18話:合理的な解決策
東の井戸に着くと、人だかりができていた。
「だから俺が先だったろうが!」
「嘘つけ! お前が来た時にはもう桶持って並んでたんだよ!」
二人の男が胸ぐらを掴み合っている。
一人は見覚えがある。古参の住民だ。もう一人は知らない顔——新参か。
周りには野次馬が二十人ほど。止めに入る者はいない。
腕を組んで眺めている古参と、遠巻きに固まっている新参。二つの集団の間に、見えない線が引かれていた。
「やめろ」
俺が声をかけると、二人がこちらを見た。
「殿下……」
古参の男が手を離す。新参の方も気まずそうに後ずさった。
だが、周囲の空気は変わらない。静かになっただけで、冷たい。
「何があった」
事情を聞くと、要は順番の取り合いだった。
夕方になると井戸の出が悪くなるから、朝のうちに汲もうと殺到する。誰が先だったかで揉める。
「……もういい。二人とも頭を冷やせ。今日のところは、全員一杯ずつ順番に汲め」
表面的には収まった。
だが、散っていく住民たちの背中を見て、嫌な感触が残る。あれは水の取り合いじゃない。新参と古参の間に溜まっていた不満が、井戸という場所で噴き出しただけだ。
根が深い。
***
領主館に戻り、俺は机に紙を広げた。
現在の人口、およそ二千。世帯数にして五百前後。
井戸は三本——東、西、中央。
「セバス、一世帯あたりの一日の水使用量は」
「飲料、調理、洗濯を含めまして、桶六杯程度かと」
六杯。世帯数が五百なら、一日の総需要は三千杯。
井戸三本で割ると、一本あたり千杯。朝から夕方までの汲み上げ時間を考えれば——
「計算上は足りるんだ。問題は配分だな」
足りているのに揉める。つまり、資源が足りないんじゃなく、配分の仕組みがないことが問題だ。
前世の工場でも同じことがあった。
原料は十分なのにラインが止まる。原因は在庫管理がなくて、部署間で取り合っていたからだ。解決策は——在庫の可視化と、引き出しルールの整備。
同じ構造なら、同じ手が使える。
「記録制を導入する」
俺はペンを走らせた。
「井戸ごとに記録係を一人置く。使用者は名前と杯数を申告して記録させる。一世帯あたりの上限は一日六杯。記録係はガルドの自警団から出してもらう」
セバスは黙って聞いていた。
「これで使用量が可視化できる。不正も防げるし、どの井戸が混んでいるか、どの時間帯に集中しているかも分かる。データが揃えば、次の手も打てる」
「……なるほど」
セバスが頷いた。だが、帳簿を閉じる手が一瞬止まったのを、俺は見逃さなかった。
「何かあるか」
「いえ。筋の通ったお考えかと」
それ以上は言わなかった。
俺も深くは追わなかった。論理的に穴はない。セバスも認めている。これでいい。
「明日、住民を集めて発表する」
***
翌朝、広場。
住民が集まっている。古参が前の方、新参が後ろの方。自然とそうなっていた。
俺は壇上に立ち、ルールを説明した。
記録制の導入。一世帯一日六杯の上限。井戸ごとに記録係を配置する。
「計算上、水は足りている。全世帯が六杯ずつ使っても、井戸の供給量は十分だ。問題は配分であって、量じゃない。このルールは全員に平等に適用される。古参も新参も、同じ六杯だ」
説明を終えると、沈黙が落ちた。
古参の年長者が隣の男と目を合わせ、渋い顔で頷いている。
新参の方は——表情が読めない。下を向いている者が多い。
「質問はあるか」
誰も手を挙げなかった。
「……では、明日から運用を開始する」
壇を降りる。住民たちが三々五々散っていく。
反対意見は出なかった。論理的に正しいルールを、全員に平等に適用する。これで公平だ。
——のに、何だ、この違和感は。
あの静けさ。反論が出ないのは、納得したからか。
それとも——。
いや、考えすぎだ。数字は嘘をつかない。運用してみて問題が出れば、その時に修正すればいい。
***
数日が経った。
「記録係からの報告では、大きな揉め事は起きておりません」
ガルドの報告に、俺は頷いた。
「そうか」
上手くいっている。はずだ。
朝の殺到は減り、順番待ちのいざこざも報告されていない。仕組みは機能している。
その日の夕方、リーネが帳簿を持ってきた。
「殿下、少しよろしいですか」
「なんだ」
リーネが帳簿を開いて、数字を指でなぞった。
「記録制を導入してからの、井戸ごとの一日あたりの総使用量です」
目を通す。
東、西、中央。三本の井戸の合計使用量が——減っている。導入前と比べて、二割ほど。
「……節約してるのか?」
「それなら良いんですけど」
リーネの声が平坦だった。いつもの淡々とした調子だが、どこか含みがある。
「特に東の井戸で顕著です。記録係が立ってから、新参の利用が目に見えて減っています」
「記録されるのが面倒で、回数を減らしてるのか」
「面倒、というか——」
リーネが少し間を置いた。
「記録係がいる場所に行くこと自体を、避けてるんだと思います」
「……どういう意味だ」
「名前を申告して、杯数を記録される。それを毎日繰り返す。新参の人たちにとっては——」
リーネはそこで言葉を切った。
だが、その先は言われなくても分かった。
毎日、名前を名乗らされる。
毎日、「お前はよそ者だ」と確認される。
そういう仕組みを、俺が作った。
古参にとっても同じだ。自分たちが掘った井戸を使うのに、わざわざ許可を求めさせられる。
同じルールが、立場によって全く違う意味を持つ。
そんな——そんな当たり前のことに、なぜ気づかなかった。
「殿下!」
扉が勢いよく開いた。
息を切らせたガルドが立っている。
「東の井戸で、今度は記録係に掴みかかった奴がいる。古参の連中が止めに入って、余計にこじれてる」
俺は椅子を蹴って立ち上がった。
記録制を導入して、揉め事はなくなった。
なくなったんじゃない。見えなくなっていただけだ。水の使用量が減ったのは、新参が井戸を避けていたからだ。限界まで我慢して、それでも耐えきれなくなった奴が爆発した。
俺が作った仕組みが、人を追い詰めていた。
仕組みの設計は正しかった。数字も合っていた。論理に穴はなかった。
ただ、その仕組みが人の目にどう映るかを——考えていなかった。
走りながら、頭の中でリーネの声が繰り返す。
使えなくなってるんだと思います。
やっぱり、何か間違えていた。
いや——「何か」じゃない。俺が間違えたんだ。
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