第四 高小
私が、いわゆる小学校の高学年と呼ばれる頃、恐らくですがここから私の人生は大きく普通の道から滑脱したと思います。そもそも、高学年だとか、普通の道と呼ばれるものは人によって異なりますでしょう。
私の視点からすれば、高学年とは小学校4年生からで、普通の道というのは、毎日学校へ行き、学び、遊び、帰ってくる。それを繰り返し、中学校へ、そして高校へ流れるように進むことであります。しかし、私にとっての普通から滑脱したのですから、何もかもが滞っては流れず、ようやく流れたと思えばまた詰まるという、他者からしてみれば不愉快でしかない人生を歩んできたのです。
私はその頃から、ようやく自我というものが芽生え始めてきていました。自分は何がしたいとか、将来は何がなりたいとか、そのようなことを思い描くようになり始めたのです。しかしながら、結局のところ、私はその頃に思い描いていた何かを全て成し遂げることは叶わず、ましてや何か一つでも成し遂げることなども出来ておりませんでした。その頃から私は、自分の置かれている現状と、自身の何か突出したスキルや才能と呼ぶものが無いことを知覚し始めたのです。
私はいつまでも未完成のまま、極めて優秀な兄をただ遠くから、さらに遠くから眺めるばかりでした。私は兄に追いつくこともできず、追い越すこともできませんでした。今もそうです。今もいつか兄に追いついてやりたいと思っておりますが、私にはもうそのようなことをする気力と自信はありません。つまるところ、私は戦いから逃げ出した臆病者であります。
私が小学五年生になった頃だったでしょうか。ある日突然、私は学校へ行きたくないという思考で頭が目一杯に埋め尽くされました。理由はいくつかありましたが、そのどれもが最悪な理由でしたから、行きたくありませんでした。しかし、義務教育をまともに受けてこなかった私は、今の勉学に対して人一倍の苦労をする羽目になっておりますから、あのような軽率な考えと行動はするべきでなかったと、ことごとく感じております。
ですが、あの選択は良くも悪くも私の人生を滑脱させ、同時に新しい道を私に授けてくれたものでありました。全く平坦ではなく、常に暗中模索で、痛みを伴うものでございますが、そのせいでようやく私の才能を開花できたのだと思います。勿論、それは個人的主観でありまして、他者からしたら気狂いも同然だと思われても仕方がないと思います。
私は以降、学校へ全く行かなくなり、所謂、不登校と呼ばれるものに成り下がりました。いえ、成り下がるといっても、元々が底辺の存在でしたから、最悪なものがより悪くなっただけにすぎないでしょう。そうなった私は、自堕落で、息も吸うのが苦しいばかりの生活が新たに始まりました。あの頃の記憶は嫌になるほど鮮明であります。あれを思い出す度、私はいつも吐き気を催すほどの苦しさと、自分があたかも存在していないかのような感覚に陥るのです。
私が何日も休み始めた当初、両親は私を叱責しました。何を怠けているんだ、学校へ行くことがお前の役目だと、何度も言われ、その度に頭を殴られ続けました。私はそれが普通だと思っていました。過去にも、怒られるたびに頭を叩かれていましたから、どれだけ辛かろうが苦しかろうが、それこそ私を罰するに相応しい所業だと思っておりました。
結局、一週間後に両親は私を見放しました。何も言わず、ただ俯いては泣き、罰を受け入れるだけの私が気に食わなく、どれだけ学校へ行けと言っても聞きやしないですから、わざわざ言う価値も無くなったと思われたのでしょう。もしかしたらそれ以外の理由があったのかもしれませんが、私にとっては最早、どうでも良いことでした。少しでも息が吸えれば良かったのです。
ずっと家にいた私は、いつまで経ってもこの苦しみから逃げることはできませんでした。ただ自室に篭り、何も聞かない、何も見ない、何もしないまま一日を終えるというものを幾重にも繰り返しました。また、学校のことを考えるだけで吐き気が込み上げてきて、食欲も日を重ねる度に減退していきました。最終的に、味も分からなくなってしまい、寝ることさえままならなくなってしまいました。
それから何ヶ月か経過したでしょうか。半年とは言いませんが、学校へ行かなくなってから3ヶ月ほどでした。その時になって、ようやく両親は私の心配をし始めたのです。私の容姿と顔は、すっかりやつれていたそうです。私は自身の容姿など気にしておりませんでしたが、容姿が変わっただけでなく、性格が大きく捻じ曲がっているということを自覚しておりました。
他者を信じず、自分も信じず、ただ死人のように生きていく。いっそ、そのまま死ねたらと強く思っておりました。しかし、そんな様子を見た両親は、学校へ私を登校できるようにしてくれと頼んだらしく、ある日突然、先生方が直接自宅まで来られたのです。そして両親は私の腕を掴んで玄関まで赴き、無理矢理に先生と挨拶をさせました。私はあの時、全く嬉しくありませんでした。あの場から逃げ出したく、自室に篭っていたかったのです。
そのまま先生に引き渡され、先生と共に学校へ行く羽目になりました。渋々歩いて学校まで向かっておりましたが、その時間はあまりにも息苦しかったのです。
学校に着いた私は、そのまま先生と共に教室に入りましたが、とてつもなく不愉快でした。あたかも変な物を見るような、物珍しい物を見るような目が私の方へと向き、到底居心地は良くありませんでした。しかも、そこでその日ずっと居させられるという、苦痛でしかなかった時間を過ごしました。あの日はただ辛いばかりで、ちっとも楽しくありませんでしたし、もう二度と学校などへ行きたくないという思いが強くなりました。
きっと両親と先生方は、私のために良かれと思ってそのような行動をしたのでしょうが、私からしてみれば、傍迷惑なだけでした。その次の日はまた拒絶し、何が何でも抵抗しました。そこで両親は、私がどうしてそれ程までに学校へ行きたくないのかとようやく尋ねてきました。勿論、私は包み隠さずに言えば良かったのですが、どうしてもその理由を話せませんでした。その時の私は、常に私の発言で怒られることに怯え続け、また変なことを言ったら怒られるとばかり考えておりました。だから理由を尋ねられても何も言えず、言った方が良いとは分かっていながらも、ただ口を噤むだけでした。
両親は言いたくなかったらそれで構わないが、言えたら言ってくれと言い、その一方で私が学校へ行けるように画策をしておられました。そして、ある日、校長先生が自宅へ来たのです。
校長先生は少なからず良い人でした。私のために色々と奮闘をされ、教室が嫌なら校長室に登校するようにと仰ってくれたのです。無論、学校そのものが嫌でしたが、それでも校長室に通うことは何とか出来ていました。それを数日繰り返し、校長先生は一度、スクールカウンセラーと対話してみないかという提案をしました。悩みの解消の手助けになるかもしれないという、善意からなるものでありまして、私は校長先生の言葉を信用して、話してみたいと言いました。
しかし、そのスクールカウンセラーという人は、私にとって人生で初めて最大限の殺意と不信感を与えてくださいました。そのおかげで、私はその人を永劫恨んでおりますし、大人への失望感を思う存分に痛感するに至りました。
その人と面談をし始め、何に悩んでいるのかと聞かれたため、私は少しばかり躊躇しましたが、その時になって初めて勇気を出して言ったのです。「いじめられているんです」
それを聞いたスクールカウンセラーは、真面目に話も聞こうとせず、巫山戯たような、人の言葉を馬鹿にしたような態度で、気にしすぎだとか気のせいだと言い張りました。私はあの頃の言葉を今でも覚えていますし、スクールカウンセラーなど名乗る資格もない滓だと思いました。同時に、私はその者の言葉に驚きましたが、その後すぐに、人生で初めて、心の底から殺してやりたいと思うぐらいには憤りを隠せませんでした。
結局、私はその人との対話のせいでまた学校へ行けなくなりました。あれは、私に深い傷をつけ、青と黒を授けて下さいました。その日以降、私はほぼ誰とも会わず、カーテンを閉めっぱなしにした自室で嫌な夢ばかりを見ていました。そしてそのまま、私は複雑で不愉快なまま小学校を卒業いたしました。
ですが、私はその滓と対話したことで、あらゆる事を学びました。人は所詮、自分の都合の良いように動き、人の心を理解しようとしないということ。私の言葉に耳を傾けてくれる人はこの世にいないということ。人を信頼するということがどれだけ愚かで世間知らずであるかということ。その滓はそういったことを私に間接的に教えて下さいましたから、ある意味感謝すべきなのでしょう。最も、次会ったのなら、「最大限の感謝と御礼」をして差し上げるべきだと思っております。
他人は自身の心を見透かすことはできませんし、理解してくれることもありません。理解しようとしていたり、理解を示してくれる人もいらっしゃいますが、どう足掻いても、それ以上はすることができないものです。仕方がないという言葉で括られてしまうのはあまりに異様であるように感じますが、それ以外にどう表現すれば良いのか私にも分からないものです。
しかし、この世には善人悪人という謎の基準が存在し、人のために行動すれば善人でありますし、その逆は悪人となります。ですが、善人も悪人も、所詮は「自分のため」というものが根幹にありまして、他人のためだとかいうそんなものは、世間体のための道具に過ぎないものです。人というのは自己中心的な生物でありまして、自身を犠牲にしてでも誰かを助けようとする人は見たことがありません。もっとも、それは私がそうであったというだけでありまして、貴方達はまた違った回答があるのかもしれません。私は、貴方達の回答がそうならそうであるとしか言いません。なぜなら、世間がそうしろと常々仰っておりますから。それこそ、「信頼」であると。




