口を開く。
「なぜ私に相談しなかった?」
「できると思ったか?」
「私は――」
「お前は商会を守ることしか考えていなかった」
「……」
「家族を守ることと商会を守ること」
「どちらを選ぶ?」
レオンは答えられなかった。
グレゴールは苦笑する。
「俺は家族を選んだ」
「それだけだ」
アルトは静かに聞いていた。
そして、ふと尋ねる。
「奥さんと娘さんは?」
グレゴールの表情が曇る。
「……死んだ」
「え?」
「十年前の事件が終わった後、二人とも消された」
「アーク・レギオンに?」
「ああ」
「じゃあ……」
アルトは目を細める。
「あなたは何のために裏切ったんです?」
「……」
「家族を守るために裏切った」
「でも、その家族は殺された」
グレゴールは俯いた。
「だから俺は、十年間ずっとアーク・レギオンを追っている」
「復讐ですか?」
「ああ」
「それなら、あなたがここにいる理由も分かりました」
アルトは地下室を見回す。
「この記録を守っていたのは、アーク・レギオンを潰すため?」
「そうだ」
「じゃあ、あなたは敵じゃない」
グレゴールが顔を上げた。
「……何?」
「正確には、昔は敵だった」
「でも今は違う」
「なぜ?」
「目的が同じだからです」
アルトは笑った。
「僕もアーク・レギオンを止めたい」
「あなたもそうでしょう?」
グレゴールは答えない。
「だから商談です」
「俺に何を提示する?」
「あなたが十年間探していたもの」
「アーク・レギオンの中枢情報です」
グレゴールの目が変わった。
「……持っているのか?」
「まだ持っていません」
「なら、何を提示する?」
「僕たちは、これから手に入れる」
「そして――」
アルトは一歩近づく。
「あなたにも協力してもらいます」
グレゴールが笑う。
「俺を信用するのか?」
「していません」
「……」
「でも、信用する必要もありません」
アルトは続ける。
「契約すればいい」
「契約?」
「互いに目的を達成するための条件を決める」
「あなたは情報を提供する」
「僕はアーク・レギオンを追う」
「そして最終的に、あなたが欲しい情報を渡す」
グレゴールは腕を組んだ。
「俺に何を要求する?」
「十年前の全てを話してください」
「知っていることを全部?」
「はい」
「アーク・レギオンの構成員」
「資金の流れ」
「貴族との繋がり」
「そして――」
アルトは帳簿を見る。
「父さんを失脚させるために、誰があなたへ指示を出したのか」
グレゴールの顔から笑みが消えた。
「……そこまで知りたいか」
「当然です」
「それを知れば、お前の家族にも危険が及ぶぞ」
「もう関係ありません」
アルトは即答した。
「ここまで来た時点で、僕たちはもう当事者です」
レオンが息子を見る。
「アルト……」
「父さん」
アルトは振り返る。
「十年前に終わらなかったなら、今終わらせればいい」
レオンは黙っていた。
そして。
「……そうだな」
静かに頷いた。
グレゴールはしばらく考えた。
やがて、懐から小さな鍵を取り出した。
「これをやる」
アルトが受け取る。
「何の鍵です?」
「アーク・レギオンの保管庫の鍵だ」
「……!」
ヴィクトルが驚く。
「そんなものを持っていたのか?」
「ああ」
「十年前、俺が帳簿を渡した時に受け取った」
「なぜ今まで使わなかった?」
「使えなかった」
「なぜ?」
「鍵だけでは開けられない」
アルトは鍵を見る。
「他にも必要なものが?」
「もう一つある」
「何です?」
「レインハルト家の家印だ」
アルトとレオンが顔を見合わせる。
「家印……」
「アーク・レギオンの保管庫は、二重の鍵になっている」
「一つは物理的な鍵」
「もう一つは、レインハルト家の家印」
アルトは息を吐く。
「なるほど」
「だから、奴らはレインハルト家を消そうとした」
「家印を奪うため?」
「それだけではない」
グレゴールは首を振る。
「レインハルト家が持っている権限そのものが必要だった」
「権限?」
「ああ」
「昔、レインハルト家は王都の物流網を管理していた」
「その時に与えられた特殊な権限がある」
「それを利用すれば、王都の物流記録にアクセスできる」
アルトは考える。
「つまり――」
「アーク・レギオンは、物流網そのものだけではなく、記録まで支配しようとしていた」
「そういうことだ」
アルトは笑った。
「やっと繋がってきましたね」
「何が?」
「父さんが狙われた理由」
「母さんが情報を隠した理由」
「そして、アーク・レギオンが僕たちを警戒する理由」
アルトは鍵を握る。
「全部、物流に繋がっている」
カイルが静かに口を開いた。
「その通りだ」
「だからこそ、急ぐ必要がある」
「なぜ?」
「奴らも、君たちがここを見つけたことを知る」
その瞬間。
地下室の上から、大きな音が響いた。
「――来たな」
グレゴールが呟く。
「何が?」
「追手だ」
グレイヴが剣を抜く。
「何人だ?」
「分からない」
カイルが入口を見る。
「だが、かなり多い」
アルトは少しだけ考えた。
「なら、予定変更です」
「どうする?」
レオンが尋ねる。
「ここで戦う必要はありません」
「じゃあ?」
アルトは地下室を見回す。
「この倉庫を使います」
「どうやって?」
アルトは笑った。
「せっかくの商談場所ですから」
そして――。
「相手にも、商品を見せてあげましょう」
マルクが嫌な予感を覚えた。
「アルト……」
「何です?」
「また何か変なことを考えてる?」
「失礼ですね」
アルトは真顔で答える。
「今回は普通です」
「絶対に嘘だ」
地下室の入口から、足音が聞こえてくる。
一歩。
また一歩。
敵が近づいている。
アルトは地下室に並ぶ大量の帳簿を見る。
「これだけの証拠があるなら――」
「使わない手はありません」
アルトの目が鋭くなる。
「営業課長として、最後まで交渉します」
そして。
地下室の扉が開いた。
営業メモ①①③
「交渉では、相手の言葉だけで判断してはいけません。相手の行動の背景にある『事情』まで確認することで、本当の交渉材料が見えてきます。表面上は裏切りに見えても、その裏には家族、金銭、立場、恐怖など、別の理由が隠れていることがあります。相手を責める前に『なぜ、その行動を取ったのか』を考えること。それが、本当の交渉の入口になります。」
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次回予告 第百十五話「営業課長、証拠を商品に変える」
地下室へ押し寄せてきたアーク・レギオン。
「ここにある帳簿を渡せ」
「嫌です」
「ならば力ずくで奪う」
アルトは逃げることも、戦うこともしなかった。
代わりに取り出したのは――大量の証拠。
「この情報、欲しいですよね?」
敵を相手に始まる、前代未聞の営業交渉。
さらにアルトは、証拠を一つずつ「商品」に変えていく。
「あなたたちが欲しいものを、僕が売りましょう」
だが、その交渉の最中。
十年前の事件を裏で操っていた「本当の黒幕」の名前が、ついに明らかになる。




