第百話 営業課長、王宮の黒幕に迫る
王宮の記録室。
アルトは、机の上に並べられた古い書類を見つめていた。
十年前の物流記録。
偽の命令書。
そして、現在も王宮に残る人物の名前。
全てが一本の線で繋がり始めている。
「……お父さん。」
「何だ?」
「十年前、最後に会ったのは誰?」
レオンの表情が変わった。
しばらく沈黙した後、低い声で答える。
「……商務局長だった男だ。」
「名前は?」
「グレイヴ・ハルトマン。」
アルトはその名前を書き留めた。
「今も王宮にいる?」
「ああ。」
「役職は?」
「現在は王宮商務顧問だ。」
アルトの手が止まる。
「つまり……」
「今も王宮の中枢に近い。」
エリシアが不安そうに尋ねる。
「そんな人が、十年前の事件に関わっていたの?」
「まだ確定ではない。」
アルトは首を振る。
「でも、調べる価値はあります。」
その時だった。
記録室の扉が開いた。
「アルト様。」
王宮の文官が入ってくる。
「何でしょう?」
「ハルトマン顧問がお呼びです。」
アルトはレオンを見る。
レオンの表情は険しい。
「向こうから呼んできたか。」
「タイミングが良すぎますね。」
アルトは立ち上がった。
「行きましょう。」
「危険かもしれないぞ。」
「だからこそです。」
案内された部屋は、王宮の奥にある執務室だった。
扉が開く。
中には、一人の老人が座っていた。
六十代後半。
整えられた白髪。
穏やかな笑顔。
「久しぶりだな、レオン。」
レオンの顔から表情が消える。
「……グレイヴ。」
アルトは男を観察した。
目。
手。
机の上。
何一つ無駄がない。
「そして、君がアルトか。」
「はい。」
「噂は聞いている。」
「どんな噂ですか?」
「幼いのに商売に長けている、と。」
「ありがとうございます。」
「褒めたつもりだ。」
「では、ありがとうございます。」
グレイヴが笑う。
「なるほど。」
「レオンの息子らしい。」
レオンが口を挟む。
「用件は何だ?」
「せっかちになったな。」
「十年前から変わっていない。」
グレイヴの笑顔が消えた。
「十年前……か。」
アルトは二人の間の空気を感じ取った。
「十年前、何があったんですか?」
グレイヴはアルトを見る。
「君の父親は、物流網の管理に失敗した。」
「違う。」
レオンが即座に否定する。
「私は失敗していない。」
「証拠がなかった。」
「だから失敗したのと同じだ。」
アルトは静かに口を挟む。
「では、質問していいですか?」
「何だ?」
「十年前に消えた帳簿。」
「あなたは知っていますよね?」
グレイヴの指が止まった。
一瞬。
本当に一瞬だった。
だが、アルトは見逃さない。
「……なぜ、そう思う?」
「今、反応したからです。」
「子供にしては鋭いな。」
「営業課長なので。」
「それは理由になっていない。」
「僕にとっては理由になります。」
エリシアが小さく笑った。
グレイヴはアルトを見つめる。
「帳簿は、確かに見た。」
「どこにありますか?」
「知らない。」
「誰が持ち出した?」
「それも知らない。」
「では、なぜ見たことがあるんですか?」
「当時、私は商務局長だった。」
「王宮の物流を管理する立場だったからですか?」
「ああ。」
アルトは頷く。
「では、もう一つ。」
「何だ?」
「偽の命令書。」
グレイヴの表情がわずかに変わる。
「その発行番号を知っていますか?」
「知らない。」
「本当に?」
「ああ。」
アルトは机の上に一枚の紙を置いた。
「これです。」
グレイヴが見る。
「十年前の偽命令書に使われていた番号です。」
「……。」
「そして、最近使われた偽命令書にも同じ番号が使われています。」
沈黙。
「偶然でしょうか?」
グレイヴは紙から目を離した。
「偶然だろう。」
「そうですか。」
アルトは頷いた。
だが、その時。
「アルト。」
レオンが低い声で呼んだ。
「どうしたの?」
「帰るぞ。」
「お父さん?」
「今は、これ以上聞いても無駄だ。」
アルトは少し考えた。
「分かった。」
部屋を出る。
廊下に出たところで、レオンが足を止めた。
「どうだった?」
アルトが尋ねる。
「間違いない。」
「何が?」
「グレイヴは何かを隠している。」
「僕もそう思う。」
「だが、証拠がない。」
「だから、証拠を探します。」
アルトは笑った。
しかし、その時だった。
「アルト様!」
廊下の奥から、一人の文官が走ってくる。
「大変です!」
「何がありました?」
「商務局の保管庫から、十年前の記録が大量に消えています!」
「……。」
アルトの表情が変わる。
「いつ?」
「昨夜です。」
「誰が管理していた?」
「現在の商務局長です。」
「グレイヴでは?」
「違います。」
アルトは考え込む。
「つまり……」
「誰かが、僕たちが調べることを知っていた。」
レオンが頷く。
「そういうことだ。」
「おかしい。」
アルトは腕を組む。
「昨日まで僕たちは、十年前の記録を調べる予定なんて誰にも話していない。」
「では、誰が漏らした?」
アルトは黙る。
そして、ふと気づいた。
「……あの監督官。」
「昨日の男か?」
「はい。」
アルトは振り返る。
「でも、彼だけじゃない。」
「どういう意味だ?」
「僕たちが記録室に入った時、すでに誰かが待っていました。」
「……。」
「つまり、僕たちの行動を監視している人間がいる。」
レオンが周囲を見回す。
「ここは王宮だぞ。」
「だからこそです。」
アルトは小さく笑った。
「敵は、かなり近くにいる。」
その日の夜。
アルトは自宅の執務室で、これまで集めた資料を並べていた。
十年前の物流網。
ヴァルガス商会。
ダリウス。
グレイヴ。
偽の命令書。
そして、現在の物流改革への妨害。
「全部、繋がっている。」
アルトは紙を一本の線で繋いでいく。
「でも……。」
一つだけ足りない。
「利益を得ている人間が見えない。」
営業では、それが最も重要だった。
誰が得をするのか。
誰が損をするのか。
誰が動くことで、誰の利益が増えるのか。
アルトはもう一度、最初から資料を見直す。
「ヴァルガス商会は物流網を使って利益を得る。」
「でも、今回の改革を止める理由としては弱い。」
「商人たちは独占を守りたい。」
「でも、十二社が同時に動く理由にはならない。」
「グレイヴは情報を隠している。」
「でも、表立って動く必要はない。」
「だったら……。」
アルトの手が止まった。
「物流網そのものが、誰かにとって必要なんだ。」
その瞬間。
扉が開いた。
「アルト。」
レオンだった。
「どうしたの?」
「王宮から連絡が来た。」
「何て?」
レオンは一枚の紙を渡した。
アルトは目を通す。
「……物流改革の一時停止命令?」
「ああ。」
「発行者は?」
「王宮商務局。」
アルトは紙を裏返す。
「発行番号は?」
「そこを見ろ。」
アルトの目が見開かれる。
そこに記されていた番号。
十年前の偽命令書と同じだった。
「……これ。」
アルトは立ち上がる。
「偽物です。」
「だが、王宮の正式な書式だ。」
「書式は偽造できます。」
アルトは紙を握る。
「でも、発行番号までは偽造できないと思っていました。」
「違う。」
レオンが言った。
「十年前から、それができる人間がいる。」
アルトは静かに頷く。
「グレイヴ……。」
だが、すぐに首を振った。
「いや。」
「違う。」
「何?」
「グレイヴだけなら、今さらこんなことをする必要がない。」
アルトの目が鋭くなる。
「誰かがグレイヴの名前を利用している。」
「……。」
「グレイヴも利用されている可能性があります。」
レオンが驚く。
「では、黒幕は別にいる?」
「はい。」
アルトは資料をまとめた。
「十年前の事件を知っている。」
「王宮の命令書を扱える。」
「物流網を利用できる。」
「そして、今回の改革を止める必要がある。」
アルトは一つの結論にたどり着く。
「そんな人間は、王宮だけじゃない。」
「王宮と商人の両方に繋がっている人間です。」
レオンが黙る。
「お父さん。」
「何だ?」
「十年前、物流網を調査していた時。」
「誰が一番協力的だった?」
レオンはしばらく考えた。
そして――。
「一人だけいる。」
「誰?」
「当時、北部の物流を担当していた商人だ。」
「名前は?」
レオンはゆっくり答えた。
「セルジュ・アルベルト。」
アルトはその名前を書き留める。
「その人は今?」
「分からない。」
「でも、調べれば分かります。」
アルトは立ち上がった。
「明日、北部へ行きます。」
「またか?」
「はい。」
「王都に戻ったばかりだぞ。」
「営業では、フットワークが大事です。」
レオンがため息をつく。
「お前、本当に営業が好きだな。」
アルトは笑った。
「だって、面白いじゃないですか。」
こうして。
アルトたちは、再び北部へ向かうことになった。
だが――。
その頃。
王宮の奥深く。
グレイヴは一人の男と向かい合っていた。
「アルトが動き始めた。」
「分かっている。」
「彼は、十年前の記録にたどり着いた。」
「なら、予定を早める。」
「しかし……。」
グレイヴが言葉を詰まらせる。
「レオンまで動いている。」
「構わない。」
男は窓の外を見る。
「十年前とは違う。」
「今度は、物流網そのものを手に入れる。」
そして男は、静かに笑った。
「アルトという少年が、どこまで辿り着けるか見てみよう。」
その声を聞いたグレイヴは、拳を握った。
「……本当に、これでいいのか?」
「十年前と同じ質問だな。」
男は振り返る。
「答えは同じだ。」
「我々には、物流網が必要なのだ。」
王都の夜。
アルトはまだ知らない。
自分たちが追っている事件が、単なる商会同士の争いではないことを。
そして――。
その中心にいる人物が、想像以上に大きな権力を持っていることを。
営業メモ⑨⑨
「商談で最も重要なのは、『誰が得をするのか』を見極めること。表面上の要求だけを追うのではなく、その裏にある利益構造まで考えると、相手の本当の目的が見えてくる。目の前の反対意見だけでなく、その行動によって誰が利益を得るのかを考えることが、問題解決の突破口になる。」
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次回予告 第百一話「営業課長、北部最大の商会を訪ねる」
十年前の物流網を知る商人、セルジュ・アルベルト。
彼を探すため、アルトたちは再び北部へ向かう。
しかし、北部に到着したアルトを待っていたのは――。
「アルベルト商会は、三年前に廃業しています。」
「……廃業?」
消えた商会。
消えた帳簿。
そして、十年前から姿を消した商人。
アルトは、廃業したはずの商会が現在も密かに物流を動かしているという噂を耳にする。
営業課長・アルト。
次なる商談相手は――誰もいないはずの商会だった。




