19話:周りを見ろ
東の井戸に着くと、人だかりは前回より膨れ上がっていた。
「ふざけんな! 毎回毎回名前呼ばれて、何杯だ何杯だって——俺は罪人か!」
新参の若い男が、記録係の自警団員の胸ぐらを掴んでいる。
記録係は抵抗せず、ただ困り果てた顔でこちらを見た。
「おい新参、手ェ離せよ」
古参の男が前に出た。背後に五、六人が固まっている。
「俺たちはルール守ってんだ。お前らだけ文句垂れてんじゃねえぞ」
「うるせえ! お前らは元からここにいるだろうが! 俺たちは——」
「やめろ」
俺が声を上げると、全員の視線が集まった。
新参の男が手を離す。だが、目の中の怒りは消えていない。
古参たちも腕を組んだまま、俺を見ている。従うが納得はしていない、という顔だ。
前回とは空気が違う。あの時は驚きがあった。今は——怒りが先に来ている。
「場所を変える。双方から話を聞く。ガルド、この場は頼む」
***
領主館で、まず古参の代表四人から話を聞いた。
「正直に言ってくれ。今のルールに不満はあるか」
最初は口が重かった。年長者が一つ咳払いをして、口を開く。
「……不満がないと言えば、嘘になります」
隣の男が続けた。
「あの井戸、俺たちが掘ったんですよ。殿下が来る前から、自分たちで穴掘って。なのに今さら記録だの上限だの——」
「殿下が決めたことだから従ってます」
年長者がそう言って、隣を手で制した。
「でも、新参の連中が文句ばかり言ってるのを見ると、腹が立つんです。俺たちは我慢してるのに、あいつらは何なんだって」
次に、新参の代表三人を呼んだ。
「同じことを聞く。不満はあるか」
しばらく沈黙が続いた後、一番若い男がぽつりと言った。
「……好きで来たわけじゃねえんです」
「前の村じゃ食えなくなって。アルカスに行けば暮らせるって聞いて、家族連れて来た。でも来てみりゃテント暮らしで、井戸に行きゃ名前呼ばれて——」
「記録のためだ。全員に——」
「分かってます」
男が顔を上げた。目が赤い。
「分かってるんです、平等だって。でも——名前を名乗るたびに、『お前はよそ者だ』って言われてる気がして」
別の新参が付け加えた。
「……監視されてるみたいで、水汲みに行くのが怖いんです」
***
執務室で一人、頭を抱えていた。
古参の怒りも、新参の恐怖も、どちらも筋が通っている。
だが、答えが出ない。
コンコン、と控えめなノックの音。
「リーネです。お茶をお持ちしました」
「……入れ」
扉が開き、リーネが盆を手に入ってきた。
机の上に湯気の立つカップを置く。
「……ありがとう」
リーネは盆を胸に抱えたまま、少し躊躇ってから口を開いた。
「あの。差し出がましいとは思いますが」
「なんだ」
「……井戸の件です」
俺は顔を上げた。
「住民の間では、新しい井戸を掘ろうという話があったんです。古参の中に、このあたりの水脈を知っている方がいるそうで」
初耳だった。
「なんで誰も俺に言わなかった」
「殿下がルールを決めたので。……皆、『殿下が言うなら、それが正しいんだろう』って」
言葉が詰まった。
俺が決めたから。俺の言葉で、住民たちは自分の考えを引っ込めた。
「俺は、間違えたのか」
「仕組みは間違っていなかったと思います」
「でも失敗した」
「はい」
容赦がない。だが、それがリーネだ。
「仕組みは正しかったと思います。数字も合ってました。でも——」
リーネが、わずかに目を伏せた。
「あの人たちは、仕組みじゃなくて——殿下の言葉が聞きたかったんじゃないですか」
「——俺の言葉?」
「殿下は最初、一人一人と話してました。炊き出しの時も、炉を建てる時も。現場に行って、名前を覚えて、顔を見て。だからあの人たちは殿下についていったんだと思います」
「でも人が増えて、仕組みで回すようになって——殿下が広場に立ってルールを読み上げた時、あの人たちの顔、見てましたか」
見ていなかった。
「……お前は見てたのか」
「帳簿つけながら、横目で」
その一言が、静かに刺さった。
「……井戸を掘る」
気づいたら口が動いていた。
「新しい井戸を掘る。水脈を知ってる古参に、俺が直接会いに行く」
紅茶には——手をつけていなかった。
「リーネ、ありがとう」
「え——」
「お前のおかげで目が覚めた。ガルドを捕まえてくる」
俺は執務室を飛び出した。
***
トーマスという老人は、街外れの小さな家に住んでいた。
「……領主様が直々とは、何の用だ」
白髪に深い皺。背は曲がっているが、目だけは鋭い。
隣のガルドが耳打ちしてきた。
「言ったでしょう、気難しいって」
「聞いてる」
「井戸を掘りたい。水脈の場所を教えてほしい」
トーマスは鼻を鳴らした。
「知っとるよ。この辺の地下なら、目ェ瞑っても分かる。四十年掘ってきたからな」
「なら——」
「だが、教える義理はねえな」
老人が腕を組んだ。
「あんた、記録とやらを始めたんだろう。あれで街の空気がおかしくなった。俺のところにも『一緒に掘らないか』って話が来てたが、あんたがルール決めたから皆引っ込めたんだ」
二度目だった。リーネと同じ言葉。
「……俺が間違っていた」
「あん?」
「現場を知らないくせに、一人で仕組みを作って押し付けた。それは認める」
頭を下げた。
しばらく沈黙が流れた。顔を上げると、老人の目が変わっていた。
「……ふん。頭を下げられる領主か。悪くはない」
「協力してくれるか」
「場所は教えてやる。掘るのはあんたらだ。俺は指示だけ出す。この腰じゃシャベルは振れん」
「十分だ」
「で、誰に掘らせるつもりだ」
トーマスの目が試すように光った。
「古参と新参、両方だ」
即答した。
「混成で班を組む。同じ穴を一緒に掘らせる」
トーマスが目を細めた。
「……ほう。分かってるじゃないか」
老人は窓の外を見た。
「俺がこの街に来た頃も、似たようなことがあったよ。よそ者扱いされて、何年も肩身が狭かった。一緒に井戸を掘って、やっと認めてもらえた」
こちらに向き直る。
「北東の丘の麓だ。三丈も掘りゃ、いい水脈に当たる。——ただし、あんたも掘れよ。領主が泥まみれになってるのを見れば、文句言う奴も少しは黙る」
「そのつもりだ」
***
翌日から、井戸掘りが始まった。
トーマスが杭を打った場所——北東の丘の麓。古参と新参の混成班、二十人ほど。
最初は互いに距離を取っていた。
俺はシャベルを手に取った。
「始めるぞ。文句は穴が掘り終わってから聞く」
最初の一突き。土が硬い。すぐに腕が痛くなる。
だが、領主が汗をかいている姿は——効いた。
古参の年長者が黙ってシャベルを取り、俺の隣に立った。新参の若い男が、その反対側に並んだ。
「おい、そっち持て!」
「了解!」
「土、運ぶぞ! 手ェ空いてる奴!」
「俺が行く!」
作業が始まると、余計なことを考える暇がなくなる。古参も新参も関係ない。ただ、目の前の穴を深くするために動く。
二日目。穴が俺の背丈を超えた。
穴の中は狭い。自然と肩がぶつかる。
「悪い」
「いや、こっちこそ」
新参の男が古参の男に謝り、古参が首を振る。
昨日までなら起きなかったやり取りだ。
三日目の昼過ぎ。
穴の底で作業していた男が、突然叫んだ。
「——水だ!」
シャベルの先から、透明な水が染み出している。
「出た——出たぞ!」
歓声が上がった。
穴の中の二人が泥水を浴びながら笑い、上から手が伸びて引き上げる。古参の腕が新参を引っ張り上げ、新参が古参の背中を叩いた。
泥だらけの顔で、全員が笑っていた。
トーマスが俺の隣で腕を組んでいる。
「言った通りだろう」
「ああ。……ありがとう」
「礼はいらんと言った」
老人はそう言いながら、口元が緩んでいた。
***
その夜。執務室で報告書をまとめていた。
井戸の運用ルールは——今度は住民と相談して決める。
コンコン、とノックの音。
「お茶をお持ちしました」
リーネが盆を手に入ってきた。
カップが机に置かれる。俺はペンを置いて、手に取った。
「この前は悪かった」
「……何がですか」
「お茶、飲まずに出てっただろ。せっかく淹れてくれたのに」
リーネの手が、盆の上で止まった。
「……覚えてたんですか」
「当たり前だ。あの時のお前の言葉で、俺は動けた」
一口飲んだ。疲れた頭に染みる。
「美味いな」
「……そうですか」
リーネの声はいつも通り素っ気ない。だが、耳の先がわずかに赤い。
「今度からは、ちゃんと飲んでから出てってください。淹れた意味がないので」
「善処する」
「善処じゃなくて、絶対です」
「……はい」
なぜか俺が折れる流れになっている。
だが、悪い気はしなかった。
リーネが出ていく。
その足音が消えるのを聞きながら、もう一口、紅茶を啜った。
窓の外に、新しい井戸の周りで焚き火を囲む人影が見える。
誰かの笑い声が、かすかに聞こえた。
前世でも同じだった。
一番信頼してくれた後輩は、データを見せた時じゃなく、一緒に夜通し実験に付き合った時に「先輩についていきます」と言った。
後輩の——高橋の声が、よぎった。
——大丈夫ですから。先輩、心配しないでください。
あいつも——仕組みじゃなく、言葉が欲しかったんじゃないのか。
カップを握る指に、少しだけ力が入った。
「殿下」
セバスの声だった。いつもの穏やかな調子に、わずかな硬さが混じっている。
「入れ」
セバスが扉を開け、一礼した。手には薄い封筒。
「以前お伝えした件……調査の結果が出ました」
「新参の流入についてか」
「はい。周辺の村で、噂を意図的に広めていた者がおります。出所を辿ったところ——リアン殿下派の商人が関わっている形跡がございます」
紅茶のカップを持つ手が、止まった。
リアン——第二王子。
「……兄上か」
窓の外の焚き火が、揺れていた。
お読みいただきありがとうございます!
もし「面白そう!」「続きが気になる!」と思っていただけたら、
広告の下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、執筆(投稿)の励みになります!
ブックマークもぜひポチッとお願いします。




