第一 俯瞰
私は実に愚かな人間であることを理解しています。自身の出身地の名を覚えておらず、かつて私が通っていた学校はなんという名称でどこにあったかも全く記憶しておりません。私からしてみれば、そのような些事に気を向ける必要などはございませんし、そもそも、覚えたからといって何の役に立つのか甚だ疑問であるのです。
それなのに、周りの人々は、自分の出身はこれが有名なんだとか自分の母校はこういう場所だったんだぞと、誇りに思うかのように語るのです。それに加え、私に向かって母校を覚えぬとは何事かとか生まれた場所も覚えぬ親不孝者めなどと罵るのです。私はそれがひどく気に入りませんが、彼らへ何か言うと、これまた銃のようにぺちゃくちゃと騒ぎ立てますので、はいそうですね、私が悪うございましたと下手に出るのです。
しかしながら、私は幼い頃から愚かであったがために、きっとこの先も愚かなままであろうということを察さざるを得ないのです。私がそう言うと、そうと決まった訳ではございません、まだ貴方の人生は長いではありませんかと仰られる方々も度々見受けられるのです。それに対して私は、そういうものなのか、はははと笑って誤魔化すのです。しかし、これまたどうして、先程のような言葉をかける人ほど私のことを、自分よりも身分や立場、能力が低いと判断して話すのです。きっと彼らなりの慰めや励ましなのでしょうが、私はこういった言葉を言われる度に、彼らの本心を見抜いてしまうせいで、二重の意味で落胆してしまうのです。
私は、私を指導してくださった恩師の方々のような存在に憧れているのです。その方々は、私に様々なものを与えてくださいました。人生の教訓とか、賢い生き方とか、勉学の大切さなどにございます。しかし、私の憧れる恩師の方々のようになりたいという夢は叶わないと知っているのです。私はそのような、崇高で聡明な方々ではない卑しい身分ですし、そもそも、あの方々と肩を並べようとすること自体が烏滸がましいことでしょう。所詮、駄作は駄作として、それ相応の人生と末路を歩まざるを得ないのです。
私にはどこかへと自由に進むことのできる脚が無ければ、どこかへと軽く飛んでいける羽もありません。ただ地面を醜く這いずることしかできないのです。そして上を見て空の景色を羨んだところで、そこに届くことも一生あり得ないのです。これは誰が何と言おうと揺るぎない事実であり、私自身にも変えることはできないものであります。そのような、上ばかり見て自身のことをまるで見ようとしないその様は、きっと他の人からは至極滑稽に見えますでしょう。
自身の願いを叫んだとして、現実というものは非情なるものです。どうして自身の、ただ1つだけのちっぽけな願いすらも叶えてくれぬのでしょう。私は甚だ、現実に失望と絶望するばかりであります。
「二重の意味で落胆してしまうのです」という箇所、この二重の意味がよく分からないという方向けに解説を書いておきます。この二重の意味の一つ目は、相手への落胆です。慰めているように見せかけて、内心では馬鹿にしているという、相手への落胆ですね。かなりシンプルなものです。
そしてもう一つは自身への落胆です。相手の心にもない慰めを笑うことしかできない自分の間抜けさと、ずっと馬鹿にされたまま、愚かであり続ける人生を歩んでいく以外の道は私にはないんだという落胆ですね。
二つ目の理由はちょっとややこしいし分かりにくいと思います。まぁ何となーく言いたいことが伝わってくれていたら大丈夫ですかね。




