第百十三話 営業課長、中央倉庫へ潜入する
王都中央倉庫。
かつて王都へ運び込まれた大量の物資を、一時的に保管していた場所。
しかし、十年前の改革失敗を境に、その役割を失っていた。
現在は表向き、ほとんど使われていない。
だが――。
「……見張りが多いですね」
少し離れた建物の陰から、アルトは中央倉庫を眺めていた。
「少しどころじゃない」
マルクが呟く。
「入口に二人。裏口に三人。向かいの建物にも二人います」
グレイヴが続ける。
「屋根にも一人いる」
「合計八人か」
アルトは腕を組んだ。
「明らかに普通の倉庫じゃないですね」
レオンがため息をつく。
「だから言っただろう」
「正面から入るのは危険だ」
「分かっています」
アルトは笑った。
「だから、正面から入ります」
「……」
全員が黙った。
「お前、今なんて言った?」
「正面から入る、と」
「さっき危険だと言ったばかりだぞ」
「ええ」
「なら、なぜ行く?」
「営業だからです」
「その理屈、最近ますます分からなくなってきたぞ」
エリシアが小さく笑った。
「でも、アルトには何か考えがあるのでしょう?」
「もちろん」
アルトは懐から一枚の書類を取り出した。
「これは?」
ヴィクトルが尋ねる。
「王都商業組合の臨時監査依頼書です」
「……いつの間に?」
「昨日です」
「昨日?」
「商業組合の担当者と話して作ってもらいました」
マルクが呆れた顔をする。
「そんな簡単に作れるものなの?」
「普通なら難しいです」
「でも今回は、中央倉庫の管理記録に不備があるという話を持ち込んだら、向こうから協力してくれました」
「……」
ヴィクトルが頭を抱える。
「営業って何なんだ?」
「人を動かす仕事です」
アルトは即答した。
「さて」
アルトは書類を整える。
「行きましょう」
「本当に大丈夫なのか?」
レオンが尋ねる。
「父さん」
「何だ?」
「僕たちは何も悪いことをしに行くわけじゃありません」
「ただの監査です」
「その書類が本物ならな」
「もちろん本物ですよ」
「……お前は怖いな」
アルトは笑った。
中央倉庫の正面。
見張りの男が近づいてくる。
「止まれ」
「お疲れ様です」
アルトは笑顔で頭を下げた。
「王都商業組合の臨時監査です」
「監査?」
「はい」
アルトは書類を差し出す。
「最近、倉庫の管理記録に不自然な点があるとの報告がありまして」
男が書類を見る。
「こんな話は聞いていない」
「そうでしょうね」
「何?」
「事前に知らせると、監査の意味がありませんから」
男が眉をひそめる。
「帰れ」
「困りますね」
「なぜ?」
「帰ったら、あなたの名前も報告書に書かなければならなくなります」
「……何?」
「監査を妨害した、と」
男の顔が強張る。
アルトは笑顔を崩さない。
「もちろん、そんなことはしたくありません」
「ですから――」
アルトは一歩近づく。
「普通に中へ入れてください」
「……」
男は書類を見直した。
「本当に商業組合の監査なのか?」
「はい」
「後ろの連中は?」
「私の部下です」
マルクが胸を張る。
「……」
グレイヴが小声で言った。
「俺は部下じゃなく護衛なんだが」
「今だけ部下でお願いします」
「……分かった」
男はため息をついた。
「入れ」
「ありがとうございます」
扉が開く。
アルトたちは堂々と中へ入った。
倉庫内部。
外から見た以上に広い。
大量の木箱。
古い棚。
使われていない荷車。
そして――。
「思ったより綺麗ですね」
アルトが呟く。
「使われていない倉庫にしては、埃が少ない」
レオンが周囲を見る。
「誰かが定期的に掃除している」
「つまり、今も使っている」
「そうだろうな」
アルトは帳簿棚を見る。
「問題は、何に使っているかです」
監視役の男が近づいてきた。
「どこを調べる?」
「まずは管理記録を」
「こちらです」
男が案内する。
アルトは歩きながら、周囲を観察する。
木箱。
棚。
床。
壁。
どれも普通に見える。
だが――。
「……」
アルトが突然立ち止まった。
「どうした?」
レオンが尋ねる。
「床です」
「床?」
「この部分だけ、木材が新しい」
アルトがしゃがみ込む。
「他の床は十年以上前のものなのに、ここだけ交換されています」
グレイヴが周囲を見る。
「隠し扉か?」
「可能性はあります」
監視役の男が慌てて口を挟む。
「そこは古くなったから修理しただけだ」
「そうですか」
アルトは笑った。
「では、問題ありませんね」
男が安心した瞬間。
アルトは別の方向へ歩き出した。
「……?」
男が首を傾げる。
マルクが小声で尋ねる。
「アルト、いいの?」
「ええ」
「何が?」
「今の反応で分かりました」
「何が?」
「隠し扉がある場所です」
マルクが目を見開く。
「え?」
「本当に何もなければ、あんなに慌てません」
「なるほど……」
アルトは笑う。
「営業でも同じですよ」
「『問題ありません』と言った瞬間に、相手が慌て始めたら、その問題が一番重要です」
「……営業って怖い」
マルクが呟いた。
管理室。
古い帳簿が大量に並んでいる。
アルトは一冊ずつ確認する。
「十年前」
「九年前」
「八年前……」
記録を追っていく。
やがて。
「ありました」
アルトが一冊の帳簿を取り出した。
「何が?」
ヴィクトルが近づく。
「不自然な出庫記録です」
「どこが?」
「この倉庫は十年前に閉鎖されています」
「なのに、閉鎖後も毎月一定量の物資が出庫されている」
レオンが帳簿を見る。
「本当だ」
「しかも、届け先が書かれていない」
「空欄?」
「はい」
アルトはページをめくる。
「でも、数量だけは記録されている」
「何を運んでいたんだ?」
「分かりません」
アルトは考える。
「だから、確認します」
アルトは帳簿を閉じた。
「さっきの床へ戻りましょう」
「だが、監視役がいる」
「だから、彼らにも仕事をしてもらいます」
アルトは監視役の男を見る。
「少し質問してもいいですか?」
「何だ?」
「あなたは、ここで何年働いています?」
「……五年だ」
「では、十年前のことは知りませんね」
「知らない」
「なら、安心しました」
「何が?」
「あなたに聞いても分からないことが分かったので」
「……」
男の顔が引きつる。
アルトは笑顔のまま続ける。
「ちなみに、あなたがここで働き始めた時の上司は?」
「……」
「名前だけ教えてください」
男は黙った。
「なるほど」
アルトは頷く。
「そこですね」
「何?」
「あなたが答えたくないところ」
「……」
「つまり、その上司が鍵を握っている」
男は完全に固まった。
アルトはレオンを見る。
「父さん」
「ああ」
「行きましょう」
「分かった」
再び、倉庫の奥。
アルトは古い床板の前に立つ。
「ここです」
グレイヴが剣の柄に手をかける。
「開けるぞ」
床板を外す。
すると――。
地下へ続く階段が現れた。
「やっぱり」
アルトは呟く。
「……ここに何がある?」
エリシアが尋ねる。
「それを確認しましょう」
地下へ降りる。
階段の先には、小さな部屋があった。
そこには大量の木箱が並んでいる。
アルトは一つを開けた。
「帳簿だ」
次の箱。
「契約書」
さらに次。
「手紙……」
レオンが一冊の帳簿を手に取った。
「アルト」
「何?」
「これを見ろ」
アルトが近づく。
帳簿には、十年前の取引記録が残されていた。
商会名。
貴族名。
金額。
そして――。
「……父さんの名前」
アルトが呟いた。
そこには、確かに記されていた。
『レオン・レインハルト』
アルトの表情が固まる。
「どういうこと?」
レオンは答えない。
「父さん」
「……」
「この取引、何?」
「私は知らない」
「本当に?」
「ああ」
レオンの声は低かった。
「私はこの帳簿に書かれている取引をした覚えがない」
アルトはページをめくる。
そこには、レオンの名前で大量の金が動いた記録が残されていた。
「これは……」
ヴィクトルが息を呑む。
「父さんを陥れるための偽造記録?」
「その可能性が高い」
アルトは冷静に答えた。
「でも、おかしい」
「何が?」
「偽造するなら、もっと分かりやすく作るはずです」
「これは妙に精巧です」
アルトは帳簿を確認する。
「筆跡」
「印章」
「日付」
「全部、当時のものと一致している」
レオンが顔を上げる。
「つまり?」
「父さんの名前を使って、本当に取引が行われた」
「だが、父さん自身は知らない」
「誰かが父さんの名前と権限を使った」
アルトは帳簿の最後のページを見る。
そこには、一つの印が押されていた。
「この印……」
レオンの顔色が変わる。
「それは、レインハルト家の家印だ」
「父さんが持っていたもの?」
「そうだ」
「じゃあ――」
アルトは帳簿を閉じた。
「父さんの身近に、協力者がいた」
「……」
レオンは何も言わない。
その時。
地下室の入口から、声が響いた。
「正解だ」
全員が振り返る。
そこには、一人の男が立っていた。
「誰だ!」
グレイヴが剣を抜く。
男は笑う。
「十年前、レオン・レインハルトの側にいた者だ」
レオンが目を見開く。
「……お前は」
「久しぶりだな」
男が一歩前へ出る。
「レオン」
アルトは男を見る。
「父さん、知ってるの?」
「ああ」
レオンの声が震える。
「こいつは――」
男は笑った。
「元レインハルト商会の副支配人だ」
「そして、十年前にお前を裏切った男だ」
アルトは静かに息を吐いた。
「なるほど」
そして――。
「じゃあ、商談を始めましょうか」
男が目を見開く。
「……何?」
アルトは笑顔を浮かべる。
「あなたが何を欲しいのか」
「それを聞かせてもらえませんか?」
十年前の裏切り。
父レオンの失脚。
アーク・レギオン。
そして、レインハルト家の秘密。
全てを繋ぐ最後のピースが、ついに姿を現した。
営業メモ①①②
「交渉では、相手を最初から敵と決めつけないことが重要です。相手には必ず『欲しいもの』があります。利益、保身、評価、安心、情報、権力。相手の欲求を把握できれば、敵対関係であっても交渉の入口を作れます。営業とは、相手を説得する技術ではなく、相手が動く理由を見つける技術でもあります。」
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次回予告 第百十四話「営業課長、十年前の裏切り者と商談する」
目の前に現れた、元レインハルト商会の副支配人。
十年前、レオンを裏切った男。
「あなたは、なぜ父さんを裏切ったんですか?」
「金だ」
「……それだけ?」
「いや」
男が口にした、本当の理由。
そして彼が語る、十年前のレインハルト商会崩壊の真実。
アルトは営業課長として、最大の「商談」に挑む。
「あなたが欲しいものを、僕が用意しましょう」
だが、その条件としてアルトが提示したものは――。
男が十年間、誰にも話さなかった秘密だった。




