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停めてくれ!  作者: ちみあくた


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5/5



 惰眠から覚めたばかりの寝ぼけ眼で僕を睨み、苛立ちを剥き出しにする男の顔には、何処か見覚えが……


 いや、こりゃ他人の空似なんてレベルじゃない。


 月並みなサラリーマンと、引きこもりの拉致犯。身なりとキャラは全然違うのに、よく見るとそいつは、


「君……何で僕と同じ顔をしてる!?」


「うるせぇ!」


 容赦なく僕をゲーム機の角で二度ぶん殴り、拉致犯は、少女の方へ向き直った。


「オイ、可愛い顔して良くやンなぁ。こんなリーマン、引っ張り込みやがって」


 首を横に振る少女の声は、掠れて殆ど聞こえなかった。


「俺さぁ、長い間、通学するお前を見てた。始めは部屋の窓から、次は駅まで後をつけ、電車の中でもはす向かいの席から、ずっと……拉致って家へ連れてきたのは、この汚れた世界から、お前を守ってやりたいから、だ」


 僕は何とか頭を起こす。でも、まだ体が痺れて動けない。


「死んだ父さんや母さんの代わり、お前は俺と結婚して家族になる。そしたら俺、ちゃんと就職して、平凡な会社員になる。で、この家で二人きり、お前は俺の帰りを待ち、平凡な幸せって奴を噛み締める……」


 ソイツは調理台の方、僕の妻が朝ご飯を作った、あの包丁へ手を伸ばした。


「予定は全部出来上がってたのに」


 サラダトーストの野菜を刻む刃が、大きく振り上げられ、


「何で逃げようとすンだ、お前!? 俺の夢、台無しにしやがって!」


「やめろっ」と大声を上げても『僕』の叫びは『俺』へ届かない。


 垂直に落ちた刃は少女の胸を貫いた。夕陽の赤よりもっと鮮やかな紅の奔流が視界を染め上げる。


 手遅れと知りながら、『僕』はもう一度、体の力を振り絞り……






 止めようと伸ばした手が届く瞬間、憎むべき拉致犯=『俺』の体は消え去った。


 代わりに、何時の間にか平凡なサラリーマン=『僕』が、上乗りで彼女を押さえつけている。


 一体、何がどうなった!?


 周りを見回しても『俺』の姿は無い。魔法の様に、何時の間にか『僕』の体と入れ替わっている。


 震える右手が包丁を取り落とし、指先を赤い雫が伝った。

 

 彼女の胸から溢れる血潮が床を濡らす。キッチンからリビングまで広がり、深みを増した泥濘が周囲を呑み込んでいく。

 

 そして、瀕死の苦悶に歪む少女の瞳が、真下から『僕』を見つめた。


「違う、そんな目で見るな! お前を拉致したのは僕じゃない」


 あの黒い穴のような目……列車の中にいた女の、僕を見る眼差しが何を意味していたのか、やっとわかったよ。


 あれは死人の目だ。


 今、間近で死にゆく女子高生のように、ゆっくり瞳孔が開き、焦点を失っていく瞳の行き着く先。


 そこに感情なんて、窺える筈も無い。


 ホントは一体、どんな女性だったのか? この先、どんな未来、生き方を夢見ていたのか?


 何も知らない。見えてない。


 ホントの彼女を知る気もない。だって、愛する「妻」の設定に、そんなの全部要らないから……


 我が家が血に染まり、事件当時の惨状を取り戻すに連れ、僕の姿も又、変わり続けている。


 「普通」の象徴だったビジネススーツは汚れたトレーナーに替わり、顔は無精髭に覆われて、忘れようとした「拉致犯」の記憶が否応なく蘇り始める。






 家族を作る妄想を、一人きりの部屋で暖めた日々。


 その筋書き通り、憧れの少女を下校時に襲い、車へ連れ込んだ時の昂ぶり。


 傷つけるつもりは無いと言ったのに、反抗され、罵倒され、手を下した時の絶望。


 そして二年の逃走に疲れ果て、駅のベンチで惰眠へ落ちていく憔悴。






 俯き、頭を抱える僕の下から声がする。


「見て……私を……」


 血溜りの中で息絶えた筈の女が呟く。


「目を逸らすのは、許さない……」


 その暗い、空洞のような眼がまん丸く見開かれ、


「あなたが、私を、殺したの」


 言い放つ女の顔は、もう腫れておらず、少女のままでも無かった。美しい栗色の髪を血に浸し、夢の中の『愛妻』が真っ黒い死人の瞳で僕を凝視する。






 ヒィイイッ!


 だらしない悲鳴を上げ、僕はダイニングキッチンから逃げ出した。


 廊下へ出ると……


 あぁ、皆さん、お揃いだ。列車にいた小学生や老婆、主婦、OL等が壁を背に立ち、黒い眼差しで僕を見る。


 ほぼ年齢順に並んでいた為、それぞれの差異を比較できた。お陰で、彼女達の全てが「同一人物」のバリエーションらしい事も推察できる。


 あれはきっと、十代で拉致され、殺された少女の可能性そのもの。ここで命を失う事無く、穏やかに時を重ねていけば、なり得た姿の数々だ。


 小学生の姿は彼女の過去。中年のオバちゃんは二十年後の彼女で、老婆はずっと先の未来。


 無限のバリエーションがあり得る、その成長の可能性を僕が根こそぎ断ち切った。長い逃亡の果て、現実から目を逸らし、忘却と妄想へ逃げ込もうとした。


 僕にとって都合がいい可能性の未来。成人した彼女が、平凡な妻となる夢のユートピアへ、と。






 だとすれば、多分、車両内の吊り広告を変化させ、「行くな」と警告したのは僕自身だろう。


 あの悪夢の中にある唯一のリアル=幻の列車から惨劇の現場へ導く呪詛を恐れる余り、潜在意識が「思い出す」のを拒否し、イメージへ働きかけたのだと思う。


 確かに進むべきじゃなかった。今は無限のループより、『妻』の死体が横たわる我が家の方が恐ろしい。


「乗せてくれ……僕を……」


 指先の血糊で玄関のドアノブが滑り、うまく握れない。


 ひたっ、ひたっ。


 焦りに焦る内、後ろから複数の気配が近づいてくる。背中に突き刺さる眼差し。柔らかい女の足音、首筋を撫でる息遣い。


「頼む、あの列車へもう一度!」


 喚きながら扉へ力を込め、開いた隙間から奥の闇へ踏み込むと……






 血塗られた玄関を抜けた先、そこはJRと私鉄のラインが交わる真夜中のターミナル駅だ。


 どうやら、プラットホームのベンチで眠り込んでいたらしい。


 膝を抱えたまま、僕は惰眠から目を覚ます。辺りを見回した途端、ホームへ近づく電車の光が見えた。


 でも、生憎乗れそうに無い。誰か通報したのだろう。鉄道警察官らしい奴を連れ、走って来る駅員が見える。






 良いさ、もう終わりにしよう。


 どうせ『それ』は追って来る。どうせ『それ』は許さない。何時までも、何処までも、終わらないループの中で。






 迫る駅員の手前、人影がボウッと浮かんだ。一人や二人じゃない。僕が通過した、あの車両と同じ数の女達が立ち並び、プラットホームを埋め尽くす。


 オバちゃん、老婆、少女、そして血塗れでも美しい僕の妻……一人の女性がなり得た可能性、その全てが黒い瞳で僕を見ている。呪ってる。


 ひたっ、ひたっ。


 左右から挟まれ、逃げ道はもう一つだけ。電車がホームの車線へ滑り込む寸前、僕はベンチから立ち上がり、小走りして、勢い良く前へ跳ぶ。


 グシャッ!


 車輪で脳髄が轢き潰される一秒にも満たない刹那、全身へ突き刺さる夥しい数の視線を感じ、そして、






 体を揺らす単調な振動、微かな機関音、程よい周囲の人いきれ……心地良いうたた寝から目を覚ますと、僕はいつもの電車の中にいた。


読んで頂き、ありがとうございます。


予定より少し遅れがちになりましたが、何とか書き終える事ができました。

次は以前に書いたプロレスネタの続きを投稿する予定です。

ホラー系も続けていきますので、良かったら、又、ご覧下さい。

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― 新着の感想 ―
途中からどうなることかと、ドキドキしました。え!そういうこと!と思った後の... スリリングでした!
不思議な無限ループ。 このまま幻想の世界から外へ出られないのか。 いったいどういう仕掛けがあるのか。 そんなことを思いながら読み進めました。 そういうことだったのかと納得したところで、ラストにどんでん…
狂っているのは主人公なのか、周囲なのか。 恐ろしさと絶望が一気に降りかかるようでゾクゾクしました。
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