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乞う路傍の雪以下なら夢と仰せ  作者: 杜若表六


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なぜある種の文学者はものの見方を変えようとするのか

 なぜある種の文学者はものの見方を変えようとするのか。

 シンプルにいうと、彼らはものと言葉の対応する基準をはっきりさせようとしていると思う。そうするとどうなるのか。しばしば(ほとんど)曖昧な詩や小説の価値基準が厳密に、たとえば数学のようにはっきりする。文学にとって価値判断がはっきりすることは、極めて大きな根本転換だ。これによってある精神を表現するために技術や形式、内容を自動的に決めることができるほどのとんでもない革命である。しばしば文学はあいまいで、うつろいやすいものごとを記述する分野であると信じられている。だが現状がそうであろうとなかろうとそれが変わらない本質であるかどうかは別で、ある決定的なものの見方と言葉に対する認識の変化によって、文学は今より厳密な自由な性質を持つようになりえる。

>言葉が世界の四元関連のことであるということになれば、そういう言葉に対しては、我々言葉を用いる人間がある関係をもつ、といった程度のものではなくなってしまいます。ここである関係といったのは、人間と言葉の間に成り立っているひとつの関連性、という意味において述べたのです。ところが、言葉は、世界を動かし道をつける言として、さまざまな関係の中の唯一の関係そのものであります。言は、〔四つの〕世界地域の互いに相対し向い合うという事態に関わり、支え、手をさし伸べ、豊かにするのであります。言葉は——この場合言ですが——みずから己れ自身であり続けようとすることによって、世界地域を支え守るのです。

>『言葉の本質』(ハイデガー全集12・p261)

 われわれの考え方も、在り方も、ある程度まで決定されている。同じように、表現や価値基準も決定されてあるとは、文学においてあまり考えられない。様々な表現、様々な価値。しばしばそれは相対的にすらなる。われわれはそうすることで文学の裾野を拡げようとしていると同時に、「文学」全体に対する検討をとっつきにくくもしている。

 ある種の「危険な」文学者は、善悪や美醜や真偽の基準を決定しようとしているのではない。ものと言葉の対応関係を定義しようとしている。これは個人として見れば一瞬で、全体として見ればじわじわと遅効性の毒(薬)として拡がるような、整体術または麻酔のようなもの(そして本源的にどちらでもないもの)だ。読めば読者は変わり、読者は読者を呼び……というわけだ。少なくとも、そのように企んでいる。そしてそういう文学者は割と多くの読者を獲得することがある。その作品が読まれているから優れているのではなく、書き手が変革をもたらそうとして必然的に形式・技術・内容等の質を高めた結果、順当に読者を獲得した。

>言葉 物 それは可能な物に属する ほんのちょっとしか可能ではない世界の中で そう 世界 それ以上に何を望めようか 可能なこと 可能なことを見る それを見る それを名づける それを名づける それを見る

>『どんなふう』(宇野邦一訳・p151)

 私が注目するのはただただそこで、ジャンルや区分、媒体、表現方法はどうでもいいと思っている。そして「危険な」表現者は常に生れてくるものだとみている。

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