11 剣聖と呼ばれた弱い私 ※
アリアの母オパール視点です。
不妊の悩みや虐待に関して悩む場面があります。苦手な方はご注意ください。
剣聖などと持て囃されて私は自分の弱さを見失っていた。
それに気づいたのはあの日。アリアが二歳になってすぐのこと。
自分の無力さに吐き気がした。
アリアが人形のようになったのは、おそらくアリアが生贄の乙女だから、と主人であるエンジークから聞かされたのはそうなってしまった翌日のことだった。
エンジークがそのことを知ったのはアリアが登城した前日の夜、義父が来た時だったと。その時はまさかこんなことになるなんて思っていなかったと。
宝剣に関することはそれを継いだものだけに詳しく話すことができる。他言を禁じられているわけではないが、私に相談するのは憚られたという。
その重たい役目は当事者しかわからない。そんなことは頭でわかっていても、裏切られたような気持にすらなった。
だけど。
エンジークの涙が私の心を貫き、裏切られたなどと子供のように喚くことがいかに馬鹿馬鹿しいか思い知った。
彼が泣くのを見たのは三度目だった。プロポーズを受け入れた時と、アリアが生まれた日。
三度目も幸せな涙だと思っていたのに。
アリアは廃人になったわけではなく、心ここにあらず、といった状態が続いているだけに思えた。起きているのに、心や頭が眠っている、そんな感じがした。
食事をとったり睡眠をとっている。胸に耳を当てればとくんとくんと音がする。体も温かい。本当の人形のようにはなっていない。
それならば刺激を与え続けたら心が戻ってくるのではないか、と思って毎日マッサージをすることにした。
自分から動くことはないので、筋肉や関節が動きづらくなってしまうのを防ぐ目的もあった。
ふっくらしていたはずの手足は、変わらないはずなのに細くみえ、弱々しく、動かしてやるたびに涙がこぼれた。
私はなんて弱いんだろう。エンジークが必死に動いているのに、唇を噛み締め城へ向かうのをみているのに、家でアリアと過ごしているだけで泣いてしまうなんて。
『お前は心が弱い。そこを突かれれば鍛えた腕を披露する間もなく討たれるぞ』
亡くなった父は何度も何度もそう言って、厳しい鍛錬だけでなく心を強くすることを説いたが、その方法は教えてくれなかった。
自分を知るしかない、と父は言っていた。
有能な騎士を多く輩出する家に生まれ、騎士団で唯一の女性職である女性王族の護衛騎士を目指していた私にとって王国騎士団長であった父は、師としても尊敬する相手だった。
娘であり弟子である存在だった私はかなり厳しく鍛錬を積み、指導されてばかりで母が良く怒っていたのを覚えている。
普通の侯爵令嬢として生きていけない私は欠陥品だと思っていた。だからこそ訓練し自分を磨き続けているうちに十五のころには既に剣聖と呼ばれるまでになった。
そう呼ばれても、父の言葉が忘れられなかった。
エンジークに騎士の忠誠を誓ったことによって気づいた時には婚約者になっていた。エンジークを秘かに慕ってた私としては
幸運すぎる出来事だと思ったが、彼の熱心な言葉によって受け入れた。
剣聖と呼ばれても護衛騎士にならず公爵家の女主人となることを周りは嘆いたり、羨んだり妬んだり、色々とあったがこれも鍛錬だと思ってなれるように努めた。
護衛になるための鍛錬が体を鍛え剣の腕を磨くことなら、良き妻となるための鍛錬は体の強さではなく見た目を整え口さがない者たちをいなして躱す。
家にとって良い者を見極め、必要ないものを寄せ付けない。どう見えているのかどう聞こえるのかに細心の注意を払い、生まれる噂を有効に使う。
兵法に近いものではあった。戦場が変わっても、戦いには変わらなかった。
騎士として剣ではなく扇と自ら自身を武器に良き妻であり女主人であり母であろうとし続けて、優しい主人と可愛い娘が生まれて。
幸せだった。間違いなく。
その中で頭の片隅にいつもあった父の言葉。私の心が弱いというその言葉。
その言葉がわかったときにはすべてが崩れ落ちていた。
温かだった家は冷え切った。優しい彼が抱きしめてくれる腕は変わらず温かいのに、私たちの心が温まることはなかった。誰も何も悪くない。アリアだって悪いわけじゃない。
悪いものがないのに、うまく行かない。
学んだこと、鍛えてきたこと、身につけた何一つが役に立たない。
私は弱かった。
最初に悲鳴を上げたのは私の体だった。月のものがない。子ができたわけではない。あの日以降も慰めあうように何度も確かめ合ったけれど最後まではしなかった。
医者に相談すれば、ストレスと栄養不足だといわれた。確かに最近食事をする気持ちになれない。
体に異常が起こったわけではなく一過性のもので、よく休みよく食べて気持ちが落ち着けば元に戻ると医者は言っていたけれど、悲しい気持ちが癒えるまで待つ、ということはできなかった。
第一子が女児であったことから、必ず次の子が必要だった。男児が。
アリアが生まれた時は次は男の子になるわね、と笑っていたけれど、それは薄氷の上の幸せだった。
嫁いだロバイト公爵家は必ず男児が必要だった。
宝剣を受け継ぐためには、男の子でなくてはならない。
ほかの公爵家であれば、女児しか生まれなくてもいい、婿を取れば問題ない。男女の身分差は昔に比べて確実に減ってきている。
でも、ここに嫁いだ以上、エンジークを愛した以上それでは許されない。
男の子を、生まなければ。
妻で居続けることができない。
案の定、エンジークを通さず秘密裏に送られてきた王妃殿下から、妾を持つよう主人に勧めたほうがいいと遠回りに書かれた手紙が何度も届いた。上位貴族であれば妾を持っても特に問題はない。愛妾を持つことがステイタスだったころもあるくらいだ。
だけど。
愛する彼が、ほかの女を抱くなどと。許せなかった。
人形のように佇むだけのアリアと、手紙と、自身の体。
心が壊れていく音を聞いて過ごす毎日だった。
宝剣士の家であれば養子も推奨される。いや、養子はどの家でも推奨されているけれど。宝剣を継ぐためにどこの誰でも養子に出来るわけではないから、当主の血筋の男児は嫡子以外の大事に育てられている。
ロバイト家も同様にエンジークの弟ラルフレドも大事にされていた。
さらに、ラルフレドには男児が生まれている。
うらやましい。
うらやましいうらやましいうらやましい。
なぜ、なぜ私の子供は女だったの。
いえ、アリアがかわいくないわけじゃない。愛している。愛しているからこそ、苦しい。
どうして、娘なの。
どうして、動かないの。どうして心が眠っているの。
どうして、私の体は子供を作ることを拒むの。
誰も何も間違っていない。王妃殿下の手紙だって正当なものだ。王家は封印を守り続けなければならないのだから。
王妃殿下だって二人の男児を生むという責務があり、それをこなしたばかりだ。重責の重さの差はあるけれど痛みは理解しあえる立場だからこそ、陛下ではなく王妃殿下からわざわざお手紙をくださったのだ。
わかる、わかる。わかっているの。だけど。
月のものは半年経っても、そろそろ一年がたつという頃になっても、来ることはなかった。
「私が、弱いのが、いけないのかもしれないわ。お父様がおっしゃったように。」
そうつぶやいしてしまったとき、侍女頭のエレナが泣いた。
私の涙はもう枯れ果てていてどんなに苦しくても乾いたままだった。
「養子をお考えになられてはいかがでしょうか?ラルフレド様にご相談いたしましょう。男児がお生まれになったと聞いていますし」
エレナはそう何度も説得してきたが、私は耐えられないと思った。
もし養子にもらって、動かないアリアと元気な男の子が我が家にいるとしたら。
丸く可愛らしい頬を叩かないでいられるか?その細い首を絞めないでいられるか?
「そう、そうね・・・」
でも、このままで良いわけではないのも、分かっていた。
遠方に行っていたラルフレドが王都に一時的に戻ってくると連絡があった。アリアが眠ったあの日から一年の間にエンジークや義父が手を尽くし調べても何の手掛かりも得られなかったことから、ラルフレドに相談してみてはどうかという話が出た。
私はそれに率先して賛成した。ラルフレドに直接会って養子のことを頼むつもりだった。
月のものが戻ってくる予兆はない。自分で孕むことはあきらめた。
ラルフレドとイレーネさんに頼み、もしダメだったならエンジークに離縁してもらおうと決めた。
アリアはきっと人形のままでの利用価値がある。ああ、娘をそんな言葉で表現したくはないけれど、でも私にはその利用価値すらない。
この家にいる資格がないのは私だけ。
もう壊れる寸前だった、と思う。
ギリギリで、本当に首の皮一枚というところで、アリアが目覚めた。
エンジークはこの一年で一度も見せなかった満面の笑みで泣きはらした。
私も笑った。うれしかった。うれしかった。うれしかった・・・・はず。
喜べていたと思う。
アリアが戻ってきても私の問題は解決しない。詰まったものが一つ取れても、まだあとからあとから湧いて出てくる。
笑うアリアに心満たされながら私は死んでいく気分だった。
結局エンジークに養子のことを言い出すことはできなかった。一人で動こうとラルフレドが屋敷に来る少し前に、何とか会えないかと手紙を送ると返事には不思議なことが書いてあった。
『会うことは出来ないけれど義姉さんの希望通りになるから安心してください』
久しぶりに会った義弟は私の思っていたことをすべて知っていたかのように、養子のことを持ち出した。
利用しろとまで言い切った。
私は心の中で歓喜していた。枯れた涙がアリアと共に戻ってきてから涙もろくなっていたけれど、叫びながら感謝を口にして泣き喚きたいとさえ思った。
そんなことはもちろんしなかったし、できなかったけれど。
だけど、そんな風に歓喜していた私ですらついていけないほどのスピードで養子縁組が決まっていくのをみて、後ろ暗い気持ちを感じずにはいられなかった。
もし今日ラルフレドが了承してくれたり前向きに考えてくれたのなら、イレーネさんにこちらから会いに行ってお願いしようと考えていた。
宝剣を引き継ぐのなら早いほうがいいとされていて、五歳から八歳くらいで受け渡すのが多いと聞いている。
ラルフレドの息子サフィリスは今三歳。まだ時間はある。
落ち着けば自身の体も動き出すのではないかとうっすら期待もしていた。
それなのに、予期せず来た大公は義父からすでに養子縁組の話を聞いたといい、必要な書類も準備してやってきた。
イレーネさんのことを誰も口にしない、ラルフレドですら。思わずそれでいいのか、と彼を見たけれど、昔と同じような飄々とした笑顔で大丈夫というように頷いた。
明らかに義父と大公は養子縁組を早急に済ませたがっている。ラルフレドもおそらくはそう。義父が到着した時の焦りようは偽りだったと思えない。本当は到着前に先に話しておくつもりだったのかもしれない。
それはなぜ?
アリアがどういう状況であろうと、うちに男児が今現在いなかろうと、時間の猶予はあったはず。
最低でもあと二年。
でも私とエンジーク以外が、もっと言えばサフィリスでさえも今日養子縁組を決めてしまおう、と思っているように見えていた。
ラルフレドによってアリアが人形になった方法はわかった、理由も何となく。
だけどそれと養子縁組は関係ないのではないか?
大公を見る。彼はとても美しいけれど掴みどころがなく得たいがしれない。絶対に対峙したくない相手。
謁見の間でアリアが何かされたのだと考えている、とエンジークに初めて聞かされた時、とっさに浮かんだのは陛下ではなくこの王兄である大公その人だった。
そして今日ラルフレドの話を聞いて。
現在宝剣を持っているこの人なら、アリアを好きにできたのではと。
不敬極まりない考えだと重々承知で話をしている間私はずっと疑っていた。
なぜこんなに急ぐのかはわからない。なぜ人形にしたのかもわからない。
大公がアリアに説明している最中、こちらを見上げる視線に気づいた。
ちらりと目をやるとアリアが不安そうに私やエンジークの顔を見て、サフィリスとラルフレドの顔を見て、ときょろきょろと落ち着かない。
よく見ればその目は恐怖でにじんでいた。
ただの恐怖ではない。死の恐怖。
昔何度か賊の討伐に駆り出された。父の手伝いだった。
その中で強盗に押し入られた家族を助けたことがあった。
その時に見たものと同じ。殺されるかもしれないと怯え絶望を宿した瞳。
アリアがその目と同じ色で大公を見ている。
その目をみて
・・・血が沸騰するかと思った。
握りしめた手に爪が食い込み鋭い痛みが走り、頭が冷静になった。
そうでなければこの男の首を絞めていたかもしれない。
たとえその対価に私の首が飛んだとしても。
同時に、落ち着け、と自分を律する。殺気を漏れ出させなかったのは、訓練の賜物だろう。
(足りない、今の私では足りない)
その時、そこまで怒ってようやく母失格であった自分に気づいた。
自分ことばかりで、アリアのことを考えていなかった。
考えているふりをして、自分の痛みを慰めるために使っていただけだった。
愛しているのに、弱さに溺れた。
私は弱かった。自分の痛みに。そして自分が弱いことを隠していた。弱さゆえに。
父の言葉通りだったのだとわかった。
気づかせてくれたのは怒りだった。
大公が何をしたのか、はわからないけれど『魔力回路を焼き切る』とラルフレドは言った。
それがアリアにとっては死の恐怖と同等だったのだろう。
エンジークとアリアと大公だけで話をすることに決まり、私たちは退室することになった。
本来ならばサロンか食卓に案内してもてなすのが女主人の役割だけれど、少し失礼、と言って急いで自室に戻った。
鏡台に隠した短剣を手に取る。クローゼットに飛び込み専用のベルトを持ち出す。
スカートをたくし上げベルトを太ももにつけ、愛用の短剣を忍ばせる。
「何も持たず生活していただなんて、腑抜けもいいところだわ。」
いったいいつから剣を持たなくなっていたのか。いったいいつから、騎士であることを辞めたのか。
社交場に戦場を移しても、私は永久に騎士であるというのに。
エンジークに誓ったあの日から。
アリアを生んだ、あの日から。
家族を守るのは、私の役目だったとようやく私は思い出せた。
物理的なものでしか今は支えられないけれど、心の支えになれるようにこれから急ぎ自分を鍛えねばなるまい。
私は一人の女であり、妻であり母でありながら、同時に剣聖であり騎士なのだから。
続きは明日のお昼アップ予定です




