第三 小低
幾重にも連ねた歳月の果て、私は何も学ばず、幼稚な夢を描いたままに保育園を卒業いたしました。それが良かったのか悪かったのか私には分かりかねますが、それでも、もしあの時に私は何かを見て学んでいればと思うのです。そうすればきっと、幾分か順調な人生を歩めたとように思えます。しかし、何もせずただ夢、いいえ、歪な妄想ばかりをしていたがために私はこの時に悲しみというものを初めて知ったのです。
今でも鮮明に覚えております光景は、それはもう嫌な記憶しかございません。二度と私の頭の中に浮かび上がってこないよう、全て燃やして粉々に消してやりたいぐらいにございます。小学校という場所がどういった場所なのか知らずにそこへ入学した私は、当初こそ緊張しておりましたが、同時に楽しみでありました。初めて会う人しかおりませんでしたし、保育士とはまた異なった大人の方々が私達の世話をするということでしたから、どこかその人達へ甘えようとしていたのでしょう。しかしながら、私はそんな考えを捨てることになりました。
私が小学一年生の頃だったでしょうか、あるいは三年生だったか、もしくは二年生だったか。とにかく、私が初めて見た先生は非常に強面の女性の先生でした。御年齢もそこそこでありまして、非常に厳格な先生でおられました。時間通りに動き、何もかもを手早く進めていく先生でした。そのせいで、私はその先生の言ったことやしている事を理解できないまま学校での生活を始めることとなりました。
しかしながら、その頃の記憶もまた曖昧なのです。まるで誰かに自動的に操られているような行動をしていたような気がするのですが、どうにも思い出せません。断片的な記憶が残るばかりで、肝心な記憶というものが欠落しているのです。確か、公園に遠足へ行ったり、授業参観といった行事があったと思うのですが、どうにも、その時に私が何をしていたのか思い出せないのです。
しかしながら、私はそれに感謝しているのです。私ははっきり言って、学校、義務教育機関である小学校と中学校というものを非常に嫌悪しております。そこには二度と思い出したくもない記憶しか存在せず、むしろ楽しいとか嬉しいとかの記憶は一片たりともございません。そういう点で考えるのならば、余計に嫌な記憶を思い出す必要がないというのは非常に喜ばしいことであります。
しかし、人間というのは、やはり嫌な記憶ほど頭に残り、喜ばしい記憶ほどすぐに失うものであります。それ故に、未だいくつか糞の塊のような記憶は鮮明に覚えているのです。そんな物をわざわざ深掘りはしたくありませんし、そのような汚らしいものを皆様の目玉に写したくはございません。ですが、私にはそれを文字に表し、言わなくてはなりません。それはどうしてかと聞かれたら、どうしてでしょうとしか返せぬものにございます。それでも、強いて返すのならば、それが私にとって使命であるから、あるいは与えられた役割であるからなのでしょう。
さて、上のような記憶は二つございます。どちらとも当時のことを思い出すだけで吐き気を催し、腹が立ってくるのものございます。まずは一つお話しいたしましょう。
あれは小学一年生か二年生の頃だったと思います。生憎、それらがいつだったのか、もう十年以上も前のことですので年数は覚えておりませぬ。しかし、どんな事があったのかは鮮明に覚えています。それは、工作の時間でした。牛乳の紙パックや色とりどりの紙を用いて動物を作ろうというものだったのです。その作品は図工展のようなものにて出品する物ですから、人一倍に力を注いで作り上げようと考えました。そして、手にある材料を見てキリンを作ろうと決意をしました。無論、実物のような大きさは不可能でありますから、何倍にも縮小したサイズの物を作りました。また、キリンとは模様があるため、それらの貼り付けには時間がかかるものでしたが、完成した時には我ながらよく出来た物だと感嘆しておりました。
しかし、私は不出来な存在かつ手先は不器用でありますから、皆が既に自身の作品を体育館へ運んでいるというのに、私だけは教室にて完成させようと奮闘していたのです。先生はそんな私を放置し、私なんかよりも完成しきった多くの生徒のことを優先したのです。勿論、それが悪いことではないということは承知しております。むしろ、集団行動が出来ぬ者よりも従順で優秀な者達を先に行かせるのは至極当然のことであると思います。
ですが、私が皆よりも長い時間をかけ、丹生込めた作品に対し、先生様は時間も守れないのかとか、こんな歪なキリンは見た事がないなどと非難したのです。私はその先生に失望と怒りと悲しみを覚え、二度とその先生の言葉に従わなくなりました。そのくせ、その先生様は私の態度が悪いなどとして成績表の点数を引いておられたのです。まったくにも傍若無人で、とても教師とは呼べぬようなお人でありました。
そのお人は一年が経った後にどこか別の学校へ行くことになったのですが、二度と顔を合わせたくはございませんし、あの人を覚える価値も微塵もありません。ですが、あの人は最悪な教師として良い指導と教えを私に授けてくださいました。それだけに関して言えば、あの人は嫌であろうが多少は覚える価値があったと思います。そのおかげで、私は今日まで時間の厳守と規則の厳守をしているのであります。
これが一つ目の話にございます。この頃は大してこのような考えもなく、のうのうと生きておりました。勉学は全くの嫌いでしたから、よく遊んで過ごしておりましたが、今になって、もっと勉強しておけばよかった、などと嘆いても変わらぬ事実であります。
さて、では二つ目の話に入りましょう。これも小学三年生の頃ぐらいだったように記憶しています。その時は道徳の授業でありましたが、全く退屈極まる授業でありました。そのため、同じ班だった1人の友人と駄弁っておりました。しかしながら、そうしていたら先生様が私と友人を廊下へと連れ出し、説教をなされたのです。その先生様曰く、他の生徒が授業を受けるのを妨害し、授業態度が悪いと仰られたのです。それなら、ただ口頭の注意をすればよかった話でありまして、それに、それほど授業の妨害にもならないような声で喋っておりましたから、何故廊下へ連れ出して説教されなければならないのか甚だ疑問でありました。
結局、授業が終わるまで廊下に立たされましたが私と友人は反省などしておりませんでした。私と友人を追い出すぐらいなら、もっと面白い授業をすればいいだけのことでありまして、なおかつ我々にしている仕打ちはあまりに過度なものだと判断していたからです。先生様は私達の態度や様子をまた叱責されましたが、放課の時間になってようやく教室へ入ることを許可しました。もっとも、この頃から私は、先生というものが一体どうしてあたかも自分が偉いかのように振る舞うのか疑問に思い始めました。
先生というものは、学生に様々なものを学ばせるものであります。それであれば、その先生様は私達に社会の厳しさをお教えになられたのでしょうか。あるいは、集団行動を強制するために廊下に立たせるなどという行為をさせたのでしょうか。その真意は分かりかねますが、私は集団行動に何の意味があり、どうして集団行動をしなかった者に罰を与えるのか甚だ理解に苦しみます。
無論、集団行動は大事だということも理解しておりますが、たかだかそのようなちっぽけで古臭い名前のものに縛り付けられる方が、よっぽどの罰だと思います。何も悪いことをしていないのに、勝手に集団行動に入れられ、その中で縛られた生き方と学びを得て、その中で成長していかなくてはならない。私が思うに、先生方はそもそも集団行動とは何か、どのような意味があって、どうして集団行動が大事なのかを提示するべきではないかと思うのです。
私は学校の先生というものが、地面に蠢いている虫と同じぐらいに嫌悪しております。無論、全ての先生がそうかと聞かれたのなら、それは違うと反論をいたします。しかしながら、私が出会ってきた先生方の中で、恩師と言えるほどの先生様はほんの数名でしょう。しかし、その数名の御方のおかげで、私は多くを学び、多くを知り、多くを得ました。それ以外の先生方は大して無関心でありますが、数名の方々には多大なる感謝を示さねばなりません。だというのに、皆様方は教えてもらった人なのだからとそれ以外の人にも感謝を示せなどと仰るのでしょう。




