66話 勝利の夜を越えて
今日は、このグランベルグの街とも別れの日だ。
ふっと部屋を振り返ると昨日の騒ぎを思い出した。
戦勝の宴会があった。
俺が目を覚ますまで、誰も杯を取らないと決めていたらしい。
そういうところが、あいつらは律儀だ。
宴会は城の一室を使って行われた。
本来なら会議や儀式に使われていたであろう広い部屋だ。
天井が高く、壁にはまだ煤の跡が黒く残り、焦げ臭い空気が微かに漂っている。
床石の隙間も完全には拭き切れていない。
血の匂いと埃が混じった、戦いの残り香が鼻をくすぐる。
戦後処理は今日だけは後回しになった。
当たり前だが勝ったからって、全部が一気に元に戻るわけじゃない。
割れた陶器の欠片が隅に積まれ、折れた椅子の脚が無造作に転がっている。
やるべきことは山ほど残っている。
それでも、数百年にわたる魔物の支配から解放されたのは事実だ。
物街の事、周囲との関係忙しくなるのは誰でもわかっていた。
この状況で水を差すのは、さすがに野暮というものだろう。
俺も、今はそれでいいと思っていた。
ずっと神経を張っていたんだ球の息抜きもいいんじゃないのかとおもう。
そんなことを考えていたら、ヒルダが壇上に上がった。
「みんなのおかげで、この町は数百年の支配から解放された。多くの同志が散り、苦難もあった。それでも、よくやってくれた。ありがとう。乾杯」
ヒルダの音頭に、場が応える。
声ははっきりしていて、迷いがない。
だからこそ、無理に背筋を伸ばしてるのも分かる気がした。
彼女の瞳に、疲れと決意が混ざっている。
炎の民の赤い髪が、焚き火の光に照らされて揺れる。
「乾杯! 自由と、地獄へ落ちた同胞共に!」
イヴァンの声が重なり、無数の声が続く。
一瞬だけ、空気が止まった。
止まった分だけ、次の声はやけに大きい。
「乾杯!」
欠けた錫製のジョッキが激しく打ち鳴らされ、泡立った安酒が石床にこぼれる。
音は派手だ。
酒の甘苦い匂いが広がり、煙が立ち上る。
けど、胸の奥は妙に静かだった。
それは死者への手向けであり、生き残った者たちの凱歌だった。
食卓に並ぶのは、奪い返した倉庫から引きずり出した埃まみれの干し肉と、戦利品の樽から注がれる強い蒸留酒。
洗練された作法なんて、どこにもない。
人々は、手でパンをちぎり、酒を流し込み、肺の奥から笑い声を吐き出していた。
笑い声の合間に、咳が混じる。
煙を吸いすぎた喉の音だ。
潜伏していた地下水道の湿り気も、仲間の死を看取った絶望も、今は人々の熱気と喧騒の中に溶けていく。
「おい、音楽だ! 竪琴がなけりゃ、盾を叩け!」
一人が剣の腹で盾を叩き始める。
乾いた金属音が、すぐにリズムになる。
ドン、ドン、という重低音が部屋の壁を震わせ、床石に響いて伝わってくる。
それが広がって、部屋全体を揺らし始めた。
夜はまだ始まったばかりだ。
誰も、徹夜続きだったことなんて気にしていない。
踊って、歌って、飲む。
今はそれでいい。
「久しぶりに、まともな酒の味がするぜ……」
俺は銀髪を無造作にかき上げ、木製ジョッキを煽った。
喉を焼く安酒だ。
強いアルコールの熱が、舌から食道を滑り落ち、胃に落ちて広がる。
それでも、地下で飲んでいた水みたいな代物とは比べものにならない。
体が、はっきり「酒だ」と分かって反応してくる。
呪文を使わない状態だと、女の体は酒が回るのが早い気がする。
頭が少し軽くなって、逆に周りの音がはっきり聞こえた。
笑い声、ジョッキのぶつかる音、焚き火のパチパチという爆ぜる音が、耳の奥で鮮やかになる。
「シビさん。病み上がりなのですから、そんなに急いで飲んだら体に毒ですわ?」
隣を見ると、エレナが苦笑いしながらこちらを見ていた。
いつもの慈愛に満ちた笑顔だ。
彼女は自分の酒にはほとんど口をつけず、俺の服についた煤を、そっと払ってくれている。
細い指が、布を優しく撫でる感触が、温かい。
戦いが終わった後でも、こういうところは変わらない。
彼女の金髪が、燭台のろうそくの光に照らされて、柔らかく揺れている。
「いいんだよ、エレナ。今日くらいはな……。なあ、ヒルダ!」
声をかけると、焚き火のそばで大股に椅子へ座っていた赤毛の女戦士が振り返った。
ヒルダは丸焼き肉をナイフで削ぎ落とし、それを俺の皿へ放り投げる。
肉の脂が飛び散り、熱い匂いが鼻を突く。
「全くだ! 街を奪い返したんだ。今夜くらいはいいだろ」
豪快な笑い声が上がり、周囲が一気に沸く。
揺らめく光の中で、ヒルダの赤い髪は炎よりも激しく燃えているように見えた。
その勢いに、誰も逆らえない。
「アヤ。あんたたちのおかげで、この町を取り戻せた。改めて感謝するよ」
ヒルダの声が、部屋の喧騒を切り裂くように響いた。
彼女の瞳が、火の光を映して輝いている。
その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなった。
「俺は俺の目的があって来ただけだ。そのついでだ」
本音だ。けど、面と向かって感謝されると、どうにも調子が狂う。
胸の奥がむずむずして、喉が乾く。
何て返せばいいのか、分からなくなる。
視線を逸らしたくなる衝動が、指先まで伝わってくる。
「シビさん、もしかして照れてますの?」
図星を突かれて、俺は思わず目を逸らした。
エレナには、どうしてもこういうところを見抜かれる。
彼女の瞳が優しく笑っていて、余計に頰が熱くなる。
「……そんなんじゃねえ」
そう言って、残った酒を一気に飲み干した。
喉を焼くような熱さが、胸の奥まで落ちてくる。
少しだけ熱くなる。
酒の苦味と照れが混ざって、頭がぼんやりする。
そこから先の宴会は、正直ヤバかった。
誰かが上着を脱ぎ捨て、誰かが盾を掲げ、気づけば裸踊りが始まっている。
上半身裸の戦士が、汗で光る筋肉を誇示しながら両手を挙げて跳ねる。
足を高く上げ、床石をドンドンと踏み鳴らし、ジョッキを片手に振り回す。
隣の男が笑いながら真似をし、つんのめって誰かにぶつかり、みんなで転げ回る。
そのまま輪になって、肩を組み、足を揃えて回り始める。
誰かが「もっと速く!」と叫び、輪が加速する。
髪が乱れ、汗が飛び散り、笑い声が爆発する。
秩序なんて最初からなかったが、それでも一応あった最後の理性みたいなものが、完全にどこかへ行った感じだ。
理性の糸が切れた瞬間、部屋全体が一気に沸騰した。
誰もが「もういいや!」って顔で、思いっきり羽目を外している。
戦いの緊張が解け、溜め込んでいたものが一気に噴き出すみたいに。
怒鳴り声、笑い声、歌とも叫びともつかない声が重なって、城の天井に反響する。
「オォォォー!」という野太い雄叫びが、誰かの歌声に混じって響き渡る。
ジョッキがぶつかり合う乾いた金属音、足踏みのドンドンという低音、肉を叩く肉声。
酒の甘苦い匂いと汗の熱気が混ざり、部屋の空気がむせ返るほど濃厚になる。
壁際の燭台が揺らめき、橙色の光がみんなの顔を照らす。
影が壁に踊り、笑顔が歪んで見えるほどに皆が笑っている。
誰かが転んでジョッキを倒し、安酒が床に広がって、足元がぬるぬるになる。
それでも誰も気にしない。
「もっと飲め!」「生きてるぞ!」と叫びながら、互いの肩を叩き、抱き合い、転がり、笑い転げる。
今、この瞬間だけは、すべてが許される。
勝った。生き残った。
仲間が隣にいる。
それを体で、声で、汗で、酒で、確かめ合っている。
楽しさが、爆発するように部屋を満たしていた。
俺はその完成を聴きながら、その場からそっと抜けた。
騒ぎが嫌になったわけじゃない。
生前もそうだが、どうやらこういう場所は慣れていないのか少し苦手だった。
胸の奥がざわつき、息が少し浅くなる。
喧騒の外側に立つと、急に静かさが体に染み込んでくる。
光が遠く揺れ、俺の影を長く伸ばしていた。
壁際に腰を下ろし、自分の指にはまったままの指輪を改めて眺める。
何度見ても、変わった指輪だ。
抜こうとしても、やっぱり抜けない。
締め付けてくる感じはないし、呪いの類でもなさそうだ。
指に馴染むように、ぴたりと収まっている。
金属の冷たさが、俺の体温に少しずつ溶け込んでいくような、奇妙な感覚。
材質も分からない。
ミスリルじゃないし、俺の持っている魔術師の知識でも引っかからない。
黒みがかった青みがかった光沢が、部屋の燭台の光を柔らかく反射して、ゆっくりと揺れている。
表面に刻まれた細かな渦巻き模様が、指を動かすたびに微かに光をずらして、まるで生き物のように息づいている。
俺が生きていた時代の俺が知っているものとも、まるで違っていた。
古い遺物でも、現代の魔道具でもない。
ただ、そこにあるだけで、存在感が強い。
鑑定呪文を使う。
魔力を指先に集め、淡い光の紋様を指輪に重ねる。
結果は相変わらずだった。
一日一回、任意の場所へ移動可能。それ以外は鑑定不可だった。
やはり、見間違いではなく何度やってもその結果だった。
指輪の重みが、時折、胸の奥にずしりと響く。
そうやって考え込んでいた時だった。
「こんなところにいたのか。主人公が隅に引っ込んでちゃダメだろ」
声の方を見ると、戦闘隊長のイヴァンが立っていた。
酒は入っているはずなのに、足取りはしっかりしている。
頰が少し赤らんでいるが、目は澄んでいて、いつもの鋭い光を宿している。
こういうところも、いかにもあいつらしい。
「主人公はお前たちだ。俺は手伝っただけだ」
「何言ってんだ。あいつを倒したのも、城に単独潜入して俺たちを導いたのも、お前だろ」
イヴァンの声に、熱がこもる。
彼の肩が少し前傾みで、俺をまっすぐ見つめている。
酒の匂いが微かに漂い、汗と煙の混じった匂いが混ざる。
「俺は紋章を知りたかっただけだ」
嘘は言ってない。
ただ、それだけだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
胸の奥で、静かに繰り返す。
「本当に、ここを出ていくのか?」
イヴァンの声が、少しだけ低くなる。
残念そうなのが、隠しきれていない。
彼の瞳に、仲間への想いがちらりと見える。
握った拳が、わずかに震えている。
「ああ。俺は戦うことしかできない。政治や統治は向いてない」
「英雄だって言ってる奴もいるぞ」
「勘弁してくれ。俺は自分の人生で手一杯だ。他人の人生まで背負えねえ」
言葉にしてみると、案外すんなり出た。
前から、分かっていたことだ。
俺は、自分の幸せを見つけたいと思った。
アヤがそう願ったように。
世界のためじゃない。
この土地のためでもない。
俺自身の幸せを。
この街は、きっとこれからも戦地になる。
均衡が崩れた以上、黙っていた連中が動き出す。
南の街も、表立っては動かないだろう。
裏で何かすることはあっても、前に出ることはない。
俺がいれば、戦力にはなる。
それは分かっている。
でも、それだけだ。
必要だから戦うのであって、好きでやっているわけじゃない。
必要がないなら、のんびり暮らしたい。
それが、本音だった。
その後も、炎の民の連中や、顔見知りになった連中が次々と話しかけてきた。
酒を注がれ、肩を叩かれ、何度も笑った。
ジョッキがぶつかる音、誰かの野太い笑い声、酒の甘苦い匂いが部屋に満ちる。
気づけば、床に倒れ込むやつが増え始めている。
酔いが回って、力尽きた体が石床に崩れ落ちる音が、時折響く。
笑い声が、少しずつ小さくなっていく。
夜が更けた頃、俺は一足先に部屋へ戻った。
エレナは僧侶たちと談笑していたので、そのままにしておいた。
あの様子なら、無理に引き剥がす必要もない。
彼女の金髪が燭台の光に揺れ、柔らかい笑顔が遠くに見える。
俺は静かに部屋の扉を閉めた。
宴会の喧騒が、扉の向こうで遠ざかっていく。
翌朝。
城の中は、すでに動き始めていた。
宴会の名残はあちこちに残っているが、それを片付ける手も、治療に向かう足も止まらない。
割れたジョッキの破片を拾う音、埃を払う布の擦れ音、誰かの低い話し声。
戦いは終わったが、仕事は終わっていない。
朝の光が石壁に差し込み、煤の跡を淡く照らす。
街が動き出す中で、俺たちはこの地を後にした。
「いったん、バステルへ戻るか?」
隣を歩くエレナに声をかける。
彼女の白い衣が、朝風に軽く揺れる。
「そうですわね」
門を出た瞬間、背後から大勢の声が響いた。
「ありがとうな!」
「また来いよ!」
振り返ると、城壁の上や門のそばに、見覚えのある顔がいくつもある。
ヒルダの赤い髪が風に舞い、イヴァンの大きな手が振られている。
全員に返事なんてできない。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
俺は振り返らず、ただ手を上げた。
それで十分だと思った。
手のひらが朝の光に透けて、指輪が淡く輝く。
こういう感謝も、たまには悪くない。
そんなことを考えながら、俺はこの町を後にした。
足音が石畳に響き、エレナの衣擦れの音が優しく寄り添う。
背後の声が、少しずつ遠ざかっていく。
でも、その温かさは、胸の奥に残ったままだった。
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