第百八話 営業課長、裏組織と商談する
古い商人用倉庫。
アルトたちの目の前に、黒い外套を着た男たちが並んでいた。
その数、十人以上。
全員が同じ紋章を身につけている。
アーク・レギオン。
十年前の事件の裏で暗躍していた組織。
その存在が、ついにアルトたちの前に姿を現した。
「その帳簿を渡せ。」
先頭に立つ男が言った。
アルトは机の上に置かれた帳簿を見る。
そして、男を見る。
「嫌です。」
「……。」
「即答だな。」
男が低く笑う。
「ならば、力ずくで奪う。」
「それは困りますね。」
「何?」
「せっかく商談相手が来てくれたのに、いきなり喧嘩するのはもったいないです。」
ヴィクトルが隣で呟いた。
「君は本当に、どんな状況でも営業するんだな。」
「営業課長ですから。」
「それ、理由になっているのか?」
「僕の中ではなっています。」
レオンがため息をつく。
「アルト。」
「はい。」
「相手は十人以上だぞ。」
「分かっています。」
「勝てるのか?」
「たぶん無理です。」
「おい。」
マルクが思わず声を上げた。
「じゃあ、どうするんだよ!」
「だから商談です。」
アルトは一歩前に出た。
「あなたたちは、僕たちを殺したいわけじゃない。」
先頭の男が目を細める。
「なぜそう思う?」
「本当に殺すつもりなら、最初から『帳簿を渡せ』なんて言いません。」
「……。」
「欲しいのは帳簿。」
「つまり、僕たちが生きていても問題ない。」
「そうでしょう?」
男は黙った。
アルトは続ける。
「だったら、戦う必要はありません。」
「交渉しましょう。」
男が鼻で笑う。
「子供の分際で、我々と交渉するつもりか?」
「はい。」
「命が惜しくないのか?」
「惜しいですよ。」
「ならば――。」
「だからこそ、戦わないんです。」
アルトは笑った。
「命を懸けるより、口を使ったほうが安上がりですから。」
ヴィクトルが吹き出した。
「君は本当に面白いな。」
「ありがとうございます。」
男はしばらくアルトを睨んでいた。
やがて、低い声で尋ねる。
「条件は?」
「簡単です。」
アルトは帳簿を持ち上げた。
「あなたたちが僕の質問に答えてください。」
「質問?」
「はい。」
「何を聞く?」
「十年前の事件。」
男の表情が変わった。
「……。」
「誰が父さんを陥れたのか。」
「なぜ物流改革を利用したのか。」
「そして――。」
アルトは男の目を見る。
「なぜ、今になってこの帳簿を欲しがるのか。」
沈黙。
アルトは、その反応を見逃さなかった。
「やっぱり。」
「何がだ?」
「最後の質問に、一番反応しましたね。」
「……。」
「この帳簿には、現在のあなたたちにとって困る情報が書かれている。」
「違いますか?」
男は答えない。
ヴィクトルが笑った。
「アルト。」
「はい?」
「もう少し相手を休ませてやれ。」
「営業では、相手が考えている間も商談の時間です。」
「怖い子供だ。」
男が口を開く。
「この帳簿には、我々の物流拠点が記されている。」
「なるほど。」
「だから必要なんですね。」
「ああ。」
「では、一つ目の質問。」
アルトは指を一本立てた。
「アーク・レギオンは、今も王宮内部に人間を持っていますか?」
「……いる。」
エリシアが息を呑む。
「何人?」
「それは言えない。」
「では、立場だけ。」
「官僚。」
「貴族?」
「いる。」
「商人?」
「いる。」
「つまり――。」
アルトが言う。
「王宮、貴族、商会の三つ全部にいる。」
「そうだ。」
ダニエルが苦い顔をする。
「十年前と変わっていない。」
「むしろ。」
男が言った。
「十年前より大きくなった。」
アルトは眉をひそめる。
「組織が?」
「ああ。」
「なぜ?」
「十年前の物流改革が成功しかけたからだ。」
「……。」
「物流を押さえれば、国の経済を動かせる。」
「その事実を理解した人間が増えた。」
アルトは帳簿を見る。
「つまり、父さんの改革は失敗したんじゃない。」
「成功しかけたから潰された。」
「そういうことだ。」
レオンが静かに呟いた。
「皮肉なものだな。」
アルトは父を見る。
「父さん。」
「何だ?」
「それなら、やっぱり改革は間違っていなかった。」
レオンは少しだけ笑った。
「ああ。」
「ただ、守る仕組みが足りなかった。」
「……そうだな。」
アルトは頷いた。
「だったら、今回はそこを変えればいい。」
ヴィクトルが尋ねる。
「どうやって?」
「透明にするんです。」
「何?」
「物流情報を一つの組織だけが握れないようにする。」
「複数の商会、領主、王宮。」
「それぞれが監視できる仕組みにする。」
ヴィクトルが目を細める。
「君は、父親と同じことを言っている。」
「でも、父さんより一歩進めます。」
「どうする?」
「記録を公開する。」
その言葉に、全員が黙った。
「公開?」
「はい。」
「物流の情報を?」
「全部ではありません。」
アルトは説明する。
「誰が何を買ったのかまで公開したら、商売になりません。」
「でも、荷物がどこからどこへ、どれだけ動いたのか。」
「それを管理できる仕組みにする。」
「複数の人間が確認できるようにする。」
「そうすれば、一人だけが裏で流れを変えることは難しくなる。」
ヴィクトルは黙っていた。
やがて――。
「……面白い。」
「本当に?」
「ああ。」
「だが、それを実現するには莫大な費用がかかる。」
「分かっています。」
「誰が負担する?」
「商会。」
「反対するだろう。」
「だから営業します。」
「……。」
ヴィクトルが笑う。
「君は何でも営業で解決するつもりか?」
「はい。」
「本当に?」
「たぶん。」
マルクが頭を抱えた。
「たぶんって……。」
倉庫内に小さな笑いが起こる。
だが、黒い外套の男だけは笑っていなかった。
「面白い話だ。」
「だが、我々にとっては迷惑だ。」
「なぜ?」
「我々は、情報を独占することで利益を得ている。」
「だから、それを壊す。」
「そうだ。」
「では、取引しましょう。」
アルトが言った。
「何?」
「僕はあなたたちの利益を全部奪うつもりはありません。」
「……。」
「あなたたちが持っている情報網。」
「それを合法的な商業組織として使えるようにする。」
「代わりに、裏で人を操ることをやめる。」
男が笑った。
「そんな条件を、我々が飲むと思うか?」
「思いません。」
「ならば――。」
「でも。」
アルトは続けた。
「あなたたちにもメリットがあります。」
「何だ?」
「今のやり方は、長く続きません。」
「なぜ?」
「情報を隠すために、人を脅す必要があるからです。」
「脅す?」
「誰かが裏切れば、また脅す。」
「新しい人間が入れば、その人間も管理する。」
「組織が大きくなるほど、管理コストが増える。」
「……。」
「それなら、最初から合法化してしまえばいい。」
男の表情が変わった。
「アーク・レギオンを商業組織にする?」
「そうです。」
「馬鹿な。」
「そうでしょうか?」
アルトは笑う。
「裏で百人を動かすより、表で千人と取引したほうが利益は大きいですよ。」
ヴィクトルが頷く。
「確かに。」
「ヴィクトル?」
「アルトの言っていることは間違っていない。」
「合法化すれば、資金洗浄や脅迫のリスクも減る。」
「商会として活動できるなら、利益の規模も桁違いになる。」
男は黙り込んだ。
アルトは追い打ちをかける。
「しかも。」
「何だ?」
「僕は、あなたたちの過去を王宮に提出しません。」
「……。」
「ただし。」
アルトは帳簿を机に置く。
「二度と父さんを利用しない。」
「僕たちの仲間に手を出さない。」
「そして、今後は表の商取引で勝負する。」
男がアルトを見る。
「それが条件か。」
「はい。」
「甘すぎる。」
「そうですか?」
「ああ。」
「なら――。」
アルトは笑った。
「あなたたちが断ったら、この帳簿を王宮へ持っていきます。」
「……。」
「どちらを選ぶかは、あなたたち次第です。」
男は長い沈黙の後、ゆっくり口を開いた。
「君は……。」
「本当に営業課長なのか?」
「はい。」
「ならば覚えておけ。」
「何を?」
「アーク・レギオンには、私より上の人間がいる。」
「僕たちの交渉相手は、あなたじゃない?」
「そうだ。」
「では、その人に会わせてください。」
男が目を見開く。
「……何?」
「今の話を、その人にも聞いてもらいましょう。」
「君は、何を考えている?」
「商談です。」
アルトは笑った。
「一番上の人と話したほうが、早いでしょう?」
男はしばらくアルトを見つめていた。
そして――。
「分かった。」
「案内する。」
レオンが驚く。
「アルト、本気か?」
「はい。」
「相手の本拠地に行くんだぞ。」
「だからこそです。」
アルトは立ち上がった。
「一番上の人と話せば、十年前の事件の全体像が見える。」
その時。
ヴィクトルが静かに言った。
「アルト。」
「はい?」
「気をつけろ。」
「何が?」
「アーク・レギオンの頂点にいる人間は――。」
ヴィクトルは言葉を切った。
「人を金で動かすような男ではない。」
「では?」
「人の『欲』で動かす。」
アルトは少し考えた。
「……営業の相手としては、厄介ですね。」
「そういう問題か?」
レオンが呆れる。
「でも。」
アルトは笑った。
「欲があるなら、商談はできます。」
レオンは頭を抱えた。
「お前は本当に営業馬鹿だな。」
「褒め言葉ですか?」
「もう好きにしろ。」
アルトたちは準備を始める。
十年前の事件。
父レオンの失脚。
母セシリアが知っていた秘密。
そして、アーク・レギオン。
全てが一つに繋がり始めていた。
だが。
アルトはまだ知らない。
アーク・レギオンの頂点にいる人物が、自分の家族と深い関係を持っていることを。
そして、その人物が――。
アルトが生まれる前から、レインハルト家を知っていたことを。
営業メモ①⓪⑦
「交渉では、相手の要求を拒否するだけでは前に進まない。『相手が本当に欲しいものは何か』を見極め、それを別の形で満たす提案をすることが重要。相手の利益を残したまま、こちらの目的も達成する。これが、対立を取引へ変える営業の考え方である。」
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次回予告 第百九話「営業課長、アーク・レギオンの頂点へ」
ついに案内される、アーク・レギオンの本拠地。
そこでアルトを待っていたのは――。
「……あなたが、アルト・レインハルトか。」
「僕をご存じなんですか?」
「もちろんだ。」
そして、その男が口にした一言。
「君の母、セシリアには世話になった。」
アルトは驚愕する。
十年前の事件だけではない。
アルトが生まれる前から続いていた、レインハルト家とアーク・レギオンの因縁。
営業課長・アルトが、ついに最大の顧客と対峙する。




