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ボタンとの出会い

 電気コードの微かな熱に抱かれ、クリンは泥のような深い眠りの中にいた。

 夢を見ていたのかもしれない。

 あの上で、真っ白な書類をしっかりと、一分の隙もなく挟み込んでいた頃の夢だ。

 カチリという音と共に自分の役割が果たされる、あの心地よい緊張感。

 しかし、その夢の中の自分は、今の自分よりもずっと冷たく、そしてどこか空虚に見えた。


 不意に、コードを流れる振動が変わった。

 規則正しかった「命の鼓動」の合間に、カツ、カツ、という硬い何かが床を叩く音が混じる。

「……ん……?」

 クリンが銀色の体を僅かに揺らし、重いまぶたを上げると、隣で丸まっていたルルはすでに目を覚ましていた。

 彼女は桃色の体をピンと張り、シェルターの出口であるコードの隙間をじっと見つめている。

「起きた? クリン。誰かが近づいてくるわ」

 ルルの声は警戒に満ちていたが、不思議と掃除機のときのような恐怖はなかった。


 やがて、その主が姿を現した。

 コードが作り出す漆黒のアーチを潜り抜けてやってきたのは、円盤状の形をした、一人の奇妙な住人だった。

 それは、四つの穴が空いた、真珠色に輝くプラスチックのボタンだった。

 かつては主のシャツの一番上に、誇らしげに留まっていたのであろうその体は、今やあちこちが欠け、表面には無数の細かい傷が走り、くすんだ真珠層のような光沢を放っている。

 ボタンは、一本だけ残った千切れた糸を、まるでしっぽのように引きずりながら、ゆっくりと、けれど確かな足取りで二人の前に立ち止まった。

「おやおや。この温かい寝床に、先客がいたとはな」

 声は、よく乾燥した落ち葉が擦れ合うような、低く、威厳のある響きだった。

「……ボタンさん?」

 クリンが恐る恐る尋ねると、その住人は四つの穴のうちの二つを、まるで眼であるかのように細めて見せた。

「いかにも。私はボタン……いや、今はただの『ボタンさん』でいい。この界隈かいわいに転がり落ちてから、もう何度、主の衣替えを見届けてきたことか」

 ボタンさんは、クリンの銀色の体と、ルルの傷ついた桃色の肌を交互に眺めると、ふっと溜息をついた。

「掃除機の嵐を乗り越えてきたようだな。若い者が無事で何よりだ。あの怪物は、我ら落とし物の歴史を、跡形もなく飲み込んでしまうからな」

 彼は、ルルの体の亀裂を見ると、背中に引きずっていた糸を器用に操り、彼女の傷にそっと触れた。

「このあたりは、コードの熱が一番溜まる場所だ。そこでじっとしておれ。ゴムの傷は、時間が経てば少しは癒える」

 クリンは、ボタンさんの落ち着いた物腰に、深い尊敬の念を抱いた。

「ボタンさんは、ずっとここにいるの? 外の世界……机の上のことは、もう忘れてしまったの?」

 問いかけると、ボタンさんは少しの間沈黙した。

 コードの微かな「ジジ……」という音が、その沈黙を埋める。

「忘れるはずがなかろう。私は主が一番気に入っていた、あの真っ白なシャツの第一ボタンだったのだからな。主の喉元で、彼の言葉が震えるのを誰よりも近くで感じていた。彼が恋をしていたとき、緊張で喉を鳴らしたとき、そのすべてを、私はこの背中で受け止めていたのだ」

 ボタンさんの語る思い出話は、クリンがこれまで見てきた机の上の景色よりも、ずっと鮮やかで、奥行きがあった。

「だがな、クリン。糸が千切れ、この床に落ちたとき、私は悟ったのだ。あの上にあるのは『役割』だが、この下にあるのは『自分自身』なのだと。あの上では、私はシャツの一部でしかなかった。だが今は、私はただのボタンとして、自分の足でどこへでも行ける」

 ボタンさんは、シェルターの外、薄暗い地平線を眺めた。

「ここに来て長くなると、いろんなものが見えてくるぞ。主が落とした涙の乾いた跡や、誰にも送られなかった手紙の破片。それらはすべて、この机の下の土壌となり、我ら住人の物語を豊かにしてくれる」

 ルルが、少しだけ潤んだ表情で尋ねた。

「ボタンさん、私たち、これからどうすればいいのかしら。どこへ向かえば……」

 ボタンさんは、真珠色の体を誇らしげに反らせた。

「案ずるな。お前さんたちの目は、まだ輝いている。この先には『机の主』の本当の顔が見える場所がある。そこを目指すがいい。ただし、道中は険しい。埃の砂漠や、巨大な黒足の山(主の脱ぎ捨てた靴下)が待ち構えているだろう」

 ボタンさんは、別れ際に自分の引きずっていた糸を少しだけ噛み切り、お守りのように二人の間に置いた。

「困ったときは、この糸を辿れ。私の仲間たちが残した『記憶の道』が、お前さんたちを導くだろう」

 クリンとルルは、ボタンさんの背中が見えなくなるまで、何度も頭を下げた。


 温かな隠れ場所を去るとき、クリンの心には新しい火が灯っていた。

 ただ拾われるのを待つ、受動的な文房具としての自分。

 自分の足で、自分の物語を紡ぎ出す、冒険者としての自分。


「行こう、ルル。主がどんな人なのか、本当の姿を見に行こう」


 銀色のクリップ・クリンは、ボタンさんから授かった一筋の糸を胸に抱き、再び未知の暗闇へと、力強い一歩を踏み出した。

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