16話:幕間 鉄血の男と紅蓮の騎士
【ゼクス・フォン・エンヴァルト】
戦いが終わり、砦に静寂が戻った夜。
俺は司令塔のバルコニーで、一人葉巻を燻らせていた。
肩の矢傷が疼く。だが、生きている。部下たちも生きている。
それだけで十分だ。
眼下では、兵士たちが焚き火を囲んで眠りについている。
疲労と安堵が入り混じった顔。明日には家族の元へ帰れる者もいるだろう。
「……あの小僧、いや、アレン殿下か」
俺は煙を吐き出しながら、今日の出来事を振り返った。
***
最初に会ったのは、一年ほど前だったか。
王都からの紹介状を持った、十六歳の若造。
正直、期待などしていなかった。
第三王子。継承権は最下位。与えられた領地は北の荒野。
どう見ても「捨て駒」だ。そんな奴が、俺に何の用だと思った。
だが、あの時の会話を覚えている。
『これを見てくれ』
挨拶もそこそこに、小僧はテーブルに短剣を一本置いた。
試しに手に取り、折れかけの剣に叩きつけてみた。火花が散り、短剣は無傷。ただの鉄だと言う。信じられなかった。
だが、試作品一本で同盟を結ぶほど俺は安くない。そう突き返した。
量産できるのか、いつ届く——矢継ぎ早に問い詰めると、小僧は黙った。
嘘を言わなかった。体制は整っていない、と正直に認めた。
普通ならそこで終わる。だが、あいつは追い返される間際に聞いてきた。
『今、この砦で最も必要なものは何だ』
寒さで折れない剣と、兵を凍えさせない燃料。そう答えると、十六歳の小僧は真っ直ぐこちらを見て言った。
『冬までに、両方の答えを持ってくる』
鼻で笑った。あと数ヶ月しかないぞ、と。
あいつは「だから間に合わせる」とだけ言って、一礼して帰っていった。
——そして、本当に来た。
冬の手前。荷馬車を引き連れて。
短剣千本。コークス燃料の樽。どれも品質に狂いがなかった。
あいつの短剣を持った部隊が、小競り合いで一本も剣を折らなかった。この砦の歴史で初めてのことだ。
俺はその場で誓約書に署名した。
取引としても申し分なかったが、それ以上に——あの小僧に興味が湧いた。
***
そして今日。
魔物の大群に囲まれ、俺たちは死を覚悟していた。
いくら良い武器があっても、数の暴力には抗えない。
あと半日持てば御の字。そう思っていた。
そこに、あいつが現れた。
満身創痍の俺の前に立って、指揮権をくれと言った。
普通なら断る。戦場で見ず知らずの若造に指揮権を渡すなど、狂気の沙汰だ。
だが、あいつの目を見て、即座に決めた。
なぜそう言えたのか、自分でも分からん。
ただ、あの目を見た瞬間、「こいつなら何とかする」と思えた。
そして——あいつは本当に、何とかしやがった。
***
あのガスを見た時、正直、背筋が凍った。
魔物どもが、声も上げずにバタバタと倒れていく。
血も流れない。悲鳴も上がらない。
ただ、命が消えていく。
あれは戦じゃない。処理だ。
俺は長年戦場に立ってきたが、あんな光景は見たことがない。
恐ろしいと思った。
あんなものを持っている奴が、いずれ王になるかもしれない。
それは、この国にとって幸なのか、災いなのか。
だが——
俺は、あいつの顔を見た。
作戦が成功した後、勝利の歓声が響く中、あいつは一人、窪地を見下ろしていた。
その顔には、勝利の高揚などなかった。
ただ静かに、自分がやったことを見つめていた。
あいつは分かっている。
自分が何をしたのか。その重さを。
だから俺は、あいつの手を握った。
あれは本心だ。
方法が外道だろうと何だろうと、あいつは俺の部下を守ってくれた。
それだけで、俺には十分だ。
「……面白い奴が出てきやがった」
俺は葉巻の火を消し、夜空を見上げた。
王位継承戦。本命はヴァリウスとリアンだと言われている。
だが、俺はもう一人、注目すべき男を知っている。
アレン・フォン・シンラ。
あの小僧が王座に座る日が来るのか、それとも途中で潰されるのか。
どちらにせよ、見届ける価値はありそうだ。
「……せいぜい生き残れよ、小僧」
北の夜空に、星が瞬いていた。
***
【エレオノーラ・フォン・グランツ】
アルカスへ向かう帰路の馬車の中。
私は窓の外を流れる景色を眺めながら、考え込んでいた。
隣の馬車には、アレン殿下が乗っている。
あの方は今、何を考えているのだろう。
***
査察官としてアルカスに派遣された時、正直、期待はしていなかった。
辺境の泡沫候補。急な発展の裏に違法な魔術があるかもしれない。
そういう案件を淡々と片付けるつもりだった。
初対面で、顔は整っていると思った。だが、覇気がなかった。
ゼクス卿を唸らせた人物と聞いていたから、拍子抜けした。
『顔だけは良いようですが、どこか頼りない印象を受けます』
率直にそう言った。私はいつもそうだ。思ったことを口にする。
だが、次の瞬間、認識が揺らいだ。
技術の全面開示を求めた私に、殿下は真正面から反論した。
『王位継承戦の最中に、独自技術を他陣営に漏洩しかねない形で報告されれば、それは継承戦からの排除と同義です』
穏やかな顔のまま、理路整然と。
感情的になるでもなく、媚びるでもなく、ただ論理で私の要求を封じた。
悔しいと思った。同時に——見直した。
***
翌日の査察で、認識はさらに覆った。
石炭の採掘現場。水晶をかざしても何の反応もない。
コークス炉の青白い炎。魔力なし。
肥料の貯蔵庫——あの臭いだけは、二度と思い出したくない。
魔法も、悪魔の契約も使わず、純粋な知恵と技術だけで、あの荒野をここまで発展させていた。
ジャガイモ畑で、ポテトガレットを勧められた。
『査察中に食事など——』
断ろうとしたのに、三切れ食べた。
殿下は得意げな顔で『お気に召したようで』と言った。
私は『査察とは関係なく、個人的な感想です』と返した。
——なぜ、言い訳などしたのだろう。
あの畑で、銀髪の事務官がお茶を持ってきた。リーネという女。
仕事上の関係ですと言いながら、私を見る目が一瞬鋭かった。
あの時は気にも留めなかった。だが今思えば、あれは——。
いや、私には関係のないことだ。
***
作戦会議で、殿下は毒ガスの存在を告げた。
『呼吸する生物なら、何でも殺す』
あの言葉を聞いた時、私は恐怖を感じた。
目に見えない気体で一方的に命を奪う。騎士道の全てに反する。
だが、通常戦術を一つずつ潰していく過程を、私も一緒に辿った。
夜襲は効かない。陣形は組めない。地形も使えない。火でも足りない。
全てが塞がった先に、それしか残らなかった。
『やらなければ、ゼクスの兵が死ぬ。砦が抜かれたら、次はアルカスだ』
あの方の声は冷たかった。だが、投げやりではなかった。
分かった上で、その道を選んでいた。
私は同行を申し出た。監視のためだと言った。歯止めになると誓った。
殿下は怒るどころか、「ありがたい」と言った。
——あの反応は、予想していなかった。
***
そして、窪地。
あの光景は、忘れられない。
千の魔物が、声もなく崩れ落ちていく。
血も流れず、悲鳴も上がらず、ただ命が消えていく。
私は吐き気を堪えた。
だが、目は逸らさなかった。殿下がやったことを、見届けると決めていたから。
作戦が成功した後、砦に歓声が響いた。
殿下はその中にいなかった。
壁の縁を握りしめたまま、窪地を見下ろしていた。
あの手が白くなっていたのを、私は見ていた。
あの方は分かっている。
自分が何をしたのか。その重さを。
勝利に酔うことなく、自分が描いた地獄を見つめていた。
だから私は、あの言葉を口にした。
『慣れてしまわないでください。痛みだけは、持ち続けてください』
殿下は黙って頷いた。
あの頷きに、嘘はなかったと思う。
***
私は騎士だ。
正義を重んじ、法を守り、弱き者を守る。それが騎士の誇りだ。
だが、今回の戦いで、思い知らされた。
正義だけでは、守れないものがある。
あの砦にいた五百人の兵士たち。
彼らが今、生きて家族の元へ帰れるのは、殿下の汚れ仕事のおかげだ。
私の正義では、彼らを救えなかった。
全てを分かった上で、汚名を引き受ける。
手を汚すことを恐れず、守るべきものを守る。
騎士道とは違う道。
だが、それもまた一つの王道なのかもしれない。
『貴殿の盾であり、歯止めであり続けます』
私はそう誓った。あの言葉に嘘はない。
『この力を人に向けた時には、騎士として剣を向けます』
その覚悟も変わらない。
だが、同時に思う。
あの方は、きっとその一線を越えない。
根拠はない。ただの直感だ。
窪地を見下ろしていた殿下の、白くなった手を思い出すと——そう信じられる。
「私は殿下の盾。そして歯止め。……それだけだ」
小さく呟いた言葉は、馬車の音にかき消された。
アルカスの門が、近づいてくる。
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