身近な卑劣漢ルージン
『罪と罰』の話。
ラスコーリニコフは終わり近くになって自らを「卑怯者!」と叫ぶ。それはその通りだ。
一方で、この小説には自分を卑劣漢と認めない、とびきりの卑劣漢が登場する。ドゥーニャの婚約者ルージンだ(ラスコーリニコフは結婚に反対)。
彼は一見、いい感じの紳士だ。
だが小説の中盤で、彼はソーニャに盗みの嫌疑をかける。それもけっこうな額である。彼はソーニャのポケットに札をこっそり忍ばせて、動かぬ証拠だと言う。
実は、ルージンはソーニャを盗人と貶めることで、彼女とラスコーリニコフの関係を醜悪に見せ、ドゥーニャとラスコーリニコフの信頼関係も破綻させようとしている。
質屋の老女を斧で殺したラスコーリニコフは間違いなく卑劣だが(これについては他所で考えてみたい)、私には、ソーニャを中傷したこのルージンも負けず劣らずの卑劣漢のように思える。
なぜそう見えるのか。
ルージンはソーニャへのいかさまの告発によって、ラスコーリニコフよりひどい言葉と行動の分裂を表現する。
ルージンは、さほど生まれ身分は高くはなく、高度な教育を受けず、身一つで成り上がってきた男だ。そして彼は新しい思想や、慈悲に満ちた行いに同調する。だが、それは彼の立身出世のための、形だけの同調だ。
ソーニャは貧困にあえぐ家族のために身を売っている女性である。ここで重要なのは、ルージンはソーニャを完全に見下して、彼女と目に見えない距離を置いていることだ。
距離をおいた中傷はなによりも卑劣にみえる。
この卑劣さは時空を飛び越えて、まさに人間のもつ一面の不滅の醜さのように思われる。とても他人事には思えない。
ルージンは小説の中でもっとも救われないキャラクターであり、レベジャードニコフとラスコーリニコフに嘘を暴かれた後は完全に黙殺され、スヴィドリガイロフほどの慈悲も与えられておらず、物語的な死すら許されていない。
私はこのルージンを、とても身近に感じる。
ラスコーリニコフにはならずとも、ルージンにはなれる、つまりもっと簡単に、もっと卑劣になれるからだ。
ここで「誰でもルージンになりえる……」といった文句を書こうともしたが、それこそどこかルージンめいていて、気がひけた。




