第59話:家族旅行は次元を超えて。行き先は「始まりの地」
『インペリアル・エルシア』が突き進む上位階層の廊下は、星々の瞬きさえ届かない、純白の幾何学的な虚無だった。
窓の外を流れるのは、この宇宙を構成する数式の残滓。私たちの城が通るたびに、その静謐な白の世界が、ギルバート様の漆黒と私の銀色に塗り替えられていく。
「お母様、見てください! あそこにおっきなお魚……じゃなくて、光るクジラさんがいますわ!」
セレスが展望室の窓に張り付き、上位階層に棲まう高次元生命体――『監査魚』の群れを指差した。
本来なら一瞥で精神を崩壊させる神の使いだが、今のセレスにとっては、ただの珍しいお散歩風景に過ぎない。
「ええ、綺麗ね、セレス。……陛下、あの方たちは私たちを襲ってきませんの?」
「フン。餌に興味があるだけの案山子だ。……万が一にもこちらへ鼻先を向けたら、その瞬間に種族ごと消去してやるから安心しろ」
ギルバート様は私の隣で、黄金の鍵――今は羅針盤の形をした遺物を、忌々しそうに見つめていた。
針は激しく回転し、この要塞を特定の座標へと導いている。
「……エルシア、あまりその鍵に深入りするな。死んだゴミ収集人が遺した妄執だ。お前にとって、ろくな記憶は見せん」
「分かっておりますわ、陛下。……でも、知っておかねばならないのです。私がなぜ、あの冷たい雨の日に『無能』として地に落とされたのかを」
私は羅針盤にそっと指先を触れた。
銀河の瞳が鍵の記憶と同期した瞬間、私の視界が反転する。
――見えたのは、豪華な円卓を囲む、顔のない「上位管理者」たちの会議。
『――第一階層の負荷が限界だ。……このままでは全システムが自壊する』
『……「銀河の雛」を投下せよ。……あれに全宇宙の負債を吸わせ、最下層の泥の中で磨り潰させれば、あと一万年は稼げる』
『……慈悲はないのか?』
『……これは「契約」だ。彼女が絶望し、独りで朽ち果てること。……それだけが、この庭園を美しく保つための唯一の清掃法なのだから』
……ああ。
そう、でしたのね。
私は「なり損ない」でも「運命のいたずら」でもなかった。
この宇宙を清潔に保つための、使い捨ての「フィルター」として、私はあの王国へ、あの泥の中へ精密に投げ捨てられたのだ。
私が地下牢で流した涙も、孤独に震えた夜も、すべては管理者の計算通り。……全宇宙の「美しさ」を維持するための、必要経費。
「――何を、悲しそうな顔をしている」
ギルバート様の冷たい、けれど絶対的な熱を帯びた声が、私を過去の泥から引き戻した。
彼は私の手を握り、羅針盤ごと握りつぶさんばかりの力を込めた。
「設計図に描かれていた、だと? ……笑わせるな。その設計図ごと、私はお前を奪い取った。……お前が宇宙のフィルターなら、私はその宇宙そのものを飲み込む虚無だ。……お前を苦しめた『契約』とやら、その立案者の首を並べて、お前の足元に敷き詰めてやろう」
「……陛下」
彼の傲慢な愛が、私の魂の震えを一瞬で焼き尽くす。
そうだ。計画がどうあれ、今の私はこの方の腕の中にいる。
その時、城全体が激しい衝撃に見舞われた。
上位階層の空間が歪み、巨大な「鎖」が幾万も現れ、要塞の進路を封鎖しようと絡みついてくる。
『――不法占拠者。……これ以上の侵入は、宇宙の安定を損なう「禁忌」である。……直ちに要塞を停止せよ』
「……不法だと、何度も耳にタコができるな」
ギルバート様がゆっくりと立ち上がり、展望室の床を軽く踏みつけた。
ドォォォォォォォンッ!!
漆黒の波紋が要塞から放たれ、絡みついていた高次元の鎖が、まるで作ったばかりの飴細工のように粉々に砕け散った。
「私の家族旅行に『赤信号』を出す度胸だけは褒めてやる。……だが、私の前で『停止』を口にしたこと、死を以て後悔させてやろう」
ギルバート様の背後に顕現した虚無の翼が、白銀の廊下を闇に染め上げる。
ただの威圧だけで、伏兵として隠れていた管理部隊の軍勢が、戦う前に「存在の定義」を失って霧散していった。
「陛下、目的地に到着いたしましたわ」
羅針盤の針が止まった。
要塞の正面、純白の空間の中に、ポツリと浮いている「異様な区画」。
それは、上位階層の洗練された美しさとは無縁の、薄汚れた、泥だらけの小さな庭だった。
アステリア王国の地下牢の裏、私が独りで捨てられていた、あの場所と全く同じ光景。
「……ここが、宇宙の『零地点』……。私の、孤独の始まりの場所ですわね」
宇宙の心臓部に鎮座していたのは、女神の玉座ではなく、捨てられた少女の記憶そのものだった。
私たちは、ついにエルシアという「犠牲」によって守られてきた世界の、最も醜く、最も残酷な秘密の入り口に立ったのだ。
第59話、お読みいただきありがとうございました!
明かされたエルシア様の出生の真実……それは「使い捨てのフィルター」として、宇宙の汚れを一身に引き受けるための生贄だったということ。
第1話のあの絶望が、実は神々によって精密に設計されていたなんて……ミオ、書いていて涙が止まりませんでしたわ。
けれど、我らがギルバート様!
「設計図ごと奪い取った」「立案者の首を足元に敷き詰めてやる」という、運命さえもゴミ扱いする不敵な宣言。
これぞ、世界一頼りになる執着皇帝ですわね。
そして辿り着いた、宇宙の心臓部にある「泥の庭」。
なぜ管理会議場の奥に、あんな惨めな場所が再現されているのか……?
物語はついに、この宇宙の「真の汚れ」を掃除する最終局面へと突入します。
少しでも「陛下の逆ギレ愛に救われた!」「過去の真相が切なすぎる……!」と感じていただけましたら、
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皆様の応援という名の「怒りの炎」が、次話、管理事務局の欺瞞を粉砕する陛下の魔力になりますの。
これからもどうぞよろしくお願いします!
それでは、過去を上書きする次回をお楽しみに。




