17話:成長痛
帰還の翌朝。
門の前に、旅装束のエレオノーラが立っていた。
濃紺のマントの下に軽装の鎧、腰には細剣。赤みがかった髪を朝風が攫い、切れ長の瞳がこちらを真っ直ぐに見ている。
背には旅荷を背負い、足元はもう長靴に履き替えていた。
「王都への報告がございますので。此度の遠征、お供させていただき光栄でした」
騎士の礼を取る。動作に無駄がない。背筋が伸びて、甲冑越しでも所作の一つ一つが綺麗だった。
朝日を受けた横顔に、窪地で見た厳しさはない。穏やかで、少しだけ名残惜しそうな——いや、それは俺の願望か。
「……こちらこそ、世話になった」
世話になった、じゃない。もっとちゃんと言うべきことがある。
あの窪地で、俺が自分を見失いかけた時、彼女が歯止めになってくれた。
『慣れてしまわないでください』——あの言葉は、今も胸の底に残っている。
感謝を伝えたい。
あるいは、また来てくれ、と。
「その……」
彼女の真っ直ぐな目を見ていると、頭が回らなくなる。
いつもなら理路整然と話せるのに、言葉の段取りがまるで組めない。
「……報告書、期待している」
何を言ってるんだ俺は。
我ながら、あまりに味気ない台詞だった。伝えたいことは山ほどあるのに、出てきたのが業務連絡。お前は上司か。
エレオノーラが瞬いた。
「……報告書、ですか」
「ああ、いや……道中、気をつけて」
取り繕おうとして、もっとひどくなった。
エレオノーラは少し間を置いて、こちらを見た。
切れ長の目が、わずかに細まる。
「窪地では冷徹な采配をなさるのに、こういう時は随分と——」
そこで言葉を切り、小さく首を振った。
「いえ。報告書、しかとお届けいたします」
口元が、かすかに緩んでいた。
「では、ご自愛を。殿下」
踵を返し、門の外へ歩き出す。
濃紺のマントが朝の光を弾いて揺れる。その背中が十歩ほど離れたところで、一瞬だけ足が止まった。
振り返りかけて——やめたように見えた。
そのまま歩き去っていく。
……何だ、今の。
「殿下」
隣に控えていたセバスの声で我に返った。
振り返ると、老執事が何とも言えない顔をしている。慈愛と憐憫を煮詰めて生暖かくしたような目。
「何だ」
「何でもございません」
嘘をつけ。顔に全部書いてある。
「恐れながら、殿下の女性へのご対応について少々——」
「言うな」
俺はため息をついた。
科学の段取りは組める。作戦の段取りも組める。なぜこういう時だけ、何も出てこない。
***
季節が一つか二つ過ぎた。
俺はセバスを伴い、街の視察に出ていた。
道沿いにコークス炉の煙突が三本並び、青白い煙を吐き出している。稼働当初は一基がやっとだったのが、今では三基。ゲイルが若い衆を引っ張り回した成果だ。
「コークスの月産量は順調でございます。ゼクス様への納品分を差し引いても、備蓄には余裕が」
セバスが帳簿をめくりながら報告する。
「ジャガイモも先の収穫で三ヶ月分を超えました。肥料の効果は想定以上かと」
上々だ。
芋畑の脇を通ると、見慣れない顔の農夫が畝を整えていた。こちらに気づいて、慌てて頭を下げる。
「新参か」
「はい。ベルンや周辺の村から、日に日に流入が増えております。現在の人口は二千を超えたかと」
二千。帰還した頃は数百だった。
広場には露店が並び、子供が走り回っている。鍛冶の槌音と、どこかから漂う焼き芋の匂い。
活気がある。人が増えて、街になりつつある。
悪くない。俺は口元を緩めた。
だが、視察を続けていると、街外れで足が止まった。
城壁の内側、空き地だったはずの場所に粗末なテントが並んでいる。
数えると五十張りはある。洗濯物が紐に干され、焚き火の煙が低く漂っていた。
「……セバス」
「新参の民でございます。住居の建設が追いつかず、一時的にテント暮らしを」
テントの間を歩く。
焚き火を囲んでいた家族がこちらに気づいて立ち上がり、ぎこちなく頭を下げた。子供を抱いた若い母親。痩せた老人。小さな男の子が母親の脚にしがみついて、こちらを怯えた目で見ている。
彼らは「アルカスに行けば暮らせる」と聞いて来たはずだ。
辿り着いた先がテント暮らしでは、来たことを後悔する者も出る。
コークスも芋も順調。だが、それを支えるインフラが追いついていない。
前世でも見た光景だ。工場の生産量は伸びるのに、物流と倉庫が足りなくてラインが止まる。あれと同じ構造。
「木材の調達と大工の手配を急いでおりますが、流入の速度が想定を上回っておりまして」
「それと——」
セバスが声を落とした。
「ここ数ヶ月、流入が不自然に多いのです。通常の口伝だけでは説明がつかない規模かと」
「……誰かが意図的に送り込んでいる、と」
「まだ確証はございません。ですが——」
「調べてくれ。流入経路と、出身地の偏りを。特にベルン以外から来た者の動線を洗え」
「承知いたしました」
不自然な流入。発展すれば人が集まるのは当然だが、セバスが「不自然」と言うなら、何かある。
今は推測で動くべきじゃない。データが先だ。
「住居の方は、仮設でいい。まず全員を屋根の下に入れろ。建材が足りなければ木組みと土壁で構わない」
「はい」
***
テント村を出て、さらに東へ歩く。
井戸の前に、数人の住民が列を作っていた。
桶を手にした中年の男がこちらに気づき、迷った末に口を開いた。
「殿下……東の井戸、最近水の出が悪くなってきてるんですが」
「いつ頃からだ」
「半月ほど前からですかね。朝一番に汲みに来ても、前ほど出ねえんです。人が増えたせいですかね……」
人口が数倍になれば、水の消費も数倍になる。地下水の供給が追いつかなくなるのは当然だ。
新しい井戸を掘るか、別の水源を確保するか。どちらにしても、後回しにできない。
「分かった。すぐに——」
「殿下!」
息を切らせたガルドが、東の通りから駆けてきた。
普段は動じないこの男の顔が、明らかに険しい。
「どうした」
「東の井戸で揉め事だ! 新参の連中と前からいる住民が取っ組み合いを始めやがった!」
水の取り合いか。
セバスと目が合った。懸念していたことが、もう始まっている。
「行くぞ」
俺は東へ走り出した。
順調だと思っていた朝が、半日と持たなかった。
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