第四章 ・・・ 3
最後のホームルームが終わり、一人また一人と教室から出ていく。
いつもみたいに俺はそれを自分の席でぼんやり眺めていた。玲華はなにやら杉村に呼ばれてすでにいない。
―――世羅はまだいた。
どうしよう…。話しかけるなら今だ。数人、まだいるけれど呼び出して別の場所に行ければ…。
でも聞いたところで答えてくれるとは思えない。その点で迷いが生まれる。どう聞いたら答えてくれるんだろう。
迷ってるうちに世羅は出て行ってしまった。
「あ…」
でも学生鞄は置いたままだ。帰ってくる。
(そのときがチャンスだ!)
俺は動悸が高鳴っていた。
正攻法じゃダメだ、と玲華は俺に言った。奥の手を使えと。いままでの聞き方じゃダメなんだ。
(考えるんだ)
有効な方法を。
この数日で学んだことは、話し合うことと、弱味を握って脅すこと…。
(違う…世羅を脅してどうする)
なんかもう、テンパってくる。だいたい世羅の弱味だってわからない。いや、弱点なら知ってる。
(オトコ、か…)
だけどそんなもの持ち出したくない。世羅がどうということより、俺がイヤだった。
他には?
(梶さん…玲華…兄貴…義父親、母親)
世羅に関する人物がぐるぐる頭を廻る。ダメだ。俺は断念した。
いくつか頭には浮かぶが、どれも却下したくなる内容だったのだ。
気づくと教室には誰もいなくなっていた。あとは世羅を待つだけだ。
聞きたいことを頭で整理していたら、ガラッとドアが開いた。
―――世羅だ。想定内の狙ったことだったのに、いざ目の前にすると動けないくらい緊張している。
世羅はこちらに見向きもせず、自分の学生鞄に持っていた本を入れた。図書室に行ってたんだと分かる。そのまま鞄を掴んで教室を出……。
「な、なあ!」
出たらダメじゃんか。
慌てて俺は立ち上がり呼び止めた。慌てすぎて声が裏返る。…みっともない。
世羅は仕方なさそうに、でも振り向いた。これ見よがしにため息を吐く。
「なんだ」
とりあえず第一段階はクリアだ。ホッとしながら世羅に近づく。
「あのさあ…ちょっと話があるんだけど」
いろいろ考えすぎて何から尋ねていいかわからない。だけど世羅は一度持った鞄を机に置いて、堂々とした出で立ちで俺と対峙した。
「私になにを聞きたい?兄のことか?事件のことか?それとも、玲華のことか?」
全部、読まれていた。なにもかもお見通しだったようだ。俺は回り道をするのを諦めた。
「全部だけど…。とりあえず兄貴のこと。兄貴とはどういう関係?」
「ふん!相変わらず直球だな。ただのオトモダチだ」
世羅は腕を組み、馬鹿にしたようにクイッと顎を上げた。
「なわけないだろ?だいたいどこで知り合ったんだよ?」
「おまえに関係ない」
「じゃあ…兄貴と梶さんはどういう関係?」
「それこそおまえには関係ないことだな」
「関係ないわけないだろ!梶さんは兄貴を知っていたんだ!」
感情に任せてまた怒鳴ってしまったけど、反省してる暇はなかった。世羅が明らかに目を見張って動揺していたから。こんな感情を表すのを見たのは初めてだった。
「そうか。おまえなにか思い出したんだな。なんだ?なにを思い出した?」
「訊いてるのは俺だ。答えろよ」
低く俺は唸った。意外なところに奥の手があったようだ。
世羅はそっぽを向いて吐き捨てるように言った。
「私は知らない」
「知らない?訊いてないのか、兄貴から」
「おまえが直接訊けばいいだろう。兄弟なのだから」
「身内だからって、なんでも話せるわけないっておまえなら分かるだろ!」
叫んでしまって、しまったと悔やんだ。先ほどとは違う種類の後悔。
こういう話を世羅にするつもりはなかったのに!
世羅の顔から悲しみが満ちていくのを目の前で見せつけられた。それから笑った。口元が歪んでて自嘲気味な笑みだった。
「玲華からなにを聞いたか知らないが、私のことを馬鹿にしてるのか?」
「違う…いまのは…」
「兄弟と言っても全然違うんだな。惣一さんはもっと紳士だったよ」
「!」
なにもこんなかたちで比較しなくてもいいのに。
世羅も聞いてるんだ、兄貴から。俺の、弱味……。
「なんだよ…。なんなんだよおまえら。なに企んでんだよ」
「企む?勘違いしてないか。言っただろうただのオトモダチだと。頭の良さも違うな」
「やめろ…なに……」
「惣一さんは大人で優しい人だな。うらやましいよ、おまえが」
優しいだと?
家族以外の他人に、どういうふうに接するか俺は知らない。知らないけど、少なくとも俺には…。
「だけどおまえは自分勝手に閉じこもり、周りを見ようとしない。惣一さんは子どもすぎる弟を持って苦労してるんだよ。邪魔なんだ、おまえが」
「好き…なの、か?」
兄貴のこと。
「好き?」
カッと目を開き、世羅が体を揺らして笑いだした。
ちょっと泣いてるみたいにも見える笑い方。本音がわからない。
「おまえの頭は単純でいいね。…ああ、好きだよ。少なくともおまえよりはね」
まだ世羅はクスクス笑ってる。
「その笑い方、やめろよ」
気づいたときには完全に世羅が上位にいた。支配者みたいに上にいて、俺は弱く機嫌を窺うような主張しかできない。
世羅が俺を嫌ってることはわかっていたけど、こんなふうにはっきり態度で示されると悲しくなる。哀しくて寂しい。
人に拒絶されることは何度経験しても慣れてはくれない。
目を細めたまま世羅はにじり寄ってきた。
「やめさせたいなら……私から何かを聞きたいのなら、力ずくで押さえつければいいじゃないか。この前みたいに」
「世羅…」
罪悪感と自己嫌悪が蘇る。
違う、あんなのは本意じゃないのに。だけどしてしまったことは変えられない事実で、今さらなにも言えない。
世羅はなにを想ったのか俺の頬に右手で触れてきた。
情けないけどびっくりして俺の方が逃げ腰になる。
「ねえ、おまえは玲華から聞いてるんだろう?本当に読みやすい奴だ。だけど私は男嫌いでも男性恐怖症でもないよ」
「え?」
いきなりなにを言い出すんだ、と思った。あの日あんなに震えていたのに。まるで先回りしないと自分自身がもたないとでも思ってるみたいだった。
ばかやろう。
世羅はバカだ。知能指数とかそういう話じゃなくて、こういうときに自分の気持ちに嘘つくから、不器用で意地っ張りだった。
(指が、震えてる)
俺にだってバレる強がり。
だけどなぜこんなことをするのか、しなくてはならないのかが解らなくてどう対処していいか迷う。
「玲華だって誤解してるんだよ。私が未だに過去の恥辱を引きずっていると…。私のこと聞いておまえはどう想ったんだ?自分が嫌がっている割りには、無意識に他人には同情してるな、おまえ」
「違う…」
「ほんとうに?私の目を見て誓えるか?」
世羅の左手も俺の体に触れてくる。俺は頭が真っ白になった。
為すべきことを見失って、ただ口だけが小さく動いた。
「離せよ」
「振り払えばいいだろう?おまえの方が力があるんだ」
「なんだよ、なに考えて…」
そのとき、だった。
誰も来ないと思った教室に向かって歩いてくる足音が聴こえてきた。
(あっ)
恐らく世羅も同じように気づいた。その軽快な足音の主に。
こんな時間に教室に来るような可能性がある人はひとりで…。でも気づくのが遅かった。
その足音が止まるや否や、勢いよく廊下と教室を隔てる前の方のドアが引かれた。
「悠汰ー。ちょっとこれ…」
玲華の姿を確認するより一瞬速く、世羅は左手で俺のネクタイを引っ張った。
なんの力も入れてなかったから、グンっと抵抗なく世羅に近づく。
(だめだ!)
状況をつかめたときには、すでに逃げる術がなかった。
世羅の右手が顔から首の後ろ側にまわされて―――軽く、触れるか触れないかのスレスレだったけど…確かに、キスされた。
一瞬で感触も残らないほどだったけど関係なかった。
この位置からは玲華には世羅の背中しか見えない。
バサバサっと、たぶん玲華が持ってた紙の束が落ちる音がした。玲華に見せつけたかったんだ、世羅は。わざと。
玲華の気持ちはきっと世羅も知っていてわざとやったんだ。こんな傷つけ方もあるんだ。
「どういうつもりだ!」
やっと俺は振り払う。だけどなにもかも遅い。時間は戻せない。
世羅は愉快そうに笑いながら俺から離れて自分の鞄を取った。
「怒るなよ、減るものじゃない。すでにしてることなんだろう?玲華と」
そのまま玲華のことを見もせず、颯爽と身をひるがえし後ろの出口に向かった。
侮辱された気分だ。俺だけじゃない。玲華も含めて侮辱したんだ。
許せない、こんなやり方。
「てめえ!」
「待って悠汰!」
世羅を追おうとしたとき、玲華が全身を使って俺を止めてくる。
「ごめん!待って…ごめんなさい」
なんで玲華が謝るのかがわからない。だけど腰辺りにまわされた腕が震えていて、それを退けることはできなかった。
世羅は振り返りもせず出ていきドアの閉まる音が空しく響く。
それでも、どちらも動けなかった。
玲華は下を向いてままで、肩が小刻みに揺れていて泣いてるのかと思った。
「わかった、世羅の気持ち…」
独り言のように呟いた声は、だけど思いの外しっかりしていた。それから玲華は僅かに顔を上げる。
違った、泣いてなかった。ただ泣きそうだったけれど。
俺はむしろ世羅のことがわからなくなっていた。敵意むき出しで、でも想うところとは違うことをした。それぐらいしか…。
―――やっぱりそうだったんだ、と最後に玲華は呟いた。
* * *
「どうしたんですか?なんですか、この暗いオーラは!どこかで怨念背負ってきたみたいですよ、おふたりとも」
並んでソファに座っている俺たちに向かって、秀和がホチキスを振り回しながら慌てていた。……危ない。
あれから玲華があまりにも動こうとしなくて、なんとか部室にまでは連れてきたけど、まだ見て分かるほど引きずっていた。今はぼんやりと斜め下辺りを見つめている。
落としたプリントを俺が変わりに持ってきた。今はテーブルにある。
内容まで確認する気力も興味もなかったけど、ホチキス止めをする作業を杉村から頼まれたようだ。学級委員なんてただの雑用かよ、と思ってしまう。
そしておそらく、あの現れ方は俺に手伝わせようと思って来たんだろう。
いまは目の前でガチャンガチャンとなぜか秀和がやっていた。
怨念背負ってきたって、ある意味正しいかもしれない。
世羅についてはなにも聞けてない。落ち込みようが半端なくて聞けずにいた。
こんな玲華は初めてだ。対応に困ってしまう。
「そういえばさー、杉村先生に危ないことするなって言われちゃった」
おもむろに、わざと関係ない話を振ってくるし。
「あー…俺も言われた。やるなら上手くやれって」
「えっ?あの真面目しか取り柄がなさそうな先生が?」
「あのなー。…でもそうだな、本心を話してくれって頼んだら言ってくれたんだった」
「はあ…。悠汰はどんどん周りを引き込んでいくね」
「どういう意味だ」
「一応誉めてるんだけど?」
「ふうん……」
「うん……」
会話が続くかと思ったのにまた止まった。さっきからこうなる。どちらからともなく話しだし、どちらからともなく切れるんだ。
本当はしなければならない話があるところを避けているせいかもしれない。
その都度、秀和がキャンキャンわめきながら、フォローになってない賑やかしみたいなフォローを入れている。
「ああ、またっ!落ちてますよ!ダメです、陰は陰を呼ぶんです。会話、続けてください!」
「ヒデが喋ればいいじゃねえか」
「ええと、そうですね」
気のせいだろうか。無意味にプレッシャーを感じたようで、秀和は大量の汗をかきだした。
「ぼくこの前自販機のまえお掃除してたら五百円玉を拾ったんですよー」
陽気にホチキスを鳴らしながら、秀和が語りだした。だけどそれから続く気配がない。バチンバチンバチン、と音だけが響き出す。
「……で?」
「えっと、お釣が出てくるところじゃなくて、下のスキマにホウキを…ってあのTの形したホウキをですね、こう突っ込みまして出したんです。そうしたらついてきたんですよ!キラキラ光る五百円玉が!」
「……だから?」
「ええっっ!五百円玉ですよ?五円や十円じゃないんですよ!もちろんそれらも大切ですけど、ぼくはこんなことあるんだなあって感激をっ…」
「もういいわ、ヒデ」
ずっと黙って聞いていた玲華が容赦なく止めた。はぁ…。
ガーンと効果音がつきそうな青い顔をして、秀和はショックを受けていた。
「ぼ、ぼくは元気を出して頂きたくてっ、それで、最近あったイチバン嬉しかったおはなしをっ」
「そうだな、ヒデ。で、その五百円でなにを買ったんだ?」
「やめてください!届けましたよ、職員室に」
「…………」
なんか秀和はどこまでいっても秀和だった。これがコイツの良いところなんだろうけど。はあ…。
俺の顔を見て、秀和はほえ?ってよくわからない音を発した。
「おまえがなんとかしたいって思ってくれたのはわかったから」
「うう…神崎さま…」
俺たちの―――秀和が言うには―――陰の空気が秀和までもを侵食していったようだ。
悪いことをした。
律儀に秀和が手作業だけは止めなかったから、しばらくホチキスの音だけが鳴っていた。
その沈黙を破ったのは玲華だった。前に偏っていた体重を背もたれに預けると左腕で顔を覆う。
「あたし…どうしたらいいかわからない」
本当に参ってるんだ。
いままでは世羅の気持ちがわからなくて、わからないからこそ不安でも突っ走って行くことができたんだ。俺にはわからないままだけど、玲華には解って、そしてそれが立ち止まらせるものだったんだ。
なんかそれって辛い。
これまで真っ直ぐ進む彼女しか見てなかったから、余計に…。
いつまでこんなことしてるんだろう。
ふと、なんと呼べば良いかすらわからない、新しい感情が高まっていく。それが止まらなくて、座っていられなくなる。
「玲華は迷ってろよ」
「神崎さま?」
向かいにいる秀和の方が先にギョッとした表情で反応した。だから、また言い方を間違えたんだって気づいた。
「いや、玲華はずっと走ってきたんだからたまには迷っていいんだ。今はたぶん迷う時なんだ」
だけど俺は…。
いつまでも負けっぱなしじゃダメだろ。
贅沢は言わない。ひとつくらいでいいから誇れるものがほしい。これからも生きていくために。
「俺はずっと迷っていたからもういいんだ。もう迷わない。……久保田が帰らないなら迎えにいく」
「どう、するの?」
掠れた声で玲華が訊いてきた。
「兄貴にあたる。絶対に兄貴はなにかを知ってるから」
まだ不安そうな玲華に俺は言う。前に進むために。
「兄貴が犯人だって言うんなら見逃せない。見逃さない。弟だから、俺が真実を暴くんだ」
* * *
その日から俺は兄貴を見張ることに決めた。
まず、いつもはわざとズラしていた生活時間を合わせることから始めようと思った。たいてい時間を潰していても俺が先に帰ってる。普通に考えればその間兄貴は塾に行ってるんだろう。
いまはまだ兄貴の塾も知らない。
いつでも兄貴に合わせられるように真っ直ぐ家に帰った。咲田さんが入れ違いで帰って行く。
それからただひたすら部屋で兄貴の帰りを待っていた。もともと今夜は話を聞きたいと思っていたものの、見張るとなるとまた違った感情になる。
初めから敵わないと分かってる者への挑戦はかなりの無謀を感じた。
(だけどこのままにしておけないから…)
なんとかしたい。
震えながらあんなことをした世羅も、落ち込んで先が見えなくなってる玲華も、もう見たくないから。
ただ兄貴の帰りだけを待つ時間はすごく長く感じる。
いつもは音楽を聴いていて、聞かないようにしている音を聴き逃さないようにただひたすら待つ。
それからガチャっと玄関の扉の音がしたときに、何気なく時間を確認したら22:48と数字が並んでいた。
帰ってきたんだ。
だけど兄貴はすぐには部屋に戻らない。音がしないから。ということはそのままキッチンに向かったんだろう。
俺はそう予測を立てるとやっと部屋から出た。
下に降りると、その通りで兄貴がレンジで温めた夕食を食べていた。隣にはウチでは兄貴しか読まなくなった新聞が広げられている。
……俺が現れても、なにも言わない。
冷蔵庫から自分の分を温めてコップにお茶を注ぎ兄貴の向かいに置いても、完璧に俺を無視していた。
自分で発生させた状態だ。気まずいと言っている場合じゃない。
そう思って口を開きかけたときレンジが終了した合図を鳴らした。
(……………!タイミング!)
ひとまず咲田さんが作ったおかずとご飯を並べる。今日は酢豚がメインだった。
「いただきます」
とりあえず座って挨拶してみる。思ったより小さくて低い声が出た。俺って小心者…。
ちらりと兄貴を伺うと、時々新聞に目をやりながらもやっぱり無視。オッサンくさいな、もう。
「ウマいよなー」
なるべく明るく言ってみる。相手からはなにも返ってこない。とことん無視する姿勢のつもりのようだ。
「この前さ、友達とメシを食ってるときに思ったんだけど。やっぱメシは一人で食うより誰かと食った方が楽しいんだって発見したんだ」
とりあえずベラベラと思いつくことを喋った。
なかばヤケになりながら。なんでもいいから食いついてくれと願う。
「あー、兄貴はそう思ったことない?俺らって一家団欒とかないし」
「……………」
「たとえば友達とか、彼女とかとさ」
「……………」
「兄貴はやっぱり東大行くんだ?先輩がいるって言ってたけど」
「……………」
(………………)
ダメだ。完璧なシカトだ。
話すネタにも限りがある。兄貴のことで知ってることが少ないし、共通の話題がまずない。
いや、本当はひとつあるが……無視されたら困る。世羅のことは。だからまず、こちらに興味を向かせたい。
「ええと…友達にすげえ犬に似てるやつがいてさ…。なんか反応が。そんで…そいつと話してると犬が欲しくなるんだ。ウチでも飼えないかなーとか思って…」
兄貴は俺が喋ってる間にもモグモグ食べ進めて終いには…終わっていた。
バフっという音をさせて新聞をたたむ。
「あ、あのさ…」
なんとか繋ぎ止めたくて慌てる。
兄貴は気にもならないみたいで自分の食器を洗浄機に入れに行った。
(なんかもう…限界かも)
聞いてない相手に話しかけるのはこんなに心が折れるとは。こうなったら一か八か体当たりしてやろうか。
追い込まれてちょっと不穏なことを考えてると兄貴が振り向いた。
対面式のキッチンダイニングだから上半身しか見えない。
「そんな井戸端会議的なことをしたくてわざわざ夕食を待っていたのか?」
相変わらず冷たい、蔑んだ声だった。でも俺は反応があったことだけで、それが気にならなくなっていた。
箸を置いて立ち上がる。少しでも同じ目線で話したいから。
「えと、そうじゃなくて…なんであの会場にいたのか、聞きたい」
「おまえが行ってるものに俺が行っていたらおかしいか?」
兄貴は腕を組み流しにもたれかかっていた。
なんでそんな言い方しかしてくれないんだろう。突き放すような、揚げ足を取るような。
「おかしいとか、そういう話じゃなくて…。……世羅とどこで知り合ったんだ?どうやって世羅と…」
「俺の交遊関係にまで口だすな。言わないといけない義理はない」
「事件に関わってんだよな。だったら言ってくれよ!疑いたくないんだ兄貴を」
「直球で質問しても無駄だと彼女に習わなかったか?」
会ってたんだ。
この言葉で今日も会ってたんだって気づかされた。そして俺との話を聞いたんだ、世羅から。
「彼女が駄目なら俺か。たとえばおまえが想像する通りなにか企んでいたとして、それでなぜ俺が教えると思える?」
兄貴と世羅は似ている。話していても届かない感じの喋り方とか、俺を拒絶するあたりが同じだった。
だけど決定的に違うものがある。
「だったら梶さんとのことも話してくれないんだ?」
「くどいな」
世羅から聞いているためか梶さんの名前を出しても兄貴の反応が変わらない。
決定的な違い。
それは兄貴には余裕があることだ。世羅みたいに取り乱したりしない。
「梶さんは俺のことも知ってたみたいだったんだよ、兄貴」
「……………」
「兄貴に気をつけろって言って力尽きた。なあ、これってどういう意味だよ?」
みっともなく狼狽える俺をただ兄貴はじっと見つめていた。
だから!わからないんだって、そんな反応じゃあっ!
「浅霧家となにがあるんだよ!なんで梶さんっ……」
「疑いたいなら疑えばいい。俺が殺した。そう言えば満足か?」
(俺が、殺した?)
だれが?俺ってだれ?
問い詰めていたのは俺なのに、実際に口に出されて耳に入ってきたらざわりと胸が騒いだ。
条件反射で、近くにあったコップを掴んで投げつけた。感情の赴くままに。
聞きたくない言葉を聞いた。なんかそれでもう駄目だった。
兄貴はスレスレのところにでかわした。ガチャンという激しい音がしてコップが壁に衝突してから流しに落ちる。
兄貴は眉ひとつ動かさないで冷めた眼でいた。それがさらに悔しさを増長させる。
「疑いたくないって言ってんだろ!犯人だと思いたくないから聞いてんだよ!」
「………おまえは、そういうところお袋に似ているな」
ため息をつきながら、ちょっと後ろを向いて割れた状態を確認すると兄貴はまた俺を見た。
似てる…?あんな女に?
否定したかったけど確かにそうだった。ちゃんと考えたらわかった。
物にあたるところとか、感情的なところ。
言われて初めて気づいた。ショックだった。母親のそういうところが嫌いだったのに、まさか自分も同類だったなんて…。
泣きたい気持ちになるくらいの衝撃。
イヤだ!イヤだ!イヤだ!
血筋なんて言葉で簡単に片付けたくない。片付けられない。
それじゃあまるで、一生治らないみたいじゃないか。
俺は投げつけてしまった右手の掌を見つめた。わずかに震えてる。
「やはりおまえは駄目だな」
そう言いながらも、新聞を掴むと兄貴は冷蔵庫の横のラック戻した。読み終わった新聞を置く定位置になってる。
冷静な態度。最後通告をされたみたいな。
だけどなにが駄目なのかまでは教えてくれない。自分で考えろということだ。
そのままダイニングを出ていこうとする。聞くかどうしようか迷っていたことが、つい口に出た。
「世羅は元気だった?」
声にしてみると間抜けな質問。なにについてか言ってない。
あんなことをしたことまで、兄貴に伝えているかどうかすら……わからないのに。
「ああ。心配ない」
だけど、意外なほどさらりと兄貴は答えた。