怪鳥
――ハイエルフ領と帝国領の間・非武装地帯付近の森
静かな朝だった。
風が木々を撫で、葉が擦れる音が柔らかく広がる。
小川のせせらぎ。
遠くで鹿が草を食む。
ハイエルフの少年ニキルは危険を冒していた。
——ニキル、あの森には絶対に近づくなよ。
アカヌ族の族長である父ミキルに何度もそう言われていたが
ニキルにはどうしても行かなければならない理由があった。
(黄金の鹿、カシンキ……)
——父さんはただの伝説だと言った、だけど俺は
見たんだ。
カシンキは必ずいる。
透き通るような白い肌と金色の髪を持つ族長の息子は
帝国領とハイエルフ領の間の中立地帯の森に
入り込んでいた。
ダークエルフは自分達こそエルフの源流であり
ハイエルフ領は元々自分達の土地であるという事を
強く主張していた。
しかし、ダークエルフ達の話は、全く根拠のない
作り話なのだと、ニキルや他の子供たちは教えられた。
しかし実際にはしばしば起こる帝国の挑発行為は
民衆の不安を募らせている。
もっぱら最近の井戸端会議の話題は、帝国の挑発行為に関する
事が増えていた。
ニキルは周辺で一番高い木の上に居た。
そこから周囲を見渡す。
すると東の方、1キロほど先で細い煙が上がっていた。
(俺以外にも人が…?)
ニキルは枝から枝へ、時には蔦を使って煙の方角へ
進んで行った。
ニキルは開けた場所の少し手前で、進むのをやめた。
木々の間から慎重に様子を伺う。
焚き木の跡は土をかぶせて消されていた。
周りには焼いた動物の骨がいくつか散乱していた。
(ついさっき土で消したんだ。)
ニキルは何か嫌な予感がしたが
少し先で枝を折る音が聞こえたので
気配を消して後を追った。
少し行くと、人の話し声がする。
丁度話し声の主が見える位置まで来た時
ニキルは驚愕した。
ハイエルフの男が誰かと話をしている。
グレーの肌だ。
(なぜここにダークエルフが…)
ハイエルフの後ろにはハイエルフの二人の幼児が縄で引かれていた。
ハイエルフの男はがっしりとした体格で鋭い目をしていた。
そして左目に眼帯をしている。
(あいつは…)
ニキルは男を見たことがあった。
(ジリル…)
20年前にアカヌ村を追い出された。
幼い頃からあいつとは関わるなと教えられていた。
(悪いうわさが絶えない奴だと父さんは言っていた。
何をしている…あんな幼い子供を…)
ダークエルフは何かをジリルに渡すと
ジリルは首を横に振った。
ダークエルフは更に渡す。
するとジリルは笑顔になり、ダークエルフと握手を
かわした。
そしてジリルは縄で縛られた幼児達をダークエルフに渡すと
辺りを見回した。
ジリルは引き渡しが済むとすぐに鋭い顔に戻った。
そして警戒するように辺りを見回した。
ふとジリルの視線がこちらに向いた瞬間
その鋭い視線がニキルの目を射抜いた。
(しまった…)
「おい! 誰だ!!」
ジリルがそう言うと
ダークエルフは幼児二人を抱えて走り出した。
ニキルは踵を返し、枝から枝へ飛び移りながら
逃走した。
隣の枝に着地した瞬間、手をついた幹に鉄の暗器が刺さった。
「止まれ! 俺から逃げられると思うなよ」
ジリルの声は確実に近くなっていた。
(殺される…!)
ニキルは恐怖で足がもつれかかったが
なんとか心を落ち着かせようとしていた。
その時
東の方で空が光った。
その瞬間、耳をつんざく轟音と爆風がニキルを襲った。
あまりの眩しさに目が開けられない。
「うわあああ!!」
ニキルはそのまま前に飛ばされていった。
どれだけ時間が経っただろう
ニキルはジャカランダの木の上に居た。
うっそうと茂る枝葉がクッションとなってくれたらしい。
腹に力を入れ、ゆっくりと腕を動かす
次に足
どうやら動くらしい。
あちこち擦り傷はあるが、問題は無いだろう。
ニキルはゆっくりと周囲を見渡すと、飛ばされてきた方向が
妙に明るい事に気が付いた。
(森が開けている?)
ゆっくりと地面に下りて
明るい方に歩く。
近づくにつれ、ニキルは違和感を覚えた。
鳥の鳴き声も、いや生き物の気配がまったくしない。
そして自分は間違いなく東へ歩いている。
だが東は広大な森のはず。
開けた場所などあるはずがなかったのだ。
そして一歩踏み出そうとした瞬間
息をのんだ。
「地面が無い…」
すぐ下は崖になっていて
波が打ち寄せている。
視線を前に向けると
ニキルは更に驚愕した。
「森が消えている…」
今まであった森がえぐり取られていて
水平線が見えていた。
◆
――帝国領・上空。
黒い影が空を覆っていた。
巨大な飛空戦艦。
いや――もはやそれは“艦”ではない。
一つの街と言ってもいいほど巨大だった。
移動要塞・キング・ヴァルディア——
その前を先導するように、数十隻の飛空戦艦が
綺麗に隊列を組みゆっくり進んでいた。
小魚を追うサメのように。
操舵室内。
「出力、安定」
「誤差、許容範囲内」
「その他各部問題ありません。」
「イオンフレイム出力20%発射実験、成功しました。」
感情のない声が、ただ事実だけを並べる。
「次段階、移行可能」
「一度帝都に戻る」
高い場所にある座席に座る男の野太い声がそう告げる。
「ハッ」
「総員!帝都に戻る!」
誰一人表情を変えることなく、兵士たちは
作業を進めた。
◆
――交易路・街道。
「聞いたか?」
荷馬車を引く男が声を潜める。
「帝国の……光のやつ」
「ああ、俺も見たぜ、あの光を」
「恐ろしい…森が一つ消えたらしい」
「中立地帯らしいが、ハイエルフ達は黙っちゃいられんだろう」
別の男が顔をしかめる。
「まずいな……戦争が起きると、物の値段が上がる」
「ああ、こっちは只でさえ商売がひっ迫してるんだ」
「迷惑な話だぜ…」
その時、帝国兵が通りかかると
商人たちは下を向き雲の子を散らすように霧散した。
◆
――忌み子の村。
桜の木の花弁は一枚も残っていなかった。
だがその代わりに緑の葉っぱが青々と茂っていた。
セツナはいつも通り、そこに立っていた。
朝の光が茂みの隙間から差し込む。
だが――誰も来なかった。
早起きの村人たちはうつ向きがちに
静かに毎日の日課作業をこなしているだけだった。
「稽古には誰も来んか…」
ルモルグ長老がふいに声をかけた。
「そうですね…」
セツナは静かに答えた。
「皆、現実に引き戻されたんじゃ…待ってても…」
そう言って長老は小さな背中を丸めて去っていった。
ジュリが連れ去られた日から、村民の目には
光が失われた。
長老の話では、ここ10年は何事も無かったのだと
いう。
忘れかけていたのだ。自分たちは帝国の所有物だという事を。
「お前が現れて、俺たちは夢を見ちまったのさ
所詮俺たちは…」
シロンはそう言って首を振って去っていった。
そしてバエトはあれ以来、家の中に引き籠って
しまった。
◆
「……暇そうだな」
不意に声が落ちた。
セツナはゆっくりと顔を上げる。
そこに立っていたのは――ダークエルフ…
クロフォードだった。
(迂闊だった、気配を感じなかった…)
セツナは少し自分を叱咤した。
「俺が近づいても気が付かなかったとは
舐められたものだ」
「……何の用だ」
(俺が考え事をしていたというのもあるが
この男…かなりの手練れだ)
セツナは気持ちを引き締めた。
「大したことじゃない」
クロフォードは肩をすくめる。
「一手、所望したい」
表情を変えず、静かにそう言った。
だが、その奥にあるものは明確だった。
俺を測りに来たのだと。
セツナは少しだけ目を細める。
「……今から稽古がある」
「誰も来ないのにか?」
クロフォードはにやけ顔でそう言った。
「……」
小さく息を吐く。
「お前に良く懐いていたあの混種のガキでさえ
姿を見せぬではないか。」
「バエトは……」
セツナは言葉を詰まらせた。
「何もかもお前には関係ない事ではないか?」
クロフォードの射すような瞳をセツナは逸らしてしまった。
「……わかった相手をしよう…」
セツナはクロフォードの目を見て言った。
「フフ…」
クロフォードはニヤリと白い歯を見せた。
風向きが変わった。
太陽が昇り気温が少し上昇したのだろう。
しかし空気はピリリと張りつめている。
次の瞬間。
二人の姿が消えた。
一閃。
地面が弾ける。
クロフォードの一撃は重い。
速い。
無駄がない。
(強い…!)
セツナはそれを受け流す。
だが――
(……今のは)
わずかに、体勢が崩れる。
一瞬。
ほんの一瞬だが、“危うさ”があった。
クロフォードの目が細くなる。
「なるほどな」
低く呟く。
それ以上は踏み込まない。
再び間合いを取る。
「……もういいだろ…」
セツナが言う。
クロフォードも頷く。
「ああ確認はできた」
「詫びとして一つ、情報をやる」
クロフォードが言う。
「……」
「例の娘――」
「?」
「生きている可能性がある」
セツナの瞳が、わずかに揺れる。
「だが」
クロフォードは人差し指を立て、セツナの発言を
制止した。
「使徒と融合したまま、艦外へ落下した」
「何?」
「あの高さから落ちれば普通なら助からんだろうが…
あの娘には強力な相棒が付いているからな。」
「使徒を相棒だって!?」
セツナが言い返す。
「ああ、融合体として成立してたな」
「……
一つ聞く、昨日空が光った。そして爆発音がした
あれはあんた達の兵器なのか?」
「言えるのは此処までだ」
クロフォードは眉間に皺を寄せた。
◆
その言葉を。
木陰で、一人の少年が聞いていた。
セツナもクロフォードも気が付いていたが…
バエトはあの兵士が言った事を何度も心の中で反芻した。
理解が追いつかない。
だが一つだけ確かなものがあった。
(行かないと……)
「邪魔したな」
そう言ってクロフォードは去っていった。
その日の夜。
誰にも気づかれないように。
一つの影が、村を抜け出した。




