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何処までも、何処までも、僕は列車進行方向の逆、後ろ側へ突き進んで行く。今度は走らず、休まず、ひたすら同じペースをキープ。
その間、尚も「女」以外は同じループが反復され、僕の忍耐力を試し続ける。
だが、指折り数えて42台目の車両を通過した時、遂に女以外の「変化」が、随所に現れ始めた。
最初に気づいたのは薄暗さだ。少しずつ車内の明度が落ち、全体の色合いが減衰して鮮やかさを失っていく。
間も無くLEDが、切れる寸前の蛍光灯みたいに点滅を始めた。朧げになる視界。それは「確かにそこにある」と言う列車の存在感、現実感の喪失に他ならない。
何だか乗客の影が薄くなり、輪郭まで曖昧になっていく。
そして一番の違いは、天吊りされた雑誌広告の中身だ。
通学途中に拉致され、犯人の自宅で監禁された挙句、刺殺された女子高生の惨たらしい事件を伝える見出し。そこから徐々に文字が抜け落ち、真っ赤なフォントの一行だけになっていく。
最初は、
「進むな、これ以上」
次が、
「引き返せ」
その次が、
「進めば、必ず後悔する」
まるで車両の異変を知る何者かが、何処かから僕を監視し、警告しているような内容じゃないか。
でも、何故? 何で、今更?
進行と逆方向、車両端まで真っすぐ進み、酔っ払いの足を跨ぐ。重いドアをこじ開け、その奥へ……
長い、長いループの果て、目指すゴールが間近なのを、ようやく僕は感じ始めた。
退色する座席シートは今や灰色。吊り広告の文字フォントにせよ、最早、判読不能な記号の羅列に過ぎない。
乗客は輪郭しか残っておらず、漫画の下書きみたいだ。
女達の姿にせよ淡い影法師が揺らいでいるだけ。それでも尚、僕を捉えて離さない両目の位置のみ意識し、更に進む通路の先、車両の連結部とは思えない古風な門戸がある。
錆びの上から濃い赤の色調でくまなく塗り潰された、その取っ手へ手を掛けるのが怖かった。
耳障りな軋みを響かせ、開いた隙間から奥の闇へ踏み込むと……
その先に、もう「車両」は無い。夕焼け空の目を焼く赤が、片田舎の寂れた路地を何処までも照らしている。
あまりに唐突な景色の変貌に圧倒され、僕はアングリ口を開けたまま茫然としたけれど、それも束の間。
気を取り直して、歩を進めていく。すると、細くなっていく路地の奥、鬱蒼とした木立の間に古い木造二階建てが見えてきた。
今更、見間違えようも無い。目指してきた目的地=我が家の玄関がそこにある。
でも夢の中の光景とは大分違う様だ。伸び放題の雑草が敷石を覆い、玄関扉の表面塗装が剥がれ落ちている。毎朝、僕より早く起き、母が世話をしていた家庭菜園など、とうに枯れ果てていた。
不動産屋に見せたなら、きっと一目で「事故物件」と決めつけ、安く値踏みする事だろう。
そう言えば僕が相続した頃の家は、こんな荒れ具合だった気がする。
軋む門戸を開き、玄関に入って、土足のまま廊下へ上がった。
ベージュの壁紙は褪せ、床板に何か引きずった土の跡が残っている。平凡な僕の、平凡な幸せの舞台にはあり得ない汚れっぷりだ。
もしかして、これも幻想? 景色は違えど、まだループの内側に僕は閉じ込められているのか?
背筋の寒気を振払い、僕はダイニングキッチンの扉を開く。
中は廊下以上に散らかっていた。
テレビ台の前、低い座卓に一世代前のゲーム機、食べかけスナック、コンビニ弁当の空容器が積まれ、床にも散乱している。
足の踏み場さえ有りゃしない。ため息交じりに歩を進めると、惰眠を貪るいびきが聞こえてきた。
停まらない車両の中で繰り返し聞いた、あの鬱陶しいいびき。発生源は二人掛けソファで体を丸め、熟睡している若い男だ。
ボサボサの髪に無精髭、ずっと着替えていない感じのトレーナーが、酸っぱい臭いを撒き散らす。
うつ伏せでクッションへ顔を押し付けており、表情は見えないが、何処か見覚えが…… いやいや、他人の空似だろ?
列車同様、ここを出るにもヒントが必要なのかな?
妻がサラダトーストを作った料理台を撫で、募る思いを噛み締めた時、隅の死角でうずくまる人影に気づく。
近寄って顔を覗くと、まだ若い女だ。高校の制服らしい白のブラウスが破れ、栗色の髪の下、顔は無残に腫れている。
余りの酷さに息を呑みつつ、僕は列車の吊り広告を思い出していた。高校一年の少女が拉致され、郊外の家へ連れ込まれた末、殺された事件の記事。
あれって確か二年前の出来事だ。犯人はまだ逃走中で、指名手配されている筈……
「おい、君、僕の声が聞こえるか?」
少女は微かな反応を示し、僕は安堵した。かなり弱っているが、この子の意識はまだ正常に保たれている。
「助けて……」
絞め跡が残る喉から、か細い声が絞り出された。
「早く、ここを出た方が良い。さぁ、僕の腕につかまって」
彼女を助け、僕も助かる。
妻に褒めてもらえるかも、なんて甘い考えを抱いたのも束の間、
「オイ……何だ、お前ぇ!?」
野太い声が背後から聞こえ、間髪入れずに殴り倒された。ソファで寝ていた男が目を覚まし、『僕』と言う侵入者に気付いたのだ。
まさか二年前の拉致犯が、逃走中も犯行を繰り返していたのか? それもよりによって、この家へ逃げ込んでいたなんて……
愛する妻は無事だろうか?
安全な場所へ避難し、僕を待っていてくれるのか?
読んで頂き、ありがとうございます。




