第四章 ・・・ 2
考えないといけない。取り返しのつかなくなるまえに。
切羽詰まって今ごろ本気でそう思う。思って焦る。
いままではまだ全然真剣に考えてなかったんだって気づく。全然足りなかった。
玲華からきたメールには、まだ久保田が帰ってきてないことを教えていた。玲華のアドレスはすでに登録済みで、間になんのメールも受信してなかったから立て続けに三件ならんでる。
直近のメールはついさっき。いずれもメールの中身は久保田の久の字も無くて、他愛ない学校のことだったりする。でも無かったからこそそうなんだってどこかで知っていた。
あんな会話の後で、あんな出掛け方をされたら、嫌でも頭は悪い方向へ思考が行ってしまうじゃないか。
(なにかヘマしたのか…?)
きっと浅霧家を探りに行った。それからの足取りが掴めないんだ。
(こんなとき…どうすればいいんだろう)
俺はカッターシャツの予備用のボタンをいじりながら、勉強机に座って考えていた。
母親は珍しく今夜もまだいる。自分の家だからこんな言い方は適切じゃないはずだけど、本当に珍しかった。いつもやることやったらまたどこかへ繰り出すのに。
―――お父さんを呼ぶからね。
そう言ったのに父親は相変わらず帰ってきてない。それがさらに母親の苛々を募らせてるみたいだった。
別れればいいのに。両親の間には、とっくに愛なんて存在してない。
子供にバレてるってどうなんだよ、と思っていた時期すら超えてしまった。それでも別れないのは。
(世間体、か)
そんなにたいして近所付き合いもしてないのに、なにを気にしてるんだろう。理解に苦しむ。
でももう母親に脅威的なものは感じなかった。一度存在の小ささに気づいたらそれまでだった。
兄貴も、まだ帰ってきてない。どこにいるんだろう…。
まさか世羅と? 警察に見張られたなかで、それはあり得ないかなってちょっと思った。
(俺は、俺にできることをしないと)
机に突っ伏して、ボタンに集中する。
池田がまえに行っていた課題だ。―――どうしてうつ伏せに倒れていた梶さんの眼を見たのか。
きっと梶さんに意識があったんだ。それで現れた俺を見てきた。
それしか考えられない。他の可能性はどれもいまいちピンとこなかった。
(そこからどうなった?)
モヤがかかったように、あの眼以外が霞んでる。
記憶のなかの視界を広げる。すべての感覚に聞く。
触覚…あのとき触れた、ボタンを触る。
臭覚は血と雨の臭い。
俺は少しでもあの瞬間に近づけたくて、窓のドアを少し開けている。今夜も雨が降っているから。
そして目をふさぐ。感覚を研ぎ澄ませて思い出そうとする。
視覚…あの目に釘付けだった。
そしてあれから頻発に息苦しさに陥ったからそれを思い出すのは容易い。間違ってもいま過呼吸にならないように気をつけながら、すべての感覚を過去に返す。
それから…聴覚は?
「惣一!何やってたのよ今まで!」
聴覚を意識した直後に、ヒステリックな母親の声が耳に突き刺した。あまりに凄いタイミングでビクリと全身が震えた。
兄貴が帰ってきたんだってしばらくして気づく。
(あっ…)
それはいきなりきた。必要なフラグが全部揃ったみたいに、突然思い出した。
―――梶さんは、意識が失くなるまえに俺を見て言ったんだ。途切れ途切れの消え入りそうな声で。
『あ…兄に、惣一に……気をつけろ………』
最後の力を使って右腕を俺に向かって伸ばしながら、そう言い残して息絶えた。
(なんで今まで忘れていたんだ…)
すべての言葉が声になってなかったけど確かに梶さんはそう言った。
兄貴のことを知っていただけでなく俺がその弟だと認識していた。
(気をつけろって…どういう意味だ?)
思い出したはずなのにまったくスッキリしなくて、むしろ絶望的な気持ちになる。まったく関係ないと思った殺人事件に兄貴が、俺が関わっている。
(まさか…)
兄貴が犯人だとでも言うのか?ならばなぜ世羅は一緒にいたんだろう。いったい兄貴と梶さんはどういう関係なんだ。
いてもたってもいられなくなって俺は部屋を飛び出した。まだ下で話し声がしている。
母親と顔を合わせないといけないのに、そのときの俺は構ってられなかった。
「勉強してたって、一泊も空けて?」
「そうだよ。東大医学部に行った先輩がいるから泊まり込みで勉強を教わってたんだ」
リビングから事情を話す兄貴の声は冷静で、みっともなく狼狽えた俺とは正反対の対応をしていた。
母親もすでに落ち着いていて信頼を取り戻しているみたいだった。相手が東大医学部っていうところがポイントになったみたいで母親は誇らしげに笑った。
「そう。それは素晴らしいわ」
「ごめん、連絡しなくて。先輩も忙しい最中時間作ってまで教えてくれるって言ってくれたから塾より優先してたんだ」
「いいのよ。母さんも家にあまりいれなくてごめんね。心配だったの。あなたが彼女とか作って遊んでるんじゃないかと思って」
そのときふと、兄貴が方向を変えて階段の下三段くらいを残して立ち尽くしてる俺を見た。
ふん、とせせら笑う。
「まさか。こいつと一緒にしないでくれ」
比較されるのを俺が嫌がっていることを知ったうえでの発言だとわかった。
心の底から冷えてくる。凍りつくみたいに。
俺の存在に気づいて母親から笑みが消えた。それなのに俺を無視して兄貴に話しかける。
「ほんとにねえ。この子だけはもう、どうしようもないわね」
「おまえも余計なことはせずに勉強だけしていろ」
兄貴は吐き捨てるように言って、俺の横を通りすぎ階段を上がっていった。
よく、言う。嘘をついて、母親を誤魔化して、なにもかも隠して素知らぬ顔でよく言う!
「兄貴!」
「悠汰!惣一の邪魔したら駄目よ!」
怒りのボルテージが高まって振り向く。でも水を差すように母親が怒鳴って遮った。
母親がいるうちは事件のことは話せない。そう悟った。
* * *
結局兄貴とは話す機会もなく謹慎期間が終わった。
昼は兄貴が学校でいないうえに夜は母親が俺を見張っていた。そして金曜日である今朝、それに合わせてまたどこかへ出かけて行ったようだ。
久保田が帰ってきた連絡もない。
「神崎くん!久しぶり!」
思いっきりテンションが高いことがわかる声で後ろから走ってくる音がした。もう振り向かなくても誰だかわかる。
「おう、拓真」
一週間だけなのにすごく長い間会ってなかった気分になる。拓真はしげしげと俺を眺めた。
「傷はあんまり残ってないねえ。でもちょっと痩せた?」
「気のせいだろ?」
「そうかな…でも元気そうで良かった!」
「拓真のサワヤカさが懐かしい」
「ははっ。なにそれ?」
思ったことをそのまま言ったら笑われた。でも拓真らしい悪くない笑いだった。
そのまま他愛ない話をしながらいつも通り一緒に教室まで向かう。 戻ってきたんだという実感がある。いつの間にか、ただの逃げ場所だった学校が悪くないものに見えてきていた。
「悠汰!」
教室に入るとすかさず玲華が寄ってきた。まわりの生徒が一旦静まり返ったときに呼ばれたからよく響いた。
それから教室内ではヒソヒソと密談が聞こえる。こういうところ含め変わってない。ちょっと呆れた。
でも玲華が、拓真がいつも通りだから俺も周囲の反応なんか気にしないでいられる。
よお、と玲華に返そうとしたら玲華の顔つきが変化した。下から睨み付けられる。えーと…。
「ちょっとあんた、なんでメール返さないのよ!」
なるほどな、それか。怒りの正体がわかって苦笑いした。
「ああ…悪い」
「もー今度返さなかったら電話するわよ」
「それはヤメロ」
「えー、二人メル友なの?ボクにも教えてよアドレス」
拓真がズルいと言ってきた。いや、俺はそんなんになった覚えはない。
記憶が確かなら全部一方的に送られてきたもので、そのあとも続々と続いていただけだ。
「あたしが教えるわ。でも気をつけて、メールの返信は三回に一回がいいとこよ」
「勝手に教えんな。つーか充分だろそれで。送りすぎなんだよおまえは」
「ええっ、意味わかんない。対話式コミュニケーションだよ」
「そーよそーよ。もっと言ってやって萩原くん」
玲華が本性を出したことで、またこの二人は気が合い出したようだ。
「はいはい。送るようにすればいいんだろ」
敵わないと判断してさっさと席につく。
「よっしゃあ!今の言葉忘れないでね。あ、萩原くんのも教えてくれる?」
なんか楽しそうに二人は後ろの方でアドレスの交換をしていた。
いつのまにか教室内は普段通りに談笑に満ちている。その隙間に陰口を言ってるやつらもいるのかもしれないが、もう嫌な空気ではなかった。このクラスは基本明るいやつが多いのかもしれない。
ずっと見渡していると、前の方で櫻井と澄川が話しているのが目に入った。櫻井は自分の席に座ってるから顔は見えなかったけど、澄川の表情は決して友好的なものではなかった。
しばらく見てたら何事もなく離れたからちょっとホッとする。考えすぎなのかもしれない。だけどあのパーティーの日のことを考えると、俺が関わっている内容だったらどうしようと思ったのだ。
そのとき世羅が教室に入ってきた。
いつものように感情の読めない顔で廊下側の一場端の自分の席についていた。
兄貴とのことが気になってつい目で追ってしまう。
「ゆーたぁ…」
また分かりやすい態度だったみたいで、玲華が目の据わった顔で釘を刺しにきた。
交換は無事に終了したようで拓真はすでに他の友人達と喋っている。
「わかってるよ…。あ?でももう結託してんのはバレてるし、なんにも問題ないんじゃねえ?」
「………そういうことじゃないわよ」
なぜか玲華の勢いがなくなった。辛そうに世羅の方を見つめている。様子がおかしい。
またなにかひとつ、重いものでも抱えたようなそんな顔だった。
俺がいなかった間なにかあったんだろうか。
そういうことをメールで教えてくれればいいのに。もどかしい気持ちになる。
「じゃあ…どういうことだ?」
聞くのにすごく体力がいった。だけど流れでもあったし、気になったから恐る恐る訊く。
そしたら玲華はその表情のまま口元に笑みを作っただけだった。
誤魔化すような、とりつくろうような、そういう笑い方は玲華にはしてほしくなかった。
* * *
昼休み。
することもなくてぶらぶら廊下を歩いていたら杉村に呼び止められた。
「神崎、ちょっと」
ちょうど近くにあった人気のない実験室に手招きされる。
「なんですか?」
適当な位置に座った杉村から少し離れて俺も丸椅子に座った。なんとなく話の内容はわかっていた。この日このタイミングで考えられることはひとつだ。
「いやな、噂を聞いてな。謹慎中に外出してまた警察に行ったっていう……」
やはりか。
事件を目撃したときに噂が流れたときや、それまでの異端ぶりには腫れ物に触るかのようになにも言ってこなかったのに…。問題が続いて放っておけなくなったんだろう。
「どんな噂か知りませんが、謹慎中に外出したのも警察署に行ったのも事実です」
「神崎、あまり自由な行動ばかりすると謹慎だけでは済まなくなるぞ」
素っ気なく答えた俺に杉村がグッと眼に力を入れた。
つい疎ましく思う。なんの事情も知らないでいきなりの説教は納得いかない。
「校長先生の判断がすべて正しいとは思わないけどな。だからこそ、人に誤解を与えるような真似を自ら起こすことはどうかと思うんだ」
「先生はそうやって権力に屈してきたんですね。だけど俺はごめんです」
「神崎!」
「長いものに巻かれたいやつはそうすればいい。俺はダメだ。駄目なんです、今のままじゃ」
怒鳴りたい気持ちを堪えて言葉を続けた。かつて池田に言われたように、まずは杉村から話してみようと思った。
「それを否定してるんじゃないんです。そういうのは、自分をしっかり持ってるやつが出来ることだと思うから……今の俺はただ足掻くことしかできないん、です」
「なにか悩みでもあるのか?」
「先生にだって悩みぐらいあるでしょう」
「先生のことはいい。神崎の言うことも一理あるが協調性も必要だぞ。悩みがあるならいつでも聞くし、とにかく問題を起こすな」
「先生は……ケンカしたことどう思ってます?やっぱり校長先生みたいに、俺に問題があったと思いますか」
「納得いかないのも解るがいつまでも引きずっていたら前には進めない。その処分はもう終わったことだ」
違う気がする。
話し合いってこういうことじゃない気がする。話が噛み合わなくてすれ違う。
でも当たり前だった。杉村はただ俺に警告をしたいんであって、話し合いと思っているのは俺だけだったから。
「なんで俺の質問には答えないんだよ」
「神崎…」
「もう終わったことぐらいわかってるよ。いまさら時間は戻せない。戻りたくない。もう一度この一週間を体感なんてしたくない」
「神崎?」
「じゃなくて、先生がどう思っているか聞きたいのに、なんでかわすの?逸らすの?」
心配そうな顔で杉村が覗き込んできた。
そんな顔すんな。ぶつかってくる覚悟もないくせに、わかったようなこと言うな。
「なあ、先生だったらどうした?いきなり先輩に絡まれたらさあ、おとなしくやられた?協調性ってそういうときどうすんの?」
違う。八つ当たりしたいわけじゃない。なのに苛々して止まらない。
教科書に載ってるみたいなことしか言わないから、入ってこない。俺には。
杉村は困ったようなため息を吐いた。それからちょっと前屈みになって、低いトーンで言葉を発する。
「ここだけの話だぞ。先生なら恐くて逃げた」
「は?」
「神崎みたいに勇気ないからな」
突然態度を変えてイタズラっぽく笑うから、俺はポカンと口を開けた。
勇気あるって、だれが?
「校長先生はどうかと思ったよ。殴った回数なんか聞いてなかったし、よく空々しく言うなあってな。内緒だからな」
念を押して杉村が言う。
「ああいう場合どうすればいいか、一番正しい方法なんて先生も模索中だけど、逃げるやり方ならたくさんあったと言うことだ」
「なんか無責任」
答えに納得いかない。じゃあこれから絡まれたらたとえみっともなくても逃げ出せ、ということか?
「そう言うな。とにかくやるなら上手くやれってことだ。なんでもかんでもキバ向いていったらいくつ命があっても足りんだろ?」
そう言って杉村は立ち上がり、俺の頭にポンと一回手を置いた。突飛な行動についていけなくて一瞬あとに勢いよく頭を横に振る。
「やめろよ!」
「いやあ誤解してたかもしれんな、神崎のこと。あ、今後はくれぐれも頼むぞ、あまり危険なことはしないようにな」
軽快に笑って杉村は出ていった。
なんなんだ一体。誤解を解いたようなことを言った記憶がないし、そもそもなんに誤解してたかもわからない。
相手の意見がわかるまで話し合えという、池田の助言には失敗したということか。
(なんかシンドイ…)
自分の気持ちを言葉にするのも、相手の言葉の真意を読むのも俺にはすごくレベルの高いことに感じた。
長い息をひとつ吐き出しこの場から離れようとしたときだった。隣の準備室に誰かが入ってきた気配がした。 話し声も聴こえてくる。小さくてあまり内容まで聞こえないけど、俺には関係ないし構わず出ようとした。
「………やめてください………」
だけど聴こえてきた弱々しい声には聞き覚えがあった。櫻井の声だ。
朝に目撃した澄川との姿が思い出される。 嫌な空気を読み取ってそっと隣に続くドアに近づいた。
「いい気にならないことですわ。あなたみたいな地味で目立たない子神崎さまには相応しくありません」
やはり相手は澄川だ。あの女、なにを勘違いして関係ない方向に突っ走ってんだ。
俺は音を立てないよう引き戸タイプのドアを数センチ開ける。あのときの三人組が揃っていて櫻井を囲んでいるみたいだ。棚が邪魔をしてるが、その隙間から手前の二人の背中だけが見えた。
「今日こそ約束してもらいます。もうあの方に近づかないでもらえるかしら?」
「だいたいどうやってお近づきになりましたの?」
「西龍院さまを先に手なずけたんですわ。鶴田さま」
澄川の言葉には嫌な笑い方が含まれている。鶴田と呼ばれた女生徒が、まあ、姑息なと呟いた。
止めないと、と思ってドアに力を込めたとき櫻井が言い返していた。
「違います!変な言いがかりつけないでください!」
「あらあ、口答えなさるの?どこまでも調子にお乗りなのね」
初めて聞いた声。消去法でコイツが澤登か。あのときの緊張してなにも言えなかった印象はまったく皆無だ。女の裏側を見た気がした。
「西龍院さまにはなにも言えないくせに弱いわたしにだけ当たらないでくださいって言ってるんです」
櫻井も負けてなかった。おどおどしながらもしっかり自分の意見を言ってる。
(俺、どうしよう…)
どう出るのが一番ベストなのか、判断を間違えたらさらにややこしいことになる。生半可に関わるとさらにこじれる。
「なんですって!あなた誰に口聞いてるかお分かり?澤登といえばね、あの代々続く代議士のご令嬢なのよ」
やっぱり澄川の方が誇らしそうに澤登を自慢してる。代議士ねえ…。どうりで何度も主張するわけだ。俺にはどれだけ権威があるのか知らないけど。
「そうよ。わたくしのパパにお願いすれば、あなたの家の会社なんてどうにでもなるわ」
「なんて卑怯なことを!そう言って神崎さまにも脅したの?」
「するわけないじゃないの。庶民は貧相な考えをお持ちね」
なんか醜い。相手を陥れるボキャブラリーを豊富に持ってるあたりは、呆れを通り越して尊敬する。
(じゃなくて…)
あんまり本人のいないところで、こういう話題にのぼるのは気持ちの良いものじゃない。
「神崎さまはそういうこと気にされません。…西龍院さまやわたしがいなくても、そんなあなたには振り向いてもらえません!」
「いい加減になさい!」
マズい。櫻井が完全にキレて三人も怒りが頂点にきたみたいだ。
ガチャンとかバタンとか聴こえてきて、俺は思いっきり音を立てるようにドアを引いた。ピタリと音が止む。
ゆっくりと棚に近づいてもたれかかり、俺はなるべく冷ややかな目をして言った。
「なにしてんの?」
全員一斉にこちらを見た。三人のその手にはモップやホウキが持たれている。そして床にはひとつの割れたビーカー。
その近くで櫻井が座り込んだ状態で目を瞠っていた。
「か、神崎さまっ」
澤登が真っ赤な顔してモップをその場に落とし、素早く出ていった。二人もやや遅れて同じような反応で逃げ出す。
カタせよ、モップ。
呆れながら櫻井に近づき手を差しのべる。
「大丈夫か?」
「はい。え?………あの……いつから?」
櫻井も徐々に赤面しながらヨロヨロと手を引かれ立ち上がった。大丈夫そうなのを確認したら、転がってる三本の掃除用具のなかからホウキだけ拾った。
「最初から」
ホウキでビーカーの破片を集めて、用具入れからちり取りを取った。
するとやっぱり櫻井はゆでダコのように真っ赤な顔をしていた。言い合いの内容を聞かれたのが恥ずかしいようだ。
「ちゃんと戦ってたからどうしようかと思ったけど、手が出てたから」
「ごめんなさい」
「なんでおまえが謝るんだよ?」
「……………」
櫻井は俯いてしまった。それからみっともない、と呟いた。
「見られたくなかったです。こんなはしたない姿…」
「どこが?言われて言い返すのは当たり前だと思うけど?」
「それは…神崎さまはそうでしょうけど」
「言うじゃねえか」
櫻井もただ大人しいだけではないようだ。少し安心する。自分のパーティーでの態度が悪かったから責任の三割ぐらいは感じていた。
櫻井はわたしがやりますと言って、俺からホウキとちり取りを取り上げた。
「今回が初めてじゃねえだろ?」
櫻井の手が止まる。その間にモップを二本拾い用具入れにぶち込んだ。
「……まだ、二回目です」
「まだってな…。これからもエスカレートするようなら俺から言おうか?」
「大丈夫です…あまり優しくしないでください。期待、してしまうじゃないですか」
期待?
俺は俺の責任部分を果たそうとしただけなのに。そんなのは優しさじゃないのに。
櫻井の言いたいことがわからなかった。
「そもそもあんなのただの逆恨みだろ?どこかで手を打たないと」
「いえ、ホントに大丈夫ですから。ありがとうございました」
大きなお辞儀をして櫻井は用具入れにホウキなどを直すとそそくさと出て行った。
俺はこのとき遠慮してるのか、ぐらいにしか思わなかった。




