187話E わたくしのいつもの日常へ
わたくしがギルドへ行くと、いつもとはどこか様子の違うリリアさんから、すぐに奥の部屋へ入るようにと言われてしまった。
一体どうしたのでしょうか?
ギルドの長の部屋に入ると同時に、リリアさんは手元にあった小さな鈴を一輪静かに鳴らした。チリンと涼やかな音が響いた瞬間、部屋の空気が密閉されたように変化する。
「……防音の鈴ですの?」
「まぁ、聴かれてもいい内容ではあるんだけどね。それでも今は誰がどこで聴いているかわからない状況だから、こういう重要な話し合いをするには丁度いいのよ」
「……そんなに、誰かに聞かれたくないほどのお話ですの?」
「とりあえずは、ね」
リリアさんは小さく頷くと、それ以上はすぐに答えを言わずに口を閉ざした。
わたくしはふっと軽く息を聴き、真剣な面持ちをしているリリアさんの口から出される次の言葉をじっと待った。
「……何のお話でしょうか?」
「今日の朝方、あの子がここを出ていったよ」
「外出をしたという事ですの?」
あの子と言うのは、きっとアヤさんの事だろう。
確かに、大公国から帰国して二、三日ぐらいが経ったかしら。それ以降、彼女はずっとギルドの宿で引きこもりになっていたと記憶していた。
だから、出ていったと言われても、ただ少し外出をしただけという事なのでしょうか?
「まぁ、外出は外出ね。でも、手っ取り早く言うと――あの子は、一人で旅に出たよ」
「え……? ギルドからの、何か特別な依頼ですの?」
記憶を失ってしまったアヤさんも、かつてに比べてかなり戦闘レベルは落ちましたが、僧侶以外のスキルなら使用できるとの事。
だから、一人ではなく信頼できる他のギルドメンバーと一緒にこなす依頼の旅なのだとしたら、少しは安心でしょうか?
「違う。誰の依頼でもない。完全に本人の意思で、一人でここを出ていったよ」
「一人で、出たというのです……か?」
嘘でしょう、と目の前が真っ暗になるような衝撃を覚える。
それは、今の彼女にとってはあまりにも危険ですわ。
ヴァレリウス司祭長様が仰るには、アヤさんの身を取り巻く周囲の環境は、現状あまりよろしくないと詳しく聞いていた。
王国の教団、あるいはギルド以外の組織からは、彼女の存在は決してよく思われていないみたいだった。
あの遺跡に関する書類をほぼ全て抹消していて、再度王国側からも極秘で調査を入れたけれど、結局は何の成果も無かったみたい。
王国の組織からはほとんど目の敵にされてはいるけれど、あの大会で見せた活躍により鎮静化されたみたいだった。
それでも、大公国の武闘会であれほど見せた、個人では周りを圧倒するほどの強大な力を彼女が持っているからこそ、周囲の勢力からはものすごく危険視をされている。
暗部に命を狙われていたらしい。
今もその命令は生きているのかはわからないけれど。
それなのに、記憶を失っている彼女が、一人きりの状態で外に出たら、命を狙われるのではないでしょうか?
「アヤさんを……追いかけますわ……っ!」
そう叫んで、わたくしが部屋の扉へ向けて今すぐ走り出そうとしたまさにその瞬間、リリアさんの強い力によって行く手を遮られ、ガシッとその場で止められてしまった。
「どこに行くの?」
わたくしを遮るようにして、リリアさんの鋭い声が正面から突き刺さる。
「危険ですので、今すぐ追いかけようと」
「待ちなさい」
「ですが……っ!」
「貴女は、あのアヤのパートナーじゃないのよ」
その冷徹な一言に、わたくしは心臓を直接射抜かれたかのように言葉を失ってしまった。
「……でも、彼女を取り巻く環境が危険なのは、リリアさんだって重々わかっておりますよね?」
「それでも、一人で旅に出ると決めたのは彼女自身よ。あの子の冒険者としての経歴は、さすがに私も色々と調べたよ。数年前の記述になるけれど、確かにエリシオン王国のほかの街で登録されていた形跡があった」
「今はそんな過去の登録なんて関係ないですわよね? ……すみませんが、リリアさんは一体何をおっしゃりたいのですか?」
焦燥感から、わたくしの口調も自然と険しくなってしまう。
「冒険者っていうのはね、どんなに危険な事であっても、すべて自分で決める権利があるんだよ。ベテランの先輩たちは、その危険を伝えるけれど、実際にやるかやらないかはどこまでいっても本人次第だよ。そして彼女は、自分の意思で旅に出ると決めた。なら、ギルドマスターとしての私は、その背中をそっと押してあげるだけなんだよ」
「……アヤさんは、これまでの旅で助けられた人はとても多いですが、それとは反対に、計画を妨害された人たちだって多いんですよ。リリアさんだって、それはよく知っておりますよね?」
敵対勢力がどれほど彼女を危険視しているか、その脅威を必死に訴えかける。
「それも、もちろん全部知っているよ。だけどね、それを差し置いても、今のあの子にとっては、ことあるごとに『シビ』と比べられるこの場所が、たまらなく嫌だったんだろうね。それは君だってそうだ。アヤ、と名前を呼んではいるけれど、君はどうしても彼女の昔の影を無意識に追ってしまう。たとえ君が心の中でそう思っていなくてもね。無意識のうちに、どうしてもそういう風に昔のあの子として見ちゃうんだよ」
リリアさんの言葉に、わたくしは返す言葉がなくなって俯いてしまった。
それは、確かにそうだった。
姿かたちが同じだからこそ、どうしても、彼女と同じ存在として見てしまう。
「いいかい、冒険者ギルドなんていうのはね、むさ苦しい野郎が多い場所なんだよ」
「それはわかりますけど……」
「あの子はね、確かに口は悪いし、すぐに手を出すことも多かった。うちのギルドのメンバーがあほな事をやらかすから、殴られるのも仕方のないことだけどね。それでもさ、そんな野郎ばかりの場所で、若い女の子が気兼ねなく男たちに話しかけて、一緒に本当に楽しそうにお酒を飲んでくれていたんだよ」
その光景なら、わたくしだってよく知っておりますわ。
アヤさんは、遠征先の他の街の酒場でも楽しそうに飲んでいたけれど、やっぱりこの『癒しの炉端』で飲むのが一番楽しそうにしていた。
旅先での移動中にも、わたくしは、彼女からよくそのお話を聞いていた。
「あのバカ達は本当に手がかかる」って、口では悪口を言っているのに、その時の彼女の表情は本当に、嬉しそうで楽しそうだった。
「この間あの子が目を覚ました時、私も周囲の連中に事情を言うのを忘れてたからいけないんだけどね。いつものノリで男たちが絡みに行ったら、あの子、本気で怯えちゃってあんなふうになっちゃってね。あとで私からみんなに理由を言ったら、メンバーも全員、悲しそうに納得したよ」
「……納得、ですの?」
「『普通の若い女性は、急に触られたらそういう反応をするのが当たり前だよな。シビは、そんな俺達とでも境界なく楽しそうに飲んでくれていたんだ。ガチで蹴ったり殴られたりして、酷い痛い思いはたくさんしたけどよ』ってさ。みんな、本当に悲しそうにそう言っていたよ。だからね、今のあの子にとってもここにいるのはきついと思うよ。周囲がどうしても、自分たちの知っているアヤの幻影で接してしまうんだから」
「それは……それはわかりますが……」
それでも、裏の暗部に命を狙われている可能性があるというのに、一人きりで旅立たせるなんてあまりにも危険すぎますわ!
やはり何とかして、今すぐ彼女を追いかけないと!」
わたくしは掴まれた腕を振り払うようにして、リリアさんに向かって必死に声をかけた。
「リリアさん、アヤさんはいつ頃ここをご出発をしたのですか?」
「かれこれ、もう三時間ぐらいは経ってるんじゃないかな。朝早くだったしね」
「三時間ですか!? ……なら、今すぐ街の門番か、あるいは道中の誰かに特徴を聞いて、馬を走らせて追いかければまだ間に合うのでは?」
「……行って、一体どうするの?」
リリアさんのどこまでも冷静な問いかけに、わたくしは一瞬言葉を詰まらせる。
「それは、わたくしも一緒に彼女の旅に……っ」
「じゃあ、あんたの教会の仕事は一体どうするのよ?」
「えっと……それは……っ」
「あんたは、この国で困っている村や町の援助などをするのが本来のお仕事だろう? 今までは、シビがアウリス教会から援助をしてもらっていたんだよ」
「……なら、いくら危険な目に遭うと分かっていても、今の彼女には一切手を出すなって言うのですの!?」
悔しさに視界が滲む。だが、リリアさんはただ静かに首を振った。
「それで死んだら、それまでの器だったってことだよ。……まぁ、私はあの子は、なんだかんだ文句を言いながら生きて帰って来ると思うけどね」
「それは……それはリリアさんがただ、そう思いたいだけの勝手な希望なのでは?」
「じゃあ聞き返してあげるけどさ、今まで一緒に数々の死線を潜り抜けて旅をしてきたあの子は、そんなに簡単にくたばるほど弱いのかい?」
「……っ、そういう言い方は、あまりにも卑怯だとは思いますわ」
ぐっと言葉を飲み込む。記憶を失う前の彼女の強さは、わたくしが誰よりも一番近くで見てきたのだから。
だけど、わたくし以外知らないことだけど、居一人だったら死んでいたこともありましたわ。
「あの子は、必ずここに帰ってくるよ」
「なぜそこまで言い切れるのですか? 確かリリアさんは、戦士ですよね。僧侶みたいな神託があるとは思いませんが?」
「うーん、長年の勘かな」
リリアさんは、はぐらかすように少しだけ苦笑いを浮かべた。
そんなあやふやな言葉だけではどうしても納得がいかなくて、わたくしはギルドマスターの部屋を飛び出し、そのまま勢いよく街の門に向かおうとした。
だけど、ギルドの建物の外に出て冷たい風に吹かれた瞬間、彼女を追いかけることなんて、わたくしには絶対に無理なのだと、残酷な現実に気づかされて足を止めてしまった。
彼女が選んだのが、海路なのか陸路なのかすらも分からない。
仮に陸路だったとしても、このエリシオン王国の首都の出入り口は三つもあるのだ。そのどれか一つを特定して、行方を完璧に把握するなんて、私一人の力で出来るはずが無かった。
教会の人にお願いをするというのは、訳を話して行動するのに時間がかかりますわ。
そうして、アヤさんがこの街から居なくなって、すでに数日が経った。
だけど、ギルドや街のどこからも、彼女に関する足取りの情報は何一つ入っては来なかった。
一体、どこに行ったのかしら。
どうせ行くのなら、せめてわたくしにだけは、旅立つ前に一言だけ声をかけて欲しかったですわ。
どうか、どこにいても無事でいてくださいませ。
今度お会いすることができたら、その時は絶対に、お小言をひとこと言わせていただきますわ。
アヤさんと出会う前の、の生活が、また何事もなかったかのように始まる。
今まではそれが、わたくしにとって当たり前の、平和な日常でしたわ。
だけど、彼女と過ごしたあの眩しい旅の日々を知ってしまった今となっては、その当たり前の退屈な日常が、もう当たり前ではないのだと、胸の奥の猛烈な寂しさの中で気づいてしまった。
もちろんアウリス様のお仕えするのはうれしい事ですけど……。
わたくしたちは、また以前のように、隣に並んで笑い合える日になれるのでしょうか?
アウリス様に向けて、ただただ遠い空の下にいる彼女の無事を一途に祈のった。
そうして静まり返った、かつての、昔の日常へと戻った。
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